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第33話 ほどけない契約

「倉庫にあった金貨は、どこへ消えた?」


 警備隊員が尋ねると、右頬に傷のある男は黙り込んだ。


 町外れの倉庫で、仲間二人と一緒に縛られていた男だ。


 盗んだ商会の名も、襲った荷車の数も話した。


 倉庫へ運び込んだ財物についても、そこまでは素直に認めている。


 だが、雷の義賊に倒されたあとのことだけは答えない。


「義賊が持ち去ったのか?」


「…………」


「お前たちが別の場所へ移したのか?」


「…………」


「何か取引をしたのか?」


 男の喉が動いた。


 口がわずかに開く。


 それでも、声は出なかった。


「答えろ」


「知らねえ」


「今、何か言おうとしただろう」


「何も知らねえんだよ」


 男は顔を背けた。


 ただ黙っているのとは違う。


 言いたくないのではなく、言えないように見えた。


 隊員は一枚の紙とペンを机へ置いた。


「口で言えないなら書け」


「だから、知らねえって――」


「雷の義賊に倒されたあと、倉庫で何があった?」


 男は舌打ちし、ペンを取った。


 紙へ先端を押し付ける。


 一本、線を引く。


 その先が続かない。


 手の甲に血管が浮くほど力を入れているのに、指が動かなかった。


「くそっ」


 男がペンを投げる。


「書けねえんだ!」


「書けない?」


「俺が知るか!」


 警備隊員は、隣で記録を取っていた同僚を見た。


 同じように、特定の質問だけ答えられない者がほかにもいる。


 ただの口裏合わせではなかった。


          ◇


 その日の午後。


 契約魔法を専門とする魔法使いが、警備隊の詰所へ呼ばれた。


 白髪交じりの女で、商会同士の契約や、違法な拘束契約の解除を仕事にしている。


 女は男の胸元へ小さな金属板を当て、魔力を流した。


 刻まれた文字が淡く光る。


「契約魔法が掛けられていますね」


「どのようなものですか?」


「発言を制限する拘束契約だと思います」


 女は金属板へ浮かんだ光を確かめる。


「少し強く掛けられていますが、珍しいものではありません」


「解除できますか?」


「完全に解除する必要はありません。一時的に拘束だけ弱めれば、話せるようになるはずです」


 男の顔から血の気が引いた。


「待て」


 女が男を見る。


「どうしました?」


「やめろ」


「契約を少し弱めるだけです」


「触るな」


 男が椅子を鳴らして立ち上がろうとする。


 後ろにいた隊員が肩を押さえた。


「暴れるな」


「違う! あれに触るな!」


「理由は?」


「それは――」


 男の言葉が止まった。


 口を開いたまま、何も続かない。


「……くそっ」


 女はその様子を見て、小さく息を吐いた。


「こういう反応をする人は、以前にもいました」


「以前にも?」


「違法な契約を結ばせる者は、『解除すれば死ぬ』『術者に殺される』と契約者を脅すことがあります」


 男が激しく首を振る。


「違う!」


「これまでにも、解除を怖がって暴れた契約者を何人か処置しています」


「危険は?」


「一時的に拘束を弱めるだけです。多少の痛みや魔力酔いが出ることはありますが、これまで生命に関わる問題が起きたことはありません」


「やめろ!」


 男が再び暴れる。


 隊員が両肩を押さえ、別の隊員が椅子へ拘束具を取り付けた。


「始めてください」


「分かりました」


「やめろ! 本当に――」


 その先は、また声にならなかった。


 女は新しい金属板を男の胸へ当てる。


 床へ、人間の契約魔法で使われる青い術式が広がった。


「拘束部分だけを一時的に切り離します」


 青い光が男の身体へ入る。


 最初は何も起こらなかった。


「問題ありません」


 女が術式を一段深くする。


 その瞬間。


 男の足元に、黒い線が浮かび上がった。


「……何?」


 女の表情が変わった。


 青い術式の内側から、見覚えのない黒い魔法陣が広がっていく。


「止めます!」


 女が杖を上げる。


 青い光を消そうとする。


 だが、消えない。


 二つの術式が重なった場所から、耳障りな音が響いた。


「が、ああああっ!」


 男の背が大きく反る。


 拘束された腕が跳ね、椅子の脚が床を削った。


「術式を切れ!」


「切っています! 反応が戻ってこない!」


 女が杖を振る。


 青い線を一本ずつ消していく。


 だが、黒い線がそれへ絡みつくように男の身体へ沈んでいく。


「助け――」


