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第31話 親友だから

 学園から少し離れた岩場で、実技実習が行われていた。


「次、エマたちの班!」


「はい!」


 教師の声に、エマは杖を持って立ち上がった。


 今日の課題は、岩場に置かれた標的への攻撃魔法。


 ただ当てればいいわけではない。


 指定された威力を超えないよう、魔力を調整して撃つ。


「標的の外へ撃つなよ」


 教師が念を押す。


「実地訓練だ。外せば周囲を壊すと思え」


「はい」


 三人が順番に標的へ魔法を撃つ。


 エマの水弾が標的の中央へ当たった。


「よし。威力も範囲内だ」


「ありがとうございます」


 エマが下がる。


 次の男子生徒が前へ出た。


「始め」


「《岩弾》!」


 地面から持ち上がった岩が、標的へ飛ぶ。


 少し大きい。


「あ」


 岩弾は標的の端を砕き、そのまま軌道を逸らした。


 勢いを残した岩が、背後の岩壁へ直撃する。


 鈍い音がした。


「下がれ!」


 教師が叫んだ。


 岩壁に、一本の亀裂が走る。


 さらに枝分かれする。


「エマ!」


「え――」


 足元が揺れた。


 エマの立っていた場所だけが、岩ごと崩れた。


「きゃあっ!」


 手を伸ばす。


 届かない。


 土と石と一緒に、身体が崖下へ落ちていく。


「エマ!」


 上から誰かの声が聞こえた。


 直後。


 背中を何かに強く打ちつけた。


 息が止まる。


 さらに転がる。


 腕。


 脚。


 肩。


 何度も岩へぶつかり、最後に大きな木の根元で身体が止まった。


「…………」


 声が出なかった。


 息を吸おうとすると、胸の奥が痛んだ。


 遠く。


 ずっと上の方から、人の声が聞こえる。


「エマ!」


「返事をしろ!」


 口を開く。


「……ここ……」


 自分でも聞こえないほど小さかった。


          ◇


 赤い救難信号が上がってから、学園はすぐに動いた。


 治療魔法を扱える教師。


 担架。


 縄。


 崖を下りるための装備。


 救助に必要なものが正門へ集められていく。


「何かあったんですか?」


 授業を終えて寮へ戻ろうとしていたリナが、騒ぎに足を止めた。


 近くにいた生徒が答える。


「学外実習で事故だって」


「事故?」


「崖が崩れたみたい。生徒が一人落ちたって」


 リナは救助用の担架を見る。


「誰?」


「確か……エマって」


「どこ?」


「え?」


「実習場所、どこ?」


「東の岩場だったと思うけど」


 リナはもう走り出していた。


「リナ!」


 後ろから呼ばれた。


 振り返らなかった。


          ◇


 岩場へ着いた時には、救助隊が崖の上に集まっていた。


「もっと長い縄を!」


「下が見えません!」


「岩盤がまだ動いている! 一度に下りるな!」


 崩れた場所の周囲には、新しい亀裂がいくつも走っている。


 教師が崖下を覗き込んでいた。


「エマは?」


 リナが駆け寄る。


「リナ?」


「エマはどこですか?」


「落下地点はこの下だ。だが、途中で斜面を滑ったらしく姿が確認できない」


「救助は?」


「今、降下経路を作っている」


「どのくらいかかりますか?」


「分からない。岩盤を確認しながら――」


 リナは崖の向こうを見た。


 この辺りには来たことがある。


 依頼で何度か近くを通った。


「下流側から谷に入れます」


「何?」


「少し遠回りですけど、下から入れる道があります」


「待て、リナ」


「そこなら縄はいりません」


「一人で行くな!」


 リナは足を止めた。


「でも、エマは下にいるんですよね」


「分かっている。だから救助隊が――」


「私、道を知ってます」


 教師を見る。


「先に行きます。見つけたら信号を上げます」


「リナ」


「お願いします」


 教師は一瞬迷った。


 崖を見る。


 準備中の縄を見る。


 もう一度、リナを見る。


「君の救助依頼の実績は把握している」


「はい」


「道から外れるな。見つけても無理に動かさず、すぐ信号を上げろ」


「はい」


「救助隊も後から同じ道を向かわせる」


「分かりました」


 許可を聞き終えるより早く、リナは走り出した。


          ◇


 細い獣道を下る。


 枝が腕へ当たる。


 足元の石を蹴る。


 何度か滑りそうになった。


「エマ!」


 返事はない。


「エマ!」


 谷底へ出る。


 崩れた岩と折れた枝が、あちこちに散らばっていた。


 その先。


 木の根元に、制服が見えた。


「エマ!」


 駆け寄る。


「……リナ?」


 目が開いた。


