第16話 半分ずつ
翌週。
リナは初めて、特別許可が必要な依頼へ参加していた。
前日の大雨で、学園から北へ向かう街道の一部が崩れた。
その近くで、商人の荷馬車が一台、行方不明になっている。
依頼の内容は、周辺の捜索と生存者の救助だった。
「崩れた斜面には近づきすぎないこと。何か見つけたら、まず合図を出しなさい」
教師が参加者を見回す。
「勝手に助けようとして、二人目の要救助者になるのが一番困る。分かったな」
「はい」
リナも、ほかの生徒たちと一緒に答えた。
少し離れたところには、クラリスもいる。
今日は教師の補助として、捜索に参加していた。
「リナ」
「はい」
「君はこの先の林を頼む。見通しが悪いから、決められた範囲から出ないように」
「分かりました」
「声が届く距離にはいる。異常があればすぐに呼べ」
リナは杖を握り、林の中へ入った。
◇
濡れた土の上に、車輪の跡が残っていた。
街道から外れ、林の奥へ続いている。
途中で大きく乱れ、その先で消えていた。
リナは足元に気をつけながら進む。
木の枝には、破れた布が引っかかっていた。
荷馬車を覆っていた幌と同じ色だ。
「誰かいますか!」
返事はない。
もう一度呼ぶ。
「聞こえたら、返事をしてください!」
「……ここだ」
掠れた声がした。
斜面の下だった。
木々の間に、横倒しになった荷馬車が見える。
リナはすぐに杖を上へ向けた。
「《灯火》!」
赤い火の玉が、木々より高く上がった。
発見を知らせる合図だ。
遠くから、クラリスの返事が聞こえた。
リナは足場を確かめ、斜面を下りる。
荷馬車のそばには、男が一人倒れていた。
商人に雇われた護衛らしい。
折れた木片が脇腹へ深く刺さり、服が血で黒く染まっている。
「今、助けが来ます」
リナは男のそばへ膝をついた。
「これ、抜かない方がいいですよね」
「……分からん」
「じゃあ、触りません」
傷の周りへ布を押し当てる。
だが、血は止まらなかった。
男の呼吸は浅く、顔から血の気が失われていく。
「悪魔」
リナが小さく呼ぶ。
濡れた荷台の上に、悪魔が現れた。
男には見えていない。
まだ契約の話をしていないからだ。
「この人、助かる?」
「このままなら、救援が到着する前に死ぬ」
「治療魔法は?」
「損傷が深い。人間の治療魔法だけでは間に合わない」
教師たちはこちらへ向かっている。
だが、その足音はまだ聞こえない。
「契約なら助けられる?」
「可能だ」
悪魔はそれだけ答えた。
勧めもしない。
急かしもしない。
決めるのはリナだった。
「あの」
リナは男の顔を覗き込んだ。
「助ける方法があります。でも、悪魔との契約が必要です」
男の目がわずかに開く。
「……悪魔?」
「はい。傷を治す代わりに、寿命を払います」
「寿命……」
「でも、助かったあとの寿命まで私がもらうつもりはありません」
「拒んだら」
「契約はしません」
男が唇を震わせた。
「俺は……このまま死ぬのか」
悪魔が答える。
「そうなる」
その声が聞こえた瞬間、男の表情が変わった。
荷台の上を見て、目を見開く。
「ひっ……!」
逃げようと身をよじり、傷から新しい血が流れた。
「動かないで!」
「あれは、何だ……!」
「悪魔です」
リナには、いつもの小さな悪魔にしか見えない。
男がなぜそこまで怯えるのかは、分からなかった。
「条件を決めたい」
リナが言うと、悪魔は荷台から降りた。
「この人の傷を治して。先生の治療魔法で助けられるくらいまで」
「指定できる」
「それと、契約のことを誰にも話せないようにする」
「必要な成立料は寿命四年だ」
「四年……」
自分がこれまで払った分より多い。
「全部、この人が払うの?」
「支払者を指定しなければ、そうなる」
男は死にかけている。
助かるためとはいえ、四年すべてを一人で払わせるのは違う気がした。
「半分ずつにできる?」
「可能だ」
「じゃあ、この人が二年。私も二年払う」
男がリナを見る。
「なぜ、お前まで……」
「私が助けたいんだから、契約料くらい私も払うよ」
男は何も言わなかった。
リナはもう一度、確かめる。
「契約すれば、今すぐ死なずに済みます。契約料は二年ずつ払います。それでも契約しますか?」
男は悪魔を見たまま、荒い呼吸を繰り返した。
「家に……帰りたい」
「はい」
「契約する」
悪魔の足元から、黒い魔法陣が広がった。
リナと男の足元まで、細い線が伸びる。
「契約内容を確認する」
悪魔の声が、雨上がりの林へ響いた。
「私はこの男の傷を、人間の治療魔法によって救命可能な状態まで修復する」
「この男は契約成立料として寿命二年を支払う」
「リナも契約成立料として寿命二年を支払う」
「この男は、契約の存在および内容を、話す、書く、その他の方法で第三者へ伝えない」
悪魔がリナを見る。
「相違ないか?」
「ない」
次に、男を見る。
「相違ないか?」
「……ない」
「契約するか?」
「する」
「契約するか?」
男は震えながら答えた。
「する」
魔法陣が光った。
身体の奥から、何かが抜けていく。
寿命を払った時の、何も痛くない感覚。
男の身体からも黒い光が流れ、悪魔へ吸い込まれた。
脇腹に刺さっていた木片が、音もなく崩れる。
開いていた傷が塞がり、流れ続けていた血が止まった。
傷そのものが消えたわけではない。
男は青い顔で横たわったままだったが、途切れかけていた呼吸が少しずつ整っていく。
「契約は成立した」
悪魔が告げる。
その直後、斜面の上から声がした。
「リナ!」
「ここです!」
教師とクラリスが下りてくる。
教師はすぐに男の傷を確かめ、治療魔法を使い始めた。
「出血は止まっている……」
驚いたように呟く。
「君が処置したのか?」
「はい。助けられる方法があったので」
嘘ではない。
男はリナを見た。
「この子が……助けてくれた」
「ありがとう……本当に、ありがとう」
それ以上は言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
「よく合図を先に出した」
クラリスがリナの肩へ手を置く。
「君が見つけていなければ、間に合わなかっただろう」
「助かりますか?」
教師が治療を続けながら頷く。
「ここまで安定していれば、運び出せる。あとは任せなさい」
「君の処置で助かった。よくやった」
リナは息を吐いた。
男は生きて、家へ帰れる。
そのことが、素直に嬉しかった。
◇
寮の部屋へ戻ると、悪魔は机の上で治療魔法の教本を読んでいた。
「今日のこと、載ってる?」
「載っていない」
「そうだよね」
リナは椅子へ座り、手帳を開いた。
自分が払った寿命は、これまで一年半。
その下へ、今日の二年を書き足す。
『合計 三年半』
「二年かあ」
「契約したとおりだ」
「分かってる」
短くはない。
それでも、あの場で一人に四年すべてを払わせるよりはよかった。
「あの人、助かったよね?」
「助かった」
「そっか。よかった」
リナは手帳を閉じた。
自分の寿命は減った。
けれど今日は、一人が生きて帰れた。
今は、それでよかった。




