第30話 助けを求める列
「この人たちも、力がなくて困っているんです」
女の言葉に、並んでいた三人が頭を下げた。
片足を引きずる少年。
小さな娘の手を握る、痩せた母親。
古びた杖を抱えた老人。
リナは三人を見回した。
「契約には、寿命が必要だって聞いてますか?」
「話しました」
女が答える。
「力の代わりに、自分の寿命を払うことも。それが戻らないことも」
三人とも帰ろうとはしなかった。
「分かりました。でも、全員に何でもできるとは限りません」
リナは念を押した。
「何が欲しいのか、一人ずつ聞かせてください」
◇
最初は、片足を引きずっていた少年だった。
「この脚を、普通に動かせるようにしたいです」
少年は右脚を押さえた。
「二年前、荷車に轢かれました。治療は受けたんですけど、骨がうまく戻らなかったみたいで」
「今は何の仕事をしてるの?」
「荷物の配達です」
「その脚で?」
「走れないから、いつも遅いって怒られます。このままだと、次に遅れたら辞めさせるって」
治療魔法をもう一度受ける金はない。
ほかの仕事を探しても、脚を見られるだけで断られる。
「脚を治すことはできる?」
リナが隣へ尋ねる。
「できる」
少年の視線が、リナの隣で止まった。
息を呑んだが、その場には残った。
「完全に元どおりにすると、対価は?」
悪魔が必要な寿命を告げる。
「もう少し安くできない?」
「修復する範囲を狭めれば可能だ」
「仕事に遅れないくらい歩けて、少しなら走れる。それだけなら?」
「痛みの原因となる歪みを修復し、歩行に必要な筋肉だけを調整する。寿命二年だ」
リナは少年へ向き直った。
「速く走れるようになるわけじゃないよ。普通に歩いて、短い距離なら走れるくらい」
「それで十分です」
「二年分は戻らない」
「はい」
「今、決めなくてもいいよ」
「今、決めたいです」
少年は右脚を見た。
「このまま何十年あっても、仕事を失ったら妹たちを食べさせられないから」
リナは頷いた。
「お金も、残った寿命の使用権もいらない。ほかの条件も付けないで」
「分かった」
黒い魔法陣が、少年の足元へ広がった。
悪魔が契約内容を読み上げる。
少年は自身の寿命二年を支払う。
その対価により、右脚の歪みを修復し、通常の歩行と短距離の走行ができる状態へ整える。
それ以外の条件はない。
「契約するか?」
「します」
光が収まる。
少年は恐る恐る、右足を地面へ着けた。
一歩。
もう一歩。
今までのように、身体が横へ傾かない。
「痛くない……」
歩く速度が上がる。
路地の端まで走り、転ばずに戻ってきた。
「走れた」
呆然と呟いたあと、何度も頭を下げる。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「慣れるまでは、急に重い物を持たないでね」
「はい!」
少年の声を聞き、残る二人の表情から不安が少し消えた。
◇
次は、小さな娘を連れた母親だった。
「この子に、魔法を使えるようにしてほしいんです」
母親は、娘の肩へ手を置いた。
「魔法が使えれば、私のような仕事しか選べないこともないと思って」
「本人が寿命を払うことになるけど、それも聞いてる?」
「私が払います」
「この子の力を、お母さんの寿命で買うの?」
「はい」
リナは悪魔を見る。
「できる?」
「可能だ。ただし、支払う者と力を得る者が異なる。必要な対価は大きくなる」
告げられた年数に、母親の顔が青ざめた。
それでも、娘の肩を抱く手は離さない。
「それで、この子が魔法使いになれるなら」
「待って」
リナはしゃがみ、娘と目を合わせた。
「あなたは、魔法を使えるようになりたい?」
娘は母親を見上げた。
「分かんない」
「じゃあ、何が欲しい?」
しばらく考えてから、小さな声で答えた。
「お母さんに、早く帰ってきてほしい」
母親が目を伏せる。
朝から洗濯場で働き、日が沈んでからも水桶を運んでいるらしい。
身体が弱く、ほかの者より仕事が遅いため、帰る時間も遅くなる。
「魔法じゃなくて、お母さんの身体を少し強くするのは?」
リナが聞いた。
「重い桶を運べて、今より疲れにくくする。そうすれば、仕事も早く終わるんじゃない?」
母親が目を見開く。
「そんなことも、できるんですか」
「できるよ」
リナは必要な強さを悪魔へ伝えた。
荷運びの男と争える力はいらない。
一日中走れる速さもいらない。
