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第18話 足りなかった条件

 三日後。


 リナは薬草採取の依頼を終え、学園へ戻る街道を歩いていた。


 森を抜ければ、学生たちが使う共用馬車の待機場所がある。


 依頼袋には、指定された薬草が十分に入っている。


 今日は魔物にも出会わなかった。


 このまま戻れば、予定より早く報告できる。


 そう考えた時。


 風を切る音がした。


「――っ!」


 リナは反射的に身を屈めた。


 短い矢が、すぐ後ろの木へ突き刺さる。


 もう一本。


 今度は避けきれず、左腕を掠めた。


「痛っ……!」


 制服が裂け、血が滲む。


 リナは道の脇にある大木へ飛び込んだ。


 矢が幹へ当たり、乾いた音を立てる。


 魔物ではない。


 明らかに、リナを狙って撃っている。


「リナで間違いないな」


 木々の間から、男の声がした。


「誰?」


「答える必要はない」


「私の名前は知ってるのに?」


 返事の代わりに、四本目の矢が飛んできた。


「《炎壁》!」


 木の陰から炎が広がる。


 矢は壁を抜ける前に燃え、勢いを失って地面へ落ちた。


 リナは炎の向こうへ目を凝らす。


 男は黒い外套を着て、片手に小型の弩を持っている。


 腰には短剣。


 盗賊というより、人を襲うための装備だった。


 男が炎を避けて横へ走る。


 正面から勝つつもりはないらしい。


 木々を盾にし、次の矢を装填しようとしている。


 リナは《炎壁》を消した。


 男がすぐに弩を向ける。


 その前に、杖の先へ炎を集めた。


「《火球》!」


 狙ったのは、男ではない。


 足元の地面だった。


 炎が弾け、土と落ち葉が吹き上がる。


「ぐっ!」


 男の身体が横へ倒れた。


 手から弩が離れる。


 だが、すぐに起き上がり、短剣を抜いて走ってきた。


「死ね!」


 リナは杖を短剣へ向ける。


 先端から細い炎を伸ばした。


 男の外套の袖へ火が移る。


「なっ……!」


 男は足を止め、燃えた外套を脱ぎ捨てた。


 その隙に、リナはもう一発の《火球》を作る。


 ここまで使ったのは、自分の魔力だけだった。


 威力を抑えれば、まだ続けられる。


 今度は、男の顔へ向けた。


「短剣を捨てて」


「待て! 殺さないでくれ!」


 短剣が地面へ落ちる。


 男は空になった両手を上げた。


「話す。全部話す!」


 リナは男をうつ伏せにさせ、依頼袋に入れていた縄で両手を縛った。


 弩と短剣は手の届かない場所へ蹴る。


「誰に頼まれたの?」


「ミレーヌという女だ。学園の生徒だと言っていた」


 聞き覚えのある名前だった。


「理由は?」


「聞くなと言われた。金と、お前の名前と、帰り道だけだ」


「一人で来たの?」


「ああ」


 ほかの二人は関わっていないらしい。


 ミレーヌだけが、金を払ってこの男を雇った。


「契約のことは話せないのに、人を雇うことはできたんだ」


「何の話だ?」


「こっちの話」


 リナは悪魔を呼んだ。


 男の背中に腰掛けるように、小さな悪魔が現れる。


「三人との契約で、人に私を襲わせることは禁止できた?」


「できた」


「……できたんだ」


「お前は条件に指定しなかった」


「この人が、もう私を襲わないようにもできる?」


「契約条件として追加できる」


「自分で襲うのも、人を雇って襲わせるのも?」


「どちらも可能だ」


「契約を消そうとするのは?」


「契約解除や契約妨害を目的とする行動も禁止できる」


「そういうの、全部付けた方が安全だよね」


「条件が増えるほど、成立料も増える」


 リナは男を見る。


 自分を殺すために待ち伏せし、実際に矢を撃った相手だ。


 腕には、まだ血が滲んでいる。


「成立料は、誰が払ってもいいんだよね?」


「そうだ」


「じゃあ、この人から取って」


 悪魔は何も勧めなかった。


 ただ、リナが指定した条件を数えている。


「何を勝手に決めてる」


 男が縄を引いた。


「私を殺そうとしたんだから、殺されても文句は言えないよね」


「……何?」