「よかった」


 リナは膝をついた。


 よくはなかった。


 制服は泥と血で汚れている。


 右脚が不自然な方向へ曲がっていた。


 額からも血が流れている。


 呼吸は浅い。


「動かないで」


「動けない……」


「今、先生たちが来るから」


 リナは腰の信号筒を空へ向けた。


 赤い光が谷の上へ昇る。


「見つけたから。もう大丈夫」


「……うん」


 エマが少しだけ笑った。


 その直後。


「っ……」


 顔が歪む。


「痛い?」


「胸……息すると……」


「喋らなくていいよ」


 リナは治療魔法を使った。


 傷口から流れる血を止める。


 だが、身体の内側までは分からない。


 呼吸は弱いままだった。


「ねえ」


「何だ」


 いつの間にか、悪魔が隣に立っていた。


「エマ、助かる?」


 悪魔がエマを見る。


「このまま救助を待てば、死亡する可能性が高い」


 リナの顔から表情が消えた。


「契約なら?」


「可能だ」


「やって」


「条件を決める必要がある」


「前に護衛の人を助けた時と同じでいい」


「傷の状態が異なる」


 悪魔は淡々と答える。


「骨折だけではない。身体内部にも損傷がある」


「治せる?」


「人間の治療魔法で救命可能な状態までなら修復できる」


「それでいい」


 悪魔が対価を告げようとする。


「受益者本人が寿命を支払う場合――」


「エマのは使わないで」


 悪魔が止まった。


 エマが僅かに目を開く。


「……寿命?」


「大丈夫」


 リナはすぐ答えた。


「エマのは使わないから」


「では、お前が払うか?」


「私のも使わない」


 リナは迷わなかった。


「私が持ってる寿命から払って」


 エマの目が動いた。


「……持ってる?」


「うん」


 リナは悪魔を見る。


「足りるよね?」


「足りる」


「じゃあ、それで」


「他者の寿命をエマの修復へ使用するため、本人の寿命を使う場合より必要量は増える」


「いいよ」


「必要量を聞くか?」


「いらない」


 リナはエマの手を握った。


「助かるなら、それでいい」


 エマは何か言おうとした。


「待って……誰の……」


「あとで話すから」


「でも――」


「今は助かる方が先」


 リナは悪魔へ向き直った。


「契約して」


「エマ本人の同意も必要だ」


 リナがエマを見る。


「エマ」


「…………」


「これなら助かる」


 エマは苦しそうに息を吸った。


「リナの……寿命じゃないの?」


「違うよ」


「私のも?」


「使わない」


「……じゃあ、誰の……」


「私が契約でもらった人たちの」


 エマは目を見開いた。


「ちゃんと使っていいって契約してるから」


 リナは安心させるように言った。


「今回の支払いで誰かが死ぬこともないよ」


 エマは答えなかった。


 遠くから、人の声が聞こえ始めている。


 救助隊がこちらへ向かっている。


「エマ」


 リナがもう一度呼ぶ。


「死んでほしくない」


「…………」


「お願い」


 しばらくして、エマが小さく頷いた。


「……分かった」


 悪魔の足元から、黒い魔法陣が広がった。


 エマの身体が強張る。


 彼女の目には、リナの隣にいる存在が、いつもの小さな姿には見えていなかった。


 黒い角。


 大きく広がる翼。


 人ではないもの。


 エマの指が震える。


「リナ……それ……」


「大丈夫だよ」


 リナは手を離さなかった。


「悪魔だけど、契約はちゃんと守るから」


 悪魔が契約内容を確認する。


「私は、リナが使用権を保有する者たちの残り寿命から、必要量を分散して使用する」


「今回の支払いによって、残り寿命が尽きる者は出ない」


「その対価として、エマの傷を、人間の治療魔法によって救命可能な状態まで修復する」


 悪魔がリナを見る。


「エマへ秘密保持を課すか?」


「いらない」


「条件から除外する」


「うん」


 リナはエマを見る。


「エマだから」


 エマの唇が僅かに動いた。


「相違ないか?」


「ない」


 次に、エマを見る。


「相違ないか?」


「……ない」


「契約するか?」


「する」


 リナも答える。


「する」


 魔法陣が光った。


 リナから伸びるいくつもの黒い糸が、空中へ浮かび上がる。


 一本。


 二本。


 さらに別の糸からも、少しずつ黒い光が流れてくる。


 エマがそれを見ていた。


「…………」


 黒い光が悪魔へ集まり、形を変えてエマの身体へ入る。


「っ……!」


 曲がっていた脚が、ゆっくりと元の位置へ戻っていく。


 胸の内側で起きていた損傷も修復されていく。


 完全に治るわけではない。


 傷も残る。


 それでも、浅かった呼吸が少しずつ深くなった。


