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第3話 七日分の代価

 翌朝。


 目を覚ましたリナは、しばらく天井を見つめていた。


「…………」


 眠った。


 間違いなく眠ったはずだ。


 昨夜は悪魔との契約を終えたあと、いつもより少し早くベッドに入った。


 途中で目を覚ました記憶もない。


 窓から差し込む光を見る限り、朝までしっかり眠っていた。


 それなのに。


「……眠い」


 身体が重い。


 頭がぼんやりする。


 昨日、一日中起きていた時よりも疲れている気さえした。


 リナは重い身体を起こした。


 机の上では、悪魔が古い本の隣に座っている。


「おはよう」


「おはようとは何だ」


「朝の挨拶」


「そうか」


「……私、ちゃんと寝てたよね?」


「寝ていた」


「何時間?」


「七時間ほどだ」


「だよね」


 それなのに、まるで徹夜した翌朝だった。


 リナは顔を両手で覆う。


「これが対価?」


「そうだ」


「寝ても疲れが取れないって、こういうことなんだ……」


「説明した」


「聞いた時と実際にやるのは違うよ……」


「そうか」


 相変わらずだった。


 悪魔にはこちらの苦労など分からないらしい。


 リナはベッドから降りた。


 ふらつく。


「うわ……」


 悪魔は机の上から、黙ってこちらを見ている。


「ちょっとくらい心配してよ」


「契約によって死ぬ状態ではない」


「そういう意味じゃないの」


 顔を洗えば少しは目が覚めると思った。


 冷たい水で何度も顔を洗う。


 確かに眠気は少し飛んだ。


 しかし疲労そのものがなくなったわけではない。


「七日……」


 あと六日。


 長い。


 リナは制服へ着替えた。


「今日の授業、座学多かったよね……」


 それだけが救いだった。


          ◇


「リナ」


「……うん」


「リナ?」


「聞いてる」


「まだ何も言ってない」


「…………」


 エマが顔を覗き込んでくる。


「何その顔」


「普通の顔」


「死にそうだけど」


「普通」


「目の下すごいよ」


 昼休み。


 リナは食堂の机に突っ伏していた。


 一限目。


 魔法史。


 二限目。


 薬学。


 三限目。


 魔法理論。


 まだ午前中しか終わっていない。


 だが体感では一日授業を受けたくらい疲れていた。


「昨日も遅くまで図書館いたでしょ」


「いた」


「何時に寝たの?」


「普通」


「じゃあなんでそんな眠そうなの?」


「……勉強しすぎたのかも」


 嘘ではない。


 悪魔については言えない。


 少なくとも今は。


「今日は早く寝なよ」


「うん」


 寝ても意味がないとは言えなかった。


 エマがパンを半分に割る。


「食べる?」


「食べる」


「珍しく素直」


「食べないと本当に倒れそう」


「だから無理しすぎなんだって」


 渡されたパンをかじる。


 身体がエネルギーを求めているのか、いつも以上にお腹が空いていた。


「再試験があるからって、一週間ずっとこんなことしてたら試験前に倒れるよ?」


「分かってる」


「分かってない顔してる」


「今日はちゃんと寝るよ」


「絶対ね」


「うん」


 それについては約束できる。


 眠るだけならできる。


 問題は、眠っても休めないことだけだった。


          ◇


 放課後。


 属性魔法の実技授業。


 リナは訓練場の端に立っていた。


「次、障壁」


 教師の指示に従い、生徒たちが一斉に魔法を使う。


 リナも杖を構えた。


 そこで止まる。


 身体の中には、昨夜得た魔力が残っている。


 いつもの自分とは比べものにならない量。


 使えば、簡単に障壁を張れる。


 けれど。


『私はお前へ、対価に見合う量の魔力を譲渡する』


 昨夜の悪魔の言葉を思い出す。


 契約でもらった魔力は無限ではない。


 使えば減る。


 試験まで残しておかなければならない。


「リナ?」


「はい!」


 教師に呼ばれ、慌てて杖を上げる。


 自分自身の魔力だけを使う。


「《炎壁》!」


 炎の障壁が立ち上がる。


 昨日より小さい。


 意図的に威力を抑えている。


「そのまま維持」


「はい」


 十秒。


 二十秒。


 炎が揺れる。


「っ……」


 三十秒を前に消えた。


「そこまで」


 リナは息を吐く。


「以前より威力を抑えることを覚えたな」


 教師が記録をつけながら言った。


「はい」


「その方向で練習するといい。君の場合、一発の威力に魔力を使いすぎている面もある」


「はい!」


 少し嬉しかった。


 魔力量そのものは変えられない。


 それでも工夫できる部分はある。


「ただし、再試験では障壁のあとに攻撃魔法も必要だ」


「……はい」


 やはり、そこだった。


 一発ごとの威力を落として節約しても、必要量には届かない。


「頑張ります」


「ああ」


 教師が次の生徒へ移る。


 その時。


「君がリナか」


 聞き慣れない声がした。


「え?」


 振り向く。


 そこに立っていたのは、見覚えのある女子生徒だった。


 直接話したことはない。


 だが知らないはずがない。


 胸元につけられた学園章。


 その横に、生徒会を示す銀色の徽章。


「せ、生徒会長……」


「名前を覚えてくれていたか」


