第21話 助けてほしいなら
翌朝。
リナは教師と三人の生徒とともに、北の丘陵へ入った。
行方不明になっているのは、町で薬草を売って暮らしている男だった。
昨日の昼に丘陵へ入り、そのまま戻っていない。
「昨夜はかなり冷え込んだ」
先頭を歩く教師が言う。
「怪我をして動けないなら、今日中に見つけなければ危険だ」
四人は斜面へ横一列に広がった。
互いの姿が木々の間から見える程度に距離を取り、丘陵を上っていく。
「足跡や落とし物を見つけたら、勝手に追わず合図を出せ」
「はい」
リナは返事をして、笛と信号筒が腰にあることを確かめた。
悪魔は少し後ろを歩いている。
ほかの者には見えていない。
湿った土を踏みながら、低い茂みの間を探す。
一時間ほど進んだところで、リナは折れた枝を見つけた。
その先の土が、斜面の下へ向かって削れている。
誰かが足を滑らせた跡に見えた。
「…………」
右を見る。
隣を捜索している生徒の姿は、木の向こうに少しだけ見える。
呼べば届く距離だった。
リナは笛へ手を伸ばした。
そこで止める。
見つけたのが足跡だけなら、まだ人を見つけたことにはならない。
先に確かめてもいい。
「下を見てくる」
小さな声で悪魔へ言い、斜面を下りた。
◇
斜面の下は、細い谷になっていた。
水の流れていない沢を進むと、岩の陰から音がした。
「……誰か」
かすれた声。
リナは岩を回り込んだ。
成人の男が、木の根元へ背を預けている。
片方の足首が大きく腫れ、服は泥と朝露で濡れていた。
「捜索に来ました。魔法学園の生徒です」
「助かった……」
男が大きく息を吐いた。
「もう歩けない。昨日から、ずっとここに……」
リナは水筒を差し出した。
男は奪うように水筒を受け取り、何度も水を飲んだ。
震える手から水がこぼれ、男の服をさらに濡らす。
リナは水筒へ手を伸ばした。
「これだけか」
「ほかの人も捜しているので、全部は渡せません」
「昨日から待ってたんだぞ。もっと持ってこいよ」
リナは何も言わず、返された水筒をしまった。
「ほかの人を呼んでくれ」
「その前に、少し身体を温めます」
リナは濡れた落ち葉を避け、小さな《灯火》を作った。
炎を近づけすぎないように保つ。
男の震えが、少しずつ弱くなっていった。
「そんな小さい火で何になる」
「濡れた服に近づけすぎると危ないです」
「口答えはいいから、早く救助を呼べ。俺をここから運び出せ」
「その足で動くと危ないので、先生が来るまで待ってください」
「使えないな。魔法学園の生徒だろ」
男は苛立ったように地面を叩いた。
「こんなに待たせておいて、まだ待てっていうのか。帰ったら学園に文句を言ってやる」
リナは腰の信号筒へ手を伸ばした。
水は渡した。
身体も温めた。
ここまで来たのは、自分が助けたいと思ったからだ。
「……助けてもらうのが、当然だと思ってるんですか?」
「当たり前だ。お前は俺を捜しに来たんだろ」
「そうですか」
リナの手が、信号筒から離れた。
「合図を出せば、先生たちが来ます」
「なら、早くしてくれ」
「はい。でも、その前に契約してください」
「……何?」
「私が合図を出して、先生たちが来るまでここで守ります。その代わり、寿命の契約をしてください」
男はしばらくリナを見ていた。
「何を言ってる?」
「助かる代わりの契約です」
「ふざけるな。助けるのがお前の仕事だろ!」
声を上げた男が、痛みに顔を歪める。
リナは《灯火》を消さずに見ている。
「最初は、そのつもりでした」
「契約しない」
「分かりました」
リナは立ち上がった。
「どこへ行く?」
「捜索へ戻ります」
「待て。俺を見つけたんだぞ」
「でも、契約しないんですよね?」
「それとこれとは別だ!」
「そうですか?」
リナは腰の信号筒へ触れた。
これを使えば、すぐに教師が来る。
使わなければ、木々と斜面が男の声を遮ってくれる。
「私がここへ下りたところは、誰も見ていません」
男の顔から、表情が消えた。
「見つけられなかったことにすれば、私はそのまま捜索へ戻れます」
「お前……」
「今夜もここにいたら、たぶん死にます」
リナは男の濡れた服を見る。
「そうなっても、普通の遭難死です。私が傷をつけたわけでもありません」