 男の声が途切れた。


 身体から力が抜ける。


 黒い魔法陣も、青い術式も、同時に消えた。


「おい」


 隊員が男の肩を揺らす。


 返事はない。


 専門家が震える手を首へ当てた。


 しばらくして、ゆっくりと手を離す。


「……亡くなっています」


 部屋の中から、誰の声もなくなった。


          ◇


 同じ頃。


 リナは寮の机で、翌日の課題を書いていた。


 悪魔はベッドの端に座り、子ども向けの騎士物語を読んでいる。


 不意に、本を閉じた。


「契約者との接続が一つ消失した」


 リナのペンが止まる。


「消失?」


「契約者が死亡した」


「……誰?」


「最初に町外れの倉庫で契約した、顔に傷のある男だ」


 リナは男の顔を思い出した。


 三人の中で最初に契約した男。


 警備隊へ渡す前に、寿命の使用権と秘密保持、必要な行動制限を付けた。


「私、その人の寿命を使った?」


「今は使っていない」


「じゃあ、どうして死んだの?」


「外部から契約へ干渉された」


 悪魔は淡々と答えた。


「人間の術式が接続を切り離そうとし、私の契約と衝突した。契約者の生命が破損に耐えられなかった」


「契約を破った罰?」


「違う。違反に対する処理は実行されていない」


「それなら……」


 自分が殺したわけではない。


 寿命も使っていない。


 契約の条件に従って、悪魔が殺したわけでもない。


 誰かが勝手に契約を外そうとして、失敗した。


 そういうことだった。


「私が何かしなくても、そうなるの?」


「今回はそうだ」


「解除できないって、知らなかったのかな」


「知らなかった可能性はある」


「……そっか」


 リナはペンを置いた。


 胸の奥が、少し落ち着かない。


 殺すつもりはなかった。


 契約した人が死なないよう、使う寿命も調整していた。


 それなのに、一人死んだ。


 しばらく黙ったあと、リナは尋ねた。


「その人から使えた寿命は、どうなるの?」


「死亡と同時に使用権は消失した」


「もう使えない?」


「使えない」


 せっかく契約したのに。


 まだ使える分は残っていたはずだった。


「安全に使える寿命の総量は、どのくらい減った?」


 悪魔が答える。


 リナはその量を聞き、少し眉を寄せた。


「まだ、しばらくは足りる?」


「現在の使用を続けるだけなら足りる」


「なら、いいか」


 リナは課題へ戻った。


 警備隊が契約を調べているのなら、しばらく夜の活動を休むという判断は正しかった。


 次に契約者を増やす時は、解除しようとすると危険だと、先に説明させた方がいいかもしれない。


          ◇


 警備隊の詰所では、死亡した男が別室へ運ばれていた。


 契約魔法の専門家は、男の胸元へもう一度金属板を当てていた。


「……おかしい」


「何か分かったんですか?」


「先ほどまでは見えませんでした」


 金属板には、青い光とは別に、細い黒い線が浮かんでいる。


「解除術式を掛ける前に調べた時は、普通の拘束契約とほとんど変わらなかったんです」


「では、これは?」


「分かりません」


 女は男の身体に残った魔力の痕跡を追う。


 契約が失われたはずの場所に、黒い術式の残滓が焼き付くように残っていた。


「私が使った術式とは構造が違います」


「どの程度?」


「違う術式というより……」


 女が言葉を探す。


「同じ契約魔法として扱っていいものなのかも分かりません」


 隊員が黙る。


「解除したから、この男は死んだんですか?」


「私の術式と、この黒い術式が衝突したのだと思います」


「契約を破った罰では?」


「違います」


 女は首を横に振った。


「契約違反に対する処理なら、この男自身の行動に反応するはずです。今回は、私が解除術式を深く入れた瞬間に起きた」


 床にも、青い術式の焼け跡に重なるように黒い線が残っている。


「通常の契約魔法ではありません」


「何の契約か分かりますか?」


「分かりません」


 女は黒く焦げた線を見つめた。


「少なくとも、私が今まで扱ったどの術式とも違います」


 警備隊員は、机の上に残された取り調べ記録を見た。


 雷の義賊。


 消えた盗品。


 話すことも、書くこともできない犯罪者。


 そして、通常の解除術式と衝突して人を死なせた、正体不明の契約。


「ほかの拘束者には、絶対に解除を試すな」


「はい」


「魔術機関と、学園へ照会を出す」


 これまでとは違う何かが、町の中で使われていた。


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