水桶を安全に持ち上げ、今より少し長く働ければいい。
「その内容なら、寿命一年だ」
母親は、娘のために魔法適性を買うよりはるかに少ない年数を聞き、力が抜けたように座り込んだ。
「それで、お願いします」
この契約にも、金銭や秘密保持は付けなかった。
残り寿命の使用権も取らない。
母親は自身の寿命一年を支払い、安全に扱える範囲で筋力と持久力を得た。
契約が終わると、娘を軽々と抱き上げる。
「お母さん、すごい」
「これなら、明るいうちに帰れるかもしれない」
母親は泣きながら笑った。
娘も、つられて笑った。
リナは、最初に求められたものをそのまま与えなくてよかったと思った。
高い力を買わなくても、困っていることを解決できる場合がある。
寿命だって、必要以上に払うことはない。
◇
最後の老人は、土属性の魔法使いだった。
「古い長屋の壁を直して回っております。ですが、年を取って魔法の威力が落ちまして」
雨の季節までに、崩れそうな壁だけでも直したいという。
「魔力量じゃなくて、土魔法の威力だけを上げたい?」
「はい。今ある魔力で、もう少し広く直せれば十分です」
リナは悪魔へ条件を伝えた。
老人の身体が耐えられる範囲で、必要な分だけ土魔法を強くする。
「寿命二年だ」
「払います」
老人は迷わなかった。
「あの長屋には、行く場所のない者が大勢おりますので」
今回も、リナは金も残り寿命の使用権も求めなかった。
契約を終えた老人が、試しに路地の欠けた石へ杖を向ける。
持ち上がった土が隙間を埋め、ひび割れた部分を硬く覆った。
「これなら、雨までに間に合います」
老人は嬉しそうに笑った。
◇
「何か、お礼をさせてください」
三人との契約が終わったあと、母親が言った。
「いらないよ」
「でも、何も取らずにこれだけのことをしてもらうなんて」
「寿命は自分たちで払ったでしょ。私は、契約を手伝っただけだから」
それでも、三人は納得しなかった。
片足を引きずっていた少年が言う。
「俺にできることなら、何でもします」
「何でもは駄目だよ」
リナは少し考えた。
「じゃあ、本当に悪い人のことを知っていたら教えて」
三人が顔を上げる。
「でも、自分で捕まえようとはしないで。噂だけで誰かを悪人だって決めるのも駄目。どこで、何をしていたかだけ教えてくれれば、私が確かめるから」
「分かりました」
最初に情報を持ってきた女も頷いた。
「私が話を集めます。誰から聞いたのか、実際に被害を受けた人がいるのかも、できるだけ確かめておきます」
「助かります」
リナは素直に答えた。
自分一人で町中を歩き、手配書と噂を探すより早い。
その分、助けを必要としている人のところへ早く行ける。
力を与えた人たちが、別の人を助ける。
それは、とても良いことのように思えた。
◇
それから数日。
女のもとには、困っている者の話と、犯罪者の情報が少しずつ集まるようになった。
リナは、すべての願いを叶えたわけではない。
仕返しのために炎魔法を強くしたいと言う者は断った。
働かずに金を稼げる力が欲しいという願いも断った。
本人が寿命の意味を理解できていない時は、契約させなかった。
誰かを守りたい。
働けるようになりたい。
今ある魔法を、生活に使える程度まで強くしたい。
そうした願いだけを聞き、必要な対価を一つずつ確かめた。
助けられた者は、リナの正体を知らない。
それでも、雷の義賊を恩人と呼んだ。
犯罪者を倒すだけではない。
寿命と引き換えに、力のない者へ生き方を変える力を与えてくれる。
そんな噂が、北区から町のほかの場所へも広がり始めていた。
◇
寮へ戻ると、悪魔は机の上で絵本を開いていた。
「今日はそれなんだ」
「そうだ」
「どんなお話?」
「不思議な力を持つ者が、村人の願いを叶える話だ」
「へえ。最後はどうなるの?」
「村人は、その者を守り神として祀る」
「私は、そんな大げさなのじゃないよ」
リナは外套を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。
「少し、契約を手伝ってるだけ」
「そうか」
悪魔は、それ以上何も言わずにページをめくった。
机の端には、女から受け取った新しい紙が置かれている。
助けを求めている者の名前と、困っていること。
町で人を脅している者の居場所。
明日、確かめることがまた増えていた。