「人殺しだぞ」
「殺しません」
「同じことだ!」
「私は助かる方法を出しています」
男が何か叫ぶ。
しかし、谷の外から返事はなかった。
「助けてほしいなら、契約してください」
リナは静かに言った。
「嫌なら断ってもいいです」
男の視線が、リナの腰にある信号筒へ落ちる。
「……どんな契約だ」
「私が使える寿命を渡してください」
悪魔がリナの隣へ歩いてくる。
男の目が大きく見開かれた。
「何だ、それ……」
「契約を仲介する悪魔です」
男は木の根元へ背中を押しつけた。
「来るな……!」
悪魔は反応せず、リナを見上げる。
「秘密保持も付けて」
「指定できる」
「私を直接傷つけない」
「指定できる」
「ほかの人を使って傷つけるのも禁止」
「指定できる」
「契約を消したり、邪魔したりしない」
「指定できる」
「嘘を言ったり噂を流したりして、わざと私に損害を与えるのも禁止」
「指定できる」
「条件を増やせば、必要な対価も増える」
「払うのはこの人だよね?」
「そう指定できる」
「じゃあ、全部付けて」
「必要な寿命は――」
「私は聞かなくていい」
リナは男を見た。
「契約する本人には、ちゃんと説明して」
悪魔は男へ向き直り、成立に必要な寿命の年数を告げた。
「そんなに……」
男の声が震える。
「条件が多いからです」
「外せ。そんなもの、払えるか」
「外すと、あとで私を訴えたり、人を雇ったりできます」
「何もしない!」
「ミレーヌも、最初は何も言いませんでした」
男には分からない名前だった。
リナは気にせず続ける。
「全部付けるなら助けます」
「選べっていうのか。ここで死ぬか、寿命を渡すか」
「はい」
男の呼吸が荒くなる。
悪魔を見る。
次にリナを見る。
最後に、信号筒を見る。
「……契約する」
消えそうな声だった。
「分かりました」
リナは悪魔へ頷いた。
黒い魔法陣が、湿った谷底へ広がる。
「契約内容を確認する」
悪魔の声が響いた。
「契約成立後、リナは直ちに救援を求める信号を出し、この男を教師へ引き渡すまで、故意に見捨てない」
「この男は、先ほど提示した年数の寿命を契約成立料として支払う」
「成立料の支払い後、この男に残る寿命の使用権をリナへ渡す」
「この男は、契約の存在および内容を第三者へ伝えない」
「この男は、リナへ故意に直接危害を加えない」
「第三者を利用して、故意にリナへ危害を加えさせない」
「契約の解除または妨害を目的とする行動を取らない」
「虚偽の告発や流言を含め、故意にリナへ社会的損害を与えない」
悪魔がリナを見る。
「相違ないか?」
「ない」
男を見る。
「相違ないか?」
男はしばらく答えなかった。
「合図を……出すんだな」
「契約が成立すれば、すぐに出します」
「……相違ない」
「契約するか?」
「する」
「契約するか?」
「……する」
魔法陣が光った。
男の身体から黒い光が流れ、悪魔へ吸い込まれる。
リナの中に、新しい糸が生まれた。
六本目。
「契約は成立した」
リナはすぐに信号筒を空へ向けた。
赤い光が、木々の隙間を抜けて打ち上がる。
「これで来ます」
もう一度《灯火》を作り、男の身体を温める。
少しして、斜面の上から教師の声がした。
「リナ! そこか!」
「ここです! 怪我人がいます!」
教師と生徒たちが谷へ下りてくる。
教師は男の足を確かめ、持ってきた添え木を当てた。
「よく見つけた。身体も冷え切る前だ」
「水を飲ませて、火で温めました」
「適切な判断だ」
ほかの生徒が、簡易担架を組み立てる。
男は何かを言おうとして、口を開いた。
「この子は……」
その先が出てこない。
唇だけが何度か動く。
「どうしました?」
教師が尋ねる。
「……何でもない」
男は顔を逸らした。
「一晩冷えたせいで、混乱しているのかもしれません」
リナが言う。
「そうだな。まずは運び出そう」
男が担架へ乗せられる。
すれ違う時、男はリナを見た。
助かった人の顔には見えなかった。
それでも、生きて帰れる。
リナは六本目の糸を確かめた。
報酬も受け取れる。
捜索も成功した。
誰も死ななかった。
契約者も一人増えた。
選んだとおり、一度の依頼で全部できた。




