第35話 忘れていた目的
「最近のリナに、何か変わったことはなかったか?」
放課後の生徒会室で、クラリスはエマへ尋ねた。
「変わったこと、ですか?」
「急に体調を崩した時期や、以前とは違う言動だ。小さなことでも構わない」
生徒会室には二人しかいない。
呼ばれた理由も、リナについて確認したいことがあるとしか聞かされていなかった。
「リナが、何かしたんですか?」
「まだ決めつけてはいない」
「まだ?」
「疑っていることがある。だが、先に私の考えを話せば、君の記憶までそちらへ引っ張られるかもしれない」
クラリスは机の上で手を組んだ。
「だから、まず君が見てきたリナのことを聞きたい」
エマはすぐには答えなかった。
クラリスが理由もなく誰かを疑う人ではないことは知っている。
それでも、親友について何かを探るように聞かれるのは気分がよくなかった。
「最近のリナは、前より元気です」
「そうか」
「実技の成績も上がりました。魔力の使い方も上手くなったし、学外依頼でも人を助けています」
「ああ。それは私も評価している」
「だったら、どうしてこんなことを聞くんですか?」
「リナが努力してきたことと、私が調べていることは別の問題だからだ」
クラリスの声は穏やかだった。
「実技で思うような結果を出せなかった頃から見てきた。今の実力が、何もせず手に入れたものではないことも分かっている」
エマは少しだけ肩の力を抜いた。
「体調を崩したことなら、何度かあります」
「いつ頃だ?」
「再試験の前です。寝ても疲れが取れないみたいで。あと、学外実習の時は食事をほとんど楽しんでませんでした」
「味が分からないような様子だった?」
「……そう見えました。でも、一週間くらいで元に戻りました」
クラリスの表情が、わずかに変わった。
「その後は?」
「むしろ調子がよくなりました。急に使える魔力が増えたみたいで」
「性格は?」
「自信は付きました」
以前なら黙っていた場面でも、今は自分の意見を言う。
難しい依頼にも参加する。
それを悪い変化だとは思いたくなかった。
「リナは頑張って強くなったんです」
「そうだな」
クラリスは否定しなかった。
「クラリス先輩は、リナを捕まえたいんですか?」
クラリスは、すぐには答えなかった。
「雷の義賊が、危険な契約を使っている可能性が高い」
「雷の義賊?」
「警備隊が捕らえた犯罪者の中に、特定のことだけ話すことも書くこともできない者がいた。人間の契約魔法で解除しようとして、一人が死亡した」
エマの顔から血の気が引いた。
「学園の古い記録には、それと似た契約が残されている。悪魔との契約だ」
「悪魔……」
「悪魔は魔力や適性を与える代わりに、睡眠、感覚、記憶、寿命まで対価にできると書かれている」
再試験前の疲労。
一週間ほど食事を楽しめなかった時期。
急に増えた魔力。
エマの中で、クラリスの質問が一つにつながった。
「義賊が逃げる時に使った炎魔法が、リナのものとよく似ていた」
「それだけでリナだって決めるんですか?」
「決めない。だから確認している」
クラリスは、まっすぐエマを見た。
「私はリナを処罰したくて君を呼んだのではない」
「じゃあ、何のためですか?」
「もしリナが悪魔に大切なものを奪われ、利用されているなら、助けるためだ」
エマの脳裏に、岩場で見たものが蘇った。
黒い角。
大きな翼。
人ではないもの。
『エマだから』
秘密保持を付けなかったリナの声も。
「……助けるんですか?」
「そのつもりだ。無理に契約へ触れれば、死亡した男と同じことが起こるかもしれない。だから、できる限り事実を集めてから本人と話したい」
エマは膝の上で両手を握った。
リナは、自分を信じた。
秘密にしろとも言わなかった。
だからといって、何も知らないままでよいのだろうか。
「私……」
声が震えた。
「私、リナに助けてもらったんです」
「助けてもらった?」
「岩場の事故で落ちた時です」
エマは、あの日のことを話した。
崖下で救助を待てば死ぬ可能性が高かったこと。
リナが悪魔へ、エマの寿命は使わないよう命じたこと。
自分の寿命も使わず、契約した人々から得た寿命を使ったこと。
複数人から分散し、その場で誰も死なないようにしていたこと。
そして、自分には秘密保持を付けなかったこと。
「私が今生きているのは、リナのおかげです」
「ああ」
「あの子は、本当に私を助けたかったんです。自分のためじゃありません」
「分かっている。君を助けたことまで否定するつもりはない」
クラリスは静かに尋ねた。
「使われた寿命が何年分だったか、聞いたか?」
「リナも知りませんでした」
「知らない?」
