第29話 守るための風
女から受け取った紙には、北区の外れにある古い荷置き場が記されていた。
男たちが来るのは、日が沈んでから。
リナは少し早めに着き、向かいの建物の屋根から様子を見ていた。
荷置き場の前には、十人ほどの子どもがいる。
花を入れた籠を抱えた子。
靴磨きの道具を持った子。
荷運びを終えたらしく、汚れた手で銅貨を数えている子もいた。
「あの子たち?」
「紙に記された場所とは一致する」
隣に座る悪魔が答えた。
「男たちは、まだ来てないみたいだね」
「そうだな」
リナは屋根の縁から、通りを見下ろした。
しばらくすると、三人の男が現れた。
子どもたちの話し声が止まる。
「今日の分を出せ」
先頭の男が手を差し出した。
子どもたちは一人ずつ、小さな袋から銅貨を渡していく。
最後に残ったのは、十五歳くらいの少女と、その後ろに隠れた幼い男の子だった。
「これだけです」
少女が差し出したのは、銅貨三枚だった。
「昨日も足りなかったよな」
「弟が熱を出して、薬を買ったから」
「そんなの、俺たちには関係ねえよ」
男が少女の手から銅貨を奪う。
さらに後ろの男の子へ手を伸ばした。
「そいつも何か持ってるだろ」
「やめて!」
少女が前へ出た。
両手を突き出す。
「《風よ》!」
弱い風が吹いた。
男の上着を揺らしただけで、足を止めることもできない。
「何だ、それ」
男が笑った。
「そんな魔法で、誰を守るつもりだ?」
少女の頬を平手で打つ。
倒れかけた身体を、後ろの子どもたちが支えた。
リナは屋根から飛び降りた。
「その子たちから離れてください」
三人の男が振り返る。
灰色の外套と、口元を隠す布。
一人が、すぐに顔を引きつらせた。
「雷の義賊……」
「知ってるなら、話が早いです」
リナは杖を向けた。
「取ったお金を返して、警備隊が来るまで大人しくしてください」
「ふざけるな!」
男の一人が短剣を抜いた。
「《雷矢》」
白い光が短剣を弾く。
手を押さえて怯んだ男の足元へ、二本目を落とした。
「ぐあっ!」
倒れた男を飛び越え、残る二人が左右へ分かれる。
一人は杖を構えた。
もう一人は、子どもの腕をつかもうとする。
リナは杖を持つ手へ雷を当てた。
杖が石畳へ落ちる。
続けて、子どもへ伸びた腕のすぐ横へ雷を走らせた。
「ひっ!」
男が手を引く。
「子どもを盾にしないで」
「待て! 分かった、もう――」
「《雷矢》」
言い終える前に、足を撃った。
男が膝から崩れる。
残った一人が逃げ出そうとしたが、荷置き場の出口へ届く前に倒れた。
三人とも生きている。
リナはそれを確かめてから、子どもたちへ振り返った。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です」
頬を赤くした少女が答えた。
リナは男たちの懐から、先ほど集めていた銅貨の袋を取り出した。
「自分の分、分かる?」
子どもたちが頷く。
「じゃあ、返してもらって」
おそるおそる近づき、それぞれが働いて得た銅貨を取っていく。
幼い男の子も二枚を受け取ると、胸元へ大切そうにしまった。
◇
子どもたちを少し離れた場所へ移したあと、リナは男たちを一人ずつ起こした。
「殺さずに警備隊へ渡します。その代わり、契約してください」
「待ってくれ。俺たちは、金を少し――」
「子どもを殴って、お金を取ってたよね」
「それは……」
「必要な条件は全部付けて。対価はこの人たちから取って」
悪魔が、それぞれに契約内容と必要な対価を告げる。
リナは年数を尋ねなかった。
秘密を話せないこと。
リナを直接にも間接にも害せないこと。
契約を邪魔しないこと。
残った寿命を、リナが必要な時に使えること。
三人が契約を終えると、リナは手足を縛った。
荷置き場を離れる前に、警備隊が見つけられる場所へ印を残す。
これで、この子たちから金を取る者はいなくなる。