 青ざめていた顔に、僅かに色が戻る。


「エマ?」


「……息、できる」


 リナの肩から力が抜けた。


「よかった……」


 本当に。


 心の底から、そう思った。


          ◇


 救助隊が到着したのは、その少し後だった。


「エマ!」


 治療担当の教師が駆け寄り、すぐに状態を確認する。


「脚を固定する!」


「内臓の損傷は……思ったより軽い?」


 教師が首を傾げた。


「落下距離を考えれば、もっと酷くてもおかしくないが……」


 リナは何も言わなかった。


 エマも黙っていた。


「リナ、よく見つけた」


「はい」


「信号も確認した。ここからは任せろ」


「お願いします」


 担架へ乗せられるエマの手を、最後まで握っていた。


          ◇


 三日後。


 エマは学園の医務室にいた。


 右脚には固定具が付けられている。


 まだ自分で歩くことはできない。


 それでも、命に別状はない。


「暇」


「本読めば?」


「もう飽きた」


「三日しか経ってないよ」


「三日もだよ」


 ベッドの隣で、リナが果物を剥いていた。


「これ食べる?」


「食べる」


「はい」


 切った果物を皿へ置く。


 以前と同じだった。


 いつものリナ。


 エマは果物を一つ取った。


「……リナ」


「何?」


「あの日のこと、聞いていい?」


 リナの手が止まった。


「悪魔のこと?」


「うん」


「いいよ」


 隠す様子はなかった。


「私を治すのに使った寿命」


「うん」


「あれ、誰のだったの?」


「契約した人たちの」


「人たち?」


「一人じゃないよ」


 リナは果物をもう一つ切った。


「一人から全部取ると危ないから、何人かから少しずつ使ってるの」


「その人たちは……知ってるの?」


「契約した時に説明してるよ」


「自分の寿命をリナが使うって?」


「うん」


 エマはリナを見る。


「何年使ったの?」


「知らない」


「……え?」


「聞いてないから」


 リナは何でもないことのように答えた。


「悪魔が必要な分を計算して、今回の支払いで誰も死なないように分けて使ってくれたから」


「でも……寿命なんでしょ?」


「そうだよ」


「その人たち、寿命が短くなったんだよね?」


「使った分はね」


「それで、大丈夫なの?」


 リナが不思議そうにエマを見る。


「大丈夫だよ」


「どうして?」


「誰も死んでないから」


「そうじゃなくて……」


 エマは言葉に詰まった。


 リナは少し考える。


「エマの寿命は減ってないよ」


「私のことじゃない」


「でも、エマを助けるために使ったんだよ?」


「それは分かってる」


「じゃあ、よかったじゃん」


 リナは笑った。


「持っててよかった」


「……持ってて?」


「寿命」


 何でもないものを話すような声だった。


「必要な時のために貯めてるの」


 エマの指が、シーツを握った。


「リナ」


「何?」


「もう、そういう契約やめない?」


 リナの笑みが少し消えた。


「どうして?」


「怖いよ」


「何が?」


「人の寿命を貯めて、使うのが」


 リナはしばらく黙った。


「でも」


 皿の上の果物を見る。


「それがなかったら、エマは助からなかったかもしれないよ」


「…………」


「先生たちが来るまで待ってたら危なかったって、悪魔も言ってた」


「うん」


「私はエマに死んでほしくなかった」


 その言葉だけは、迷いがなかった。


「だから使った」


 エマは何も言えなかった。


 リナは本当に自分を助けたかったのだ。


 自分の寿命を一日も使わせず。


 自分が持っているものを使って。


 命を助けてくれた。


「それに」


 リナが続ける。


「勝手に取った寿命じゃないよ」


「…………」


「ちゃんと契約して、私が使っていいって決めたものだから」


 リナは皿をエマへ近づけた。


「だから気にしなくて大丈夫」


 エマは果物を取れなかった。


          ◇


 その夜。


 医務室の明かりが消えても、エマは眠れなかった。


 リナに助けてもらった。


 それは間違いない。


 リナが来なければ、自分は死んでいたかもしれない。


 リナは自分の寿命を使わせなかった。


 秘密にしろとも言わなかった。


『エマだから』


 あの言葉を覚えている。


 信じてもらっている。


 親友だと思ってもらっている。


 だから。


 誰にも話せなかった。


 けれど。


『必要な時のために貯めてるの』


 目を閉じても、その言葉だけが消えなかった。


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