「必要な分を悪魔が計算して、何人かから少しずつ使ったって。リナは年数を聞かなかったそうです」
「その人々は、自分の残り寿命を使われることへ同意していたのか?」
「契約の時に説明して、使っていいって決めたものだと言っていました」
「それで、君はどう思った?」
エマは俯いた。
「分かりません」
命を救ってもらった。
感謝している。
それでも、人の寿命を必要な時のために貯めていると話すリナが怖かった。
「契約をやめてって頼みました。でも、リナは間違っていると思っていません」
「それがなければ、君が助からなかったからか」
「はい。それに、誰も死んでいないから大丈夫だって」
クラリスは目を閉じ、短く息を吐いた。
古い記録にあった寿命契約。
雷の義賊と契約した犯罪者。
そして今、リナが他人の寿命を実際に使用したという直接の証言が得られた。
「リナは、昔から人の寿命をそのように扱う人だったか?」
「違います」
エマはすぐに顔を上げた。
「昔のリナは、自分ばかり無理をする子でした。魔法学園へ来たのも、お母さんを楽にするためです」
「母親を?」
「魔法使いになって稼いで、お母さんを働かせなくて済むようにするって、何度も言っていました」
今のリナが、その話をすることはない。
母親が亡くなったと報告した時も、妙に感情が薄かった。
「母親が亡くなった後から、変わったと思うか?」
「分かりません。亡くなった直後だから実感がないんだと思っていました」
「古い記録には、記憶も契約の対価にできるとある」
「記憶を……」
「リナが何かを忘れていないか、確かめる必要がある」
「本人に聞くんですか?」
「今すぐ私から問い詰めれば、警戒される。できれば、君が普段の会話の中で確認してほしい」
エマは迷った。
既に一度、リナの信頼を破るような話をしている。
それでも、何もしないことが親友のためになるとは思えなかった。
「……分かりました」
◇
翌日の昼休み。
エマとリナは、食堂の端の席で昼食を取っていた。
「次の面談、入学した時の目標も聞かれるんだって」
エマが言うと、リナはパンをちぎりながら首を傾げた。
「そんなことまで?」
「今の目標と比べるんだって。リナは覚えてる?」
「魔法使いになって、ちゃんと稼ぐことかな」
「それから、お母さんを楽にするって」
リナの手が止まった。
「……私、そんなこと言ってたっけ?」
エマは一瞬、声が出なかった。
クラリスに言われたから、そう聞こえたのではない。
リナは本当に、何を言われたのか分からない顔をしている。
「言ってたよ」
「いつ?」
「何度も」
リナはしばらく黙っていた。
思い出そうとしているように見えた。
だが、やがて小さく首を振った。
「ごめん。覚えてない」
「学園に入った理由だよ」
「……忘れてた」
リナは少し考えてから付け足した。
「でも、母さんが学費を出してくれたことは覚えてるよ。仕送りもしてくれたし、よく叱られたことも」
「そういうことじゃなくて……」
エマは言いかけて、口を閉じた。
「エマは何て答えるの?」
リナはもう話を戻していた。
エマは残りの食事をほとんど味わえなかった。
◇
放課後。
エマはもう一度、生徒会室を訪れた。
クラリスは一人で待っていた。
「やっぱり、おかしいです」
扉を閉めるなり、エマは言った。
「何が分かった?」
「学園へ入った理由を、覚えていませんでした」
エマは、昼休みの会話をそのまま話した。
母を楽にしたいと何度も言っていたこと。
それが学園へ入った理由だったこと。
今のリナは、その目的そのものを忘れていたこと。
「嫌なことや、仕送りをしてもらった事実は覚えてるんです」
「だが、母親を大切に思っていた記憶がない」
「はい」
エマは両手を握った。
「お母さんが亡くなる前は、あんな言い方じゃありませんでした」
「悪魔との契約で、母親との大切な記憶を失った可能性が高い」
「戻せるんですか?」
「分からない。無理に解除すれば、死亡した男と同じことになるかもしれない」
エマの顔が青ざめる。
「では、どうするんですか?」
「残っている証言と記録を照合する。義賊とリナを結ぶ根拠を固めたうえで、本人に話す」
「私が話したことも、リナに言うんですか?」
クラリスは誤魔化さなかった。
「他人の寿命を使用したことについて確認するなら、隠し続けることはできないと思う」
エマは俯いた。
『エマだから』
もう一度、あの声を思い出す。
「リナは、私を裏切ったって思いますよね」
「そう思うかもしれない」
「それでも」
エマは顔を上げた。
「助けてください」
「ああ」
クラリスは頷いた。
二人とも、この時はまだ、悪魔からリナを引き離せば助けられると考えていた。