「終わりました」
待っていた子どもたちへ告げると、安堵した声が広がった。
「ありがとうございます」
少女が頭を下げる。
「あなたが止めようとしたから、あの子のお金も取られずに済んだね」
「でも、私の魔法じゃ何もできませんでした」
少女は唇を噛んだ。
「風の適性はあるんです。でも、あれくらいしか使えなくて」
男に笑われた時より、悔しそうな顔だった。
「名前は?」
「ハンナです」
「ハンナは、強くなったら何をしたいの?」
「この子たちを守りたいです」
迷わず答えた。
「あの人たちみたいなのを、一人で倒せなくてもいいんです。誰かが助けを呼ぶまで、近づけないくらいでいい」
リナは悪魔を見る。
「風魔法を強くすることもできる?」
「できる」
「新しい適性を付けるより安い?」
「すでに持つ適性を強化する方が、必要な対価は少ない」
ハンナが、リナの隣へ目を向けた。
肩を震わせたが、逃げはしなかった。
「どのくらい強くできる?」
「望む強さによる」
「さっきの男たちを吹き飛ばせるくらいなら?」
悪魔が必要な寿命を答えた。
「高いなあ……」
リナは腕を組んだ。
「倒さなくていいんだよね?」
「はい。逃げる時間が作れれば」
「じゃあ、大人一人の体勢を崩せるくらい。何度も使えなくてもいい」
「魔力量は増やさず、風魔法の威力だけをその範囲まで引き上げるなら、寿命二年で可能だ」
「二年……」
ハンナが呟く。
「今の魔力量は変わらないから、続けて何度もは使えないみたい」
リナは説明した。
「それでも二年分は戻らない。今日、すぐに決めなくてもいいよ」
ハンナは、後ろにいる子どもたちを見た。
頬を打たれた時に支えてくれた子たち。
薬を買うための銅貨を守ろうとしていた、幼い弟。
「お願いします」
「本当にいいの?」
「はい」
ハンナは頷いた。
「次も義賊様が来てくれるとは限らないから」
「……分かった」
リナは悪魔へ向き直る。
「ほかの条件はいらない。お金も、残りの寿命の使用権も取らないで」
「秘密保持は?」
「それもいらない」
悪魔は淡々と頷いた。
黒い魔法陣が、ハンナの足元へ広がる。
ハンナは自身の寿命二年を支払う。
その対価により、風魔法の威力を、本人の魔力回路が安全に扱える範囲で恒常的に強化する。
魔力量そのものは変化しない。
それ以外の条件はない。
「契約するか?」
「します」
光がハンナの身体を包み、すぐに消えた。
「終わったよ」
「これで、強くなったんですか?」
「試してみる?」
リナは、荷置き場の端にあった空の木箱を示した。
大人が一人で抱えられるほどの大きさだ。
ハンナが両手を向ける。
「《風よ》!」
風が弾けた。
木箱が石畳を滑り、数歩先で横倒しになる。
「わ……」
ハンナが目を見開いた。
「さっきとは全然違う」
幼い弟が、倒れた木箱と姉を交互に見る。
「姉ちゃん、すごい!」
「使いすぎないでね。魔力がなくなると動けなくなることもあるから」
「はい!」
ハンナは何度も頷いた。
その顔を見て、リナも嬉しくなる。
男たちを捕まえた。
子どもたちのお金も返した。
これから同じことが起きても、ハンナは何もできずに見ているだけではない。
今日したことは、全部、誰かを助けることだった。
◇
翌日の夜。
リナが路地へ入ると、昨日の女が待っていた。
その後ろには、見覚えのない人たちが並んでいる。
片足を引きずる少年。
痩せた母親と、その手を握る小さな娘。
古びた杖を抱えた老人。
女が一歩前へ出た。
「ハンナからも聞きました」
期待と不安の入り混じった顔で、リナを見つめる。
「この人たちも、力がなくて困っているんです」
一人を助ければ、その話を聞いた別の誰かがやってくる。
トーマだけではなかった。
ハンナだけでもない。
助けを求めている人は、リナが思っていたよりずっと多かった。




