第34話 悪魔契約
「亡くなった男は、解除するなと言っていたのですね」
クラリスが確認すると、警備隊員は重く頷いた。
「はい。ただ、理由は何も話しませんでした」
「話さなかったのではなく、話せなかったのでしょう」
警備隊の会議室には、前日の取り調べ記録が並べられていた。
男が途中まで線を引いた紙。
契約魔法の専門家が書いた術式の写し。
床に現れた黒い魔法陣を、隊員が記憶から描いたもの。
「通常の拘束契約なら、一時的に弱めても命に関わることはありません」
解除を担当した女が言った。
顔色は悪く、昨夜はほとんど眠っていないようだった。
「表面の拘束だけを外すつもりでした。ですが、私の術式が触れた瞬間、内側から別の術式が現れました」
「契約違反への罰ではないのですか?」
「違うと思います」
女は二つの魔法陣を指した。
「違反への罰なら、契約者が禁じられた行動を取った時点で発動します。今回は、私が術式を深く入れるまで何も起こらなかった」
「解除魔法そのものと衝突した」
「はい。私の術式と相手の術式が、男の身体の中で互いを引き剥がそうとした。それに、男の生命が耐えられなかったのだと思います」
クラリスは、取り調べ記録へ目を落とした。
本人は止めようとしていた。
それを押さえつけ、処置を続けた結果、人が一人死んだ。
「ほかの拘束者は?」
「全員、生きています」
隊員が答えた。
「同じように特定の質問へ答えられない者はいますが、体調に異常はありません。解除も、それ以上の調査も止めています」
「そうしてください」
少なくとも、契約を結んだ者が次々死んでいるわけではない。
死を招いたのは、昨日の解除処置だけだった。
「魔術機関からは?」
「現代の契約術式に一致するものはない、と」
警備隊員が一通の書状を机へ置いた。
「古い魔術の可能性があるため、学園の禁書庫を調べてほしいとのことです」
クラリスは黒い魔法陣の写しを見る。
雷の義賊を捕らえようとした夜。
炎の向こうにいた人物の動きが、頭から離れなかった。
まだ、リナだと決まったわけではない。
だからこそ、確かめる必要があった。
◇
魔法学園の図書館には、学生が入れない区画がある。
現在は使われていない術式。
危険な召喚魔法。
再現方法を広めるべきではない禁術。
そうした記録が、地下の書庫へ保管されていた。
クラリスは教師と司書の立ち会いを受け、警備隊から預かった魔法陣の写しを机へ広げた。
「黒い魔法陣だけでは、術式の系統も分からないな」
教師が言った。
「召喚術の可能性はありませんか?」
「何かを呼び出した痕跡は、現場になかったのだろう?」
「はい」
「なら、まずは契約と対価を扱う古い記録からだ」
司書が棚から数冊の本を運んでくる。
革の表紙はひび割れ、題名が読めないものもあった。
三人で、一冊ずつ確かめていく。
精霊との盟約。
土地に魔力を捧げる儀式。
死者の遺品を媒介にする呪術。
似た魔法陣はいくつかあったが、どれも一致しない。
日が傾き始めた頃。
クラリスは、一冊の薄い記録を開いた。
ほかの本よりさらに古く、文字の一部が擦れている。
「これは……」
頁の端に、小さな図が描かれていた。
人間を囲む、黒い円。
完全に同じではない。
だが、線の重なり方が、警備隊から預かった写しとよく似ていた。
見出しを読む。
「悪魔との契約」
教師と司書が、同時に顔を上げた。
「続けてくれ」
クラリスは、残っている文章を慎重に読み進めた。
悪魔は、人間の望みと対価を結ぶ。
金銀や魔道具。
血。
眠り。
五感。
記憶。
そして、寿命。
「寿命……」
警備隊で死亡した男を思い出す。
さらに先には、対価として差し出された品はその場から失われるとある。
「消えた盗品も、対価にされた可能性があります」
「現物を運ばずに消せるわけか」
教師が表情を険しくした。
別の頁には、契約によって魔力を得た者の記録があった。
生まれ持たなかった性質を得た例も、わずかに残されている。
「属性適性まで変えられる……」
クラリスの指が止まった。
雷の義賊は、高い威力の雷魔法を使う。
だが、あの夜に見せた炎壁は、リナのものと酷似していた。
火属性の人間が、後から雷属性を得たのだとすれば。
二つは矛盾しない。
「契約の解除について、何かないか?」
教師に促され、頁をめくる。
そこだけ、赤い文字で注意が残されていた。
悪魔の契約は、人間の契約魔法とは異なる。
対価と契約者の生命へ深く結びつき、外部からの解除は極めて危険。
「これです」
クラリスは記述を指した。
「昨日の事故と一致します」
「なら、残っている契約者には触れない方がいい」
「はい」
司書が、さらに古い頁を確かめる。
「記憶まで対価にできると書かれていますね」
クラリスは、もう一度その一文を見た。
記憶。
目に見えないものなら、失った本人も異常に気づけないかもしれない。
「悪魔は、契約者を操るのでしょうか」
「この記録だけでは分からん」
教師が答えた。
「少なくとも、望みを叶える代わりに、その人間の一部を受け取る。繰り返せば何を失うかは想像できる」
クラリスは黙って本を閉じた。
◇
図書館を出た頃には、外は暗くなっていた。
クラリスは廊下の窓から、寮の明かりを見る。
リナは、魔力量が足りずに進級試験へ失敗した。
それでも諦めず、二週間後の再試験に合格した。
その後も実力を伸ばし、人を助け、犯罪者を生け捕りにしてきた。
急に得た力だけを理由に、悪魔契約者だと決めつけることはできない。
努力していたことも、クラリスは知っている。
だが。
義賊の炎壁。
後から得られる属性適性。
消えた財物。
契約で封じられた犯罪者。
偶然で片づけるには、重なりすぎていた。
「もし、リナが契約しているなら……」
何を得たのか。
そして、何を失ったのか。
悪魔が弱っていた少女の望みを利用したのかもしれない。
本人は、自分で選んでいると思わされているだけかもしれない。
それを確かめずに、問い詰めるべきではなかった。
リナが最も信頼している相手。
学園へ入った頃から、すぐそばにいた生徒。
「エマに、話を聞こう」
クラリスは寮へ向かう明かりから目を離し、歩き出した。




