第36話 静かな訓練場
四日後。
クラリスは、警備隊の会議室で新しい報告書を受け取った。
「拘束されている者のうち、五人に同じ反応が確認されました」
隊員が、机の上へ書類を並べる。
「雷の義賊について尋ねると、途中から話せなくなる。書かせようとしても、特定の部分だけ手が止まります」
「契約への干渉は?」
「行っていません。前回と同じ事故を起こすわけにはいきませんから」
「それでいい」
クラリスは報告書をめくった。
五人が捕らえられた場所は、それぞれ違う。
だが、全員が雷の義賊に倒されていた。
契約について話せなくなる直前までの証言も、ほとんど一致している。
黒い魔法陣。
人間とは思えない契約の仲介者。
そして、寿命を対価とする取引。
「こちらは、義賊から力を与えられた者たちの証言です」
別の隊員が、もう一束の書類を差し出した。
彼らには秘密を守る条件が付いていなかった。
自分の寿命を払い、身体能力や魔法の威力を得たことを、隠さずに話している。
犯罪者たちと違い、義賊を恐れてもいない。
金も取らず、自分たちへ力を与えてくれた恩人だと話す者までいた。
「同じ黒い魔法陣と、同じ仲介者が現れたそうです」
「もう一件、学園側から提出された証言があります」
隊員が、別に綴じられた書類を置いた。
証言者の名前は、警備隊の一部と学園責任者にしか公開されていない。
学外実習中の事故で重傷を負った生徒が、リナによって救命された時の記録だった。
リナが悪魔を呼び出したこと。
複数の契約者から得た残り寿命を使い、生徒の傷を修復したこと。
リナ自身も、使用した具体的な年数を確認していなかったこと。
証言者には秘密保持が課されておらず、契約交渉の内容を自分の言葉で説明できている。
「少なくとも、リナが悪魔契約を使用していることは事実と見てよいでしょう」
「ああ」
クラリスは短く答えた。
エマが証言したのは、リナを処罰してほしいからではない。
悪魔から助けてほしいと頼んだからだ。
「なら、義賊が悪魔契約を使っていることは、ほぼ間違いないな」
「はい」
隊員は頷いた。
「ただし、悪魔契約を使うリナと、雷の義賊が同一人物であるという直接の証拠はありません」
「分かっている」
義賊が捕縛作戦から逃げる際に使った炎壁。
翌日の授業で、リナが展開した炎壁。
立ち上がる速さ。
狭い範囲へ高い威力を集中させる魔力の流し方。
炎を外側へ逃がしながら形を保つ癖。
偶然で片づけるには、あまりにも似ていた。
古い記録には、悪魔との契約によって生まれ持たない属性適性を得た例も残されている。
火属性のリナが、後から雷属性を得たのだとすれば、矛盾はなくなる。
「捕縛の準備は整っています」
警備隊員が言った。
「学園側から許可も出ました。場所は訓練場。周囲の生徒を遠ざけ、捕縛結界を二重に展開します」
「リナを傷つけないことが最優先だ」
「全員に伝えています」
クラリスは報告書を閉じた。
「その前に、私から本人へ確認する」
「否定した場合は?」
「証拠が足りないからといって、そのまま帰すことはできない」
悪魔契約への解除処置では、既に一人が死亡している。
ほかの契約者が、どれほど危険な状態にあるのかも分からない。
「だが、まずは自分から話してほしい」
◇
その日の昼休み。
リナが教室を出ると、廊下でクラリスに呼び止められた。
「リナ。今日の放課後、少し訓練に付き合ってくれないか?」
「クラリス先輩とですか?」
「ああ。いつもの訓練場で待っている」
「分かりました」
クラリスはそれだけ伝えると、普段と変わらない足取りで去っていった。
雷魔法を見せてもらえるのかもしれない。
リナは少しだけ楽しみにしながら、午後の授業へ戻った。
◇
放課後。
リナは杖を持って訓練場へ向かった。
悪魔も、いつものように後ろからついてくる。
入口の扉を開ける。
広い訓練場の中央に、クラリスが一人で立っていた。
普段なら、自主練習をしている生徒が何人かいる。
壁際では教師が器具を点検し、隣の訓練場から魔法の音が聞こえてくることもある。
今日は何も聞こえなかった。
観覧席にも、壁際にも、人の姿はない。
「今日は静かですね」
「そうだな」
リナは周囲を見回した。
「まるで、誰もいないみたい」