「でも、殺さないであげる。縄も解いて、ここから帰してあげる」


 リナは男の前へ回った。


「その代わり、私と契約して」


「断ったら?」


 リナは杖先の炎を、男の顔へ少し近づけた。


「契約しないだけ」


 炎の熱に、男が顔を背ける。


 以前、逃亡犯へしたのと同じだった。


 相手が先に人を殺そうとしたのだから、選ばせるだけでも十分に優しい。


 リナはそう考えた。


「条件を教えて」


 悪魔が男の背中から地面へ下りる。


 その瞬間、男の身体が固まった。


「何だ……それは……」


「契約を仲介する悪魔」


「来るな!」


「動くと炎が当たるよ」


 男は悪魔を見たまま動かなくなった。


「私は、この人を今回の襲撃について故意に殺さない。契約が終わったら縄を解いて帰す」


「指定できる」


「この人の残りの寿命を、私が使えるようにする」


「指定できる」


「秘密保持。それから、私を直接襲うことを禁止する」


「指定できる」


「ほかの人を雇ったり、頼んだり、お金や情報を渡して襲わせるのも禁止」


「指定できる」


「契約を消したり、邪魔したりするのも禁止」


「指定できる」


「全部で何年?」


「寿命八年だ」


「八年……」


 これまでで一番高い成立料だった。


「払うのは、この人だよね?」


「そうだ」


「じゃあ、全部付けて」


 男が息を呑む。


「八年だと?」


「私が払うわけじゃないから」


「ふざけるな!」


「契約しなくてもいいよ」


 リナは炎を消さなかった。


「その時は、私も約束しない」


 男は歯を食いしばり、悪魔を見た。


 しばらくして、力なく額を地面へつける。


「……契約する」


 黒い魔法陣が、三人の足元へ広がった。


「契約内容を確認する」


 悪魔の声が、森の中へ響く。


「リナは、この契約の成立後、この男を今回の襲撃を理由として故意に殺害しない」


「契約成立後、リナはこの男の拘束を解き、この場から立ち去ることを妨げない」


「この男は、契約成立料として寿命八年を支払う」


「成立料の支払い後、この男に残る寿命の使用権をリナへ渡す」


「この男は、契約の存在および内容を、話す、書く、その他の方法で第三者へ伝えない」


「この男は、リナへ故意に直接危害を加えない」


「第三者へ依頼、命令、金銭、情報その他の手段を提供し、故意にリナへ危害を加えさせない」


「契約の解除または妨害を目的とする行動を取らない」


 悪魔がリナを見る。


「相違ないか?」


「ない」


 次に、男を見る。


「相違ないか?」


「……ない」


「契約するか?」


「する」


「契約するか?」


 男は目を閉じた。


「……する」


 魔法陣が光った。


 男の身体から、これまでより多い黒い光が流れ出す。


 悪魔の輪郭が濃くなった。


 小さな背中にある翼が広がり、角もわずかに長くなる。


 リナの中には、五本目の糸が生まれた。


「契約は成立した」


 リナは約束どおり、男の縄を解いた。


「もう行っていいよ」


 男は自由になった両手を見たあと、悪魔がいた場所を避けるように立ち上がった。


 弩も短剣も拾わず、森の奥へ駆け出す。


「待って」


 男の足が止まった。


 恐る恐る振り返る。


「な、何だ……」


「武器、忘れてるよ」


 リナは地面の弩と短剣を指した。


 男はしばらく言葉を失っていたが、やがて足音を忍ばせるように戻ってきた。


 二つの武器を拾い、今度こそ森の奥へ走り去る。


 リナは裂けた袖を捲り、傷へ布を巻いた。


「三人の契約にも、今の条件を付けられるんだよね?」


「追加契約を結べば可能だ」


「追加すると、また成立料がいる?」


「必要だ」


「払うのは、それぞれ本人にできる?」


「できる」


「じゃあ、三人とも付ける」


 人を雇ったのは、ミレーヌだけだった。


 ほかの二人は、今回の襲撃には関わっていない。


 それでも、三人の契約に同じ抜け道があることは変わらなかった。


「三人とも、もう一度話をしないと」


 今度は、足りない条件を全部付ける。


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