「それはもちろん」


 クラリス・ヴァレンシュタイン。


 学園の生徒なら誰でも知っている。


 上級生。


 成績は常に最上位。


 実技試験では教師にも匹敵すると噂されている。


 生徒会長は、先ほどリナが使っていた訓練用の標的を見る。


「先日の進級試験を見ていた」


「……あ」


 嫌なところを見られた。


 一発目だけ派手に壊して、その後何もできなくなった試験だ。


「すみません」


「なぜ謝る?」


「いや……その」


「良い魔法だった」


「え?」


 リナは顔を上げた。


「標的への着弾も正確だった。威力も十分すぎるほどだ」


「でも、一発しか撃てません」


「それは魔力量の問題だろう」


「はい」


「なら、才能がないわけではない」


 リナは目を瞬いた。


 最近は落ちこぼれと呼ばれることの方が多かった。


 教師も才能自体は認めてくれている。


 それでも、生徒から言われるのは珍しい。


 ましてや学園でもっとも優秀な生徒の一人から。


「魔力が少ない者は、少ないなりの戦い方を覚える必要がある」


「戦い方……」


「今の障壁も悪くなかった。以前より威力を抑えていたな」


「見てたんですか?」


「たまたまだ」


 生徒会長はそれだけ言うと、少しだけ笑った。


「再試験、頑張るといい」


「はい!」


 思ったより大きな声が出た。


 生徒会長が去っていく。


 その後ろには、生徒会の徽章をつけた数人の生徒が続いていた。


「……すご」


 思わず呟く。


 あんな人でも、自分の魔法を見てくれていた。


 才能がないわけではない。


 その言葉が、妙に嬉しかった。


「よし」


 眠い。


 身体も重い。


 それでも少しだけ元気が出た。


          ◇


          ◇


 三日目。


 疲れは、さらに溜まっていた。


 夜になれば眠れる。


 朝まで目を覚ますこともない。


 それでも、目を覚ました時には前日の疲れがそのまま残っている。


「……つらい」


「そうか」


 リナは机へ額をつけた。


「これ、あと四日だよね」


「そうだ」


「長い……」


 授業中は眠くなる。


 食欲は増える。


 魔法の練習にも集中できない。


 それでも、契約でもらった魔力には手をつけなかった。


 再試験のための魔力だ。


 ここで楽をするために使うつもりはない。


「他の対価の方が楽だったかな」


「分からない」


「味覚なら?」


「同程度の魔力なら、七日程度だ」


「一週間かあ……」


 好きなものを食べても味がしない。


 それも嫌だった。


「寿命なら?」


 何となく聞いた。


「今回と同程度なら、数ヶ月程度だ」


「…………」


 思っていたより短かった。


「でも、早く死ぬんだよね」


「そうだ」


「じゃあ嫌」


「分かった」


 悪魔は勧めなかった。


 ただ、聞かれた条件を答えただけだった。


「七日くらいなら我慢できるし」


 悪魔は何も言わなかった。


「……たぶん」


          ◇


 四日目。


 五日目。


 六日目。


 朝が来るたびに身体は重くなった。


 エマには何度も早く寝ろと言われた。


 教師にも体調を心配された。


 それでもリナは、授業を休まず、契約魔力にも手をつけなかった。


 あと一日。


 それだけを考えて過ごした。


          ◇


 七日目の朝。


 リナはベッドから這い出した。


「終わった……?」


「終わった」


「本当に?」


「契約の対価は支払い終えた」


 その言葉を聞いた瞬間。


 身体の力が抜けた。


「じゃあ寝る」


「朝だぞ」


「寝る」


「授業は?」


「今日は休み」


「そうか」


 毛布を頭までかぶる。


「絶対起こさないで」


「起こす理由がない」


「よし」


 目を閉じる。


 すぐに意識が沈んでいった。


          ◇


 目を覚ます。


 窓の外が赤かった。


「……夕方?」


「そうだ」


「何時間寝た?」


「十時間ほど」


「うわ」


 けれど。


 リナは身体を起こした。


「……軽い」


 頭がすっきりしている。


 身体も動く。


「治った……!」


「休息を失う期間が終わったからな」


「普通に寝て疲れが取れるってすごい!」


「そうか」


 リナは大きく伸びをした。


 もう眠くない。


 頭痛もしない。


 身体の重さも消えている。


「二度と睡眠は払わない」


「分かった」


「絶対」


「そうか」


 悪魔はやはり興味がなさそうだった。


 リナはベッドから降りる。


 再試験まで、あと一週間ある。


 その間は普通に眠り、身体を回復させながら準備できる。


 契約でもらった魔力も残っている。


 あとは、それを無駄にせず試験まで持っていけばいい。


「次はちゃんと別の対価にする」


 何気なく言った。


 悪魔がリナを見る。


「契約するつもりなのか?」


「必要になったらね」


 リナは笑った。


「今回ので分かったから。ちゃんと選べば大丈夫でしょ?」


「そうか」


 悪魔はそれ以上何も言わなかった。


 七日分の対価は払い終えた。


 つらかった。


 それでも。


 リナの中に、契約すれば、できないことができる。


 その感覚だけは、しっかりと残っていた。


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