「今日は貸し切りにしてもらった」
「私の訓練のために?」
「いや」
クラリスの声は穏やかだった。
だが、いつものように杖を構えようとはしなかった。
「確認したいことがある」
リナは持ってきた杖を下ろした。
「何ですか?」
「雷の義賊についてだ」
悪魔が、リナの肩の高さまで浮かび上がった。
何も言わない。
ただ、クラリスを見ていた。
「先日の捕縛作戦で、私は義賊と戦った」
「そうだったんですか」
「逃げる直前、義賊は炎魔法を使った」
リナは黙って続きを待った。
「あの炎壁は、君のものとよく似ていた」
「炎壁を使える人なら、ほかにもいますよ」
「ああ。それだけなら、私も君を疑わなかった」
クラリスは一歩も近づかなかった。
「義賊と契約した者たちを調べた。犯罪者だけではない。義賊から力を与えられた者もいる」
リナの指が、杖をわずかに握り直す。
「彼らは、自分の寿命を対価にして力を得たと話した。契約の時には黒い魔法陣と、人間ではない何かが現れたとも」
「それが、私とどうつながるんですか?」
「学園の古い記録に、よく似た契約が残されていた」
「……どんな契約ですか?」
「悪魔との契約だ」
クラリスの視線はリナから動かなかった。
「悪魔は、睡眠や感覚、記憶、寿命を対価にできる。魔力を与え、生まれ持たない属性適性さえ与えられる」
再試験の前に失った休息。
一週間だけ失った味覚。
契約で得た魔力。
後から手に入れた雷属性。
一つずつ並べられていく。
まだ否定はできる。
悪魔は普段、リナにしか見えない。
決定的な証拠があるわけではない。
だが、クラリスは疑いだけで話しているのではなかった。
訓練場から人を遠ざけ、リナ一人を呼び出している。
否定すれば、そのまま帰してもらえるとは思えなかった。
それに、リナは犯罪者を倒したことを悪いことだとは思っていない。
「私です」
クラリスの表情は変わらなかった。
「雷の義賊は、私です」
「そうか」
「でも、捕まえた人たちは全員生きています。警備隊の人たちも殺してません」
「分かっている」
クラリスは責めるような口調ではなかった。
「悪魔と契約していることも認めるのか?」
「はい」
「今も近くにいる?」
リナは隣に浮かぶ悪魔を見た。
「います」
クラリスも同じ場所へ目を向けた。
だが、その視線は悪魔を通り抜けた。
「私には見えないのだな」
「そうみたいです」
「エマを助けた時も、その悪魔と契約したのか?」
リナの表情が止まった。
「……エマから聞いたんですね」
「彼女を責めないでほしい。君を告発するために話したのではない」
「秘密にしろとは言いませんでした」
あの時、エマだから必要ないと思った。
話そうと思えば、誰にでも話せることは分かっていた。
それでも、本当に話すとは思っていなかった。
「エマだから、何も条件を付けなかったんです」
「彼女も、君が命を救ってくれたことに感謝している」
「だったら、どうして先輩に話したんですか?」
「君を助けたいからだ」
クラリスは迷わず答えた。
「契約者たちの寿命を使ったことも事実か?」
「はい。でも、エマの寿命は使ってません」
「君自身の寿命も使わなかったと聞いた」
「私が使える寿命を持っていたからです。何かおかしいですか?」
クラリスはすぐには答えず、リナへ視線を戻した。
「君が急に多くの魔力を使えるようになったのも、雷属性を得たのも、その悪魔との契約によるものか?」
「そうです」
「君自身は、何を対価にした?」
「最初は、七日分の休息です」
リナは指を折りながら答えた。
「次は味覚。自分の寿命も使いました。それから、記憶も」
「記憶……」
クラリスの声が低くなる。
「エマから聞いた。君は、母親を楽にするために学園へ入ったことを覚えていないそうだな」
「はい」
昼休みに、エマが急に母のことを尋ねた理由が分かった。
「母親との記憶を、契約で失ったのか?」
「全部じゃありません。怒られたことや、学費を出してくれたことは覚えています」
「では、何を失った?」
「母さんと一緒にいて、幸せだった記憶です」
クラリスが杖を握る手に、わずかに力を込めた。
「母親を亡くした直後の君から、悪魔が大切な記憶を奪ったんだな」
「奪われてませんよ」
「え?」
「私が払ったんです」




