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第13話 殺さない代わり

「死にたくない?」


 男は、リナの顔を見返した。


「……何を言ってる」


「このまま私がもう一発撃ったら、あなたは死ぬよね」


 リナの杖には、小さな炎が残っている。


 男は縄を引いた。


 両手足を結んだ縄が、馬車の車輪を軋ませる。


「救難信号を見ただろ。もうすぐ人が来る」


「来る前なら撃てるよ」


「お前……」


「でも、殺さないであげる」


 リナは淡々と続けた。


「助けが来たら、生きたまま引き渡す。その代わり、私と契約して」


「契約?」


「あなたの残りの寿命を、私が使えるようにする契約」


 男の顔が引きつった。


「ふざけるな」


 リナは男の頬へ杖の先を近づけた。


 小さな炎が肌を舐める。


「ぐっ……!」


 男が顔を背ける。


 頬に、細い赤い痕が残った。


「じゃあ、契約しない?」


 リナは杖を離さない。


 男は口を閉じた。


 リナは馬車の屋根を見上げる。


「詳しい条件を決めたい」


 悪魔が屋根から飛び降りた。


 リナの前へ、音もなく着地する。


 いつもと同じ、小さな姿だった。


 その瞬間。


「ひっ……」


 男が息を呑んだ。


 悪魔を見つめたまま、車輪へ背中を押しつける。


 逃げようとしても、縄が食い込むだけだった。


「何だ、それは……」


「悪魔」


 リナは答えた。


「契約を仲介してくれるの」


「これが、悪魔……?」


「見れば分かるでしょ」


 机の上にも乗れるほど小さい。


 角は前より少し鋭くなったが、男がここまで怯える理由は分からなかった。


「条件を提示しろ」


 悪魔が言った。


 男の肩が大きく震える。


「まず、私はこの人をここで殺さない」


「範囲が曖昧だ」


「じゃあ……救援が来るまで殺さない。来たら生きたまま引き渡す」


「指定できる」


「それと、この人の残りの寿命を、私が使えるようにする」


「指定できる」


「使ったら、どうなるの?」


「使用した分だけ、この男の寿命が減る」


「本人には分かる?」


「分からない」


「今すぐ全部なくなるわけじゃないんだよね?」


「使用しない限り、成立料を除いた寿命は失われない」


 男が悪魔とリナを交互に見る。


「成立料……?」


「契約を成立させるための対価」


 リナは男へ説明してから、悪魔へ聞いた。


「この条件だと何年?」


「この男の寿命二年だ」


「二年……」


 自分が最初に払った寿命より長い。


「それで、契約したことを誰にも話せないようにしたい」


「秘密保持を加えるなら、さらに寿命一年が必要になる」


「合わせて三年?」


「そうだ」


「秘密保持を外せば二年」


「そうなる」


「それと、この人を倒すために使った魔力も戻したい」


 リナは、ほとんど空になった外付けの魔力へ意識を向けた。


「この人に払わせて、同じくらいの契約魔力をもらうことはできる?」


「可能だ」


「どれくらい必要?」


「この男の寿命二年だ」


「じゃあ、全部で五年?」


「そうだ」


 五年。


 短くはない。


 リナは少し迷った。


「払うのは、この人だよね?」


「今提示されている条件では、そうなる」


 リナは男を見る。


 御者とサラを殺した。


 リナまで殺そうとした。


 その男が払う五年だった。


「じゃあ、秘密保持も、魔力の補充も付ける」


「待て!」


 男が声を上げた。


「五年も取って、その上で残り全部を握るのか!」


「今ここで死ぬよりはいいでしょ」


「そんなもの、選べるわけが――」


「選ばなくてもいいよ」


 リナは杖を持ち直した。


「その時は、契約しないだけだから」


 男の顔から血の気が引く。


 悪魔は何も言わず、二人の答えを待っていた。


「……契約したら、本当に殺さないんだな」


「救援が来るまで殺さない。来た人には、生きたまま渡す」


「その後は」


「警備隊に引き渡した後は、私が決めることじゃない」


 引き渡された後、男をどう裁くかはリナが決めることではない。


 寿命の使用権をどう使うかは、別の話だった。


「決めて」


 男は目を閉じた。


 遠くからは、まだ人や馬の音は聞こえない。


 やがて、掠れた声で答えた。


「……契約する」


 悪魔の足元から、黒い魔法陣が広がった。


 リナと男の足元まで、細い線が伸びる。


「契約内容を確認する」


 悪魔の声が、広場へ響いた。


「リナは救援の到着まで、この男を故意に殺害しない」


「救援が到着した時、この男を生存した状態で引き渡す」


「この男は、契約成立料として寿命五年を支払う」


「悪魔はリナへ、この男との戦闘で消費した契約魔力と同程度の魔力を譲渡する」


「成立料の支払い後、この男に残る寿命の使用権をリナへ渡す」


「この男は、契約の存在および内容を、話す、書く、その他の方法で第三者へ伝えない」


 悪魔がリナを見る。


「相違ないか?」


「ない」


 次に、男を見る。


「相違ないか?」


 男は悪魔から目を逸らせないまま、何度か口を動かした。


「……ない」


「契約するか?」


「する」


 リナが答える。


「契約するか?」


 長い沈黙の後、男も答えた。


「……する」


 魔法陣が光った。


 黒い光が、男の身体から悪魔へ流れ込む。


 悪魔の輪郭が濃くなった。


 角がわずかに伸び、声も先ほどよりはっきりと聞こえる。


 悪魔からリナへ、別の光が流れ込む。


 ほとんど空だった外付けの魔力が、再び満たされていく。


 この男を倒すために使った分が戻ってきた。


 別の細い光が、男からリナへつながる。


 触れられない糸のような感覚だった。


 そこに何年あるのかは分からない。


 けれど、この男の寿命へ手が届くことだけは分かった。


「契約は成立した」


 悪魔が告げる。


 魔法陣が消えた。


 男が何度も瞬きをする。


「消えた……?」


「ここにいるよ」


 悪魔はリナの隣に立っている。


 男は何もない地面を見つめていた。


「成立料は払われた?」


「五年、受け取った」


「この人は何も変わってないけど」


「寿命を支払っても、外見からは分からない」


 リナが払った時と同じだった。


 痛みもない。


 血も出ない。


 男は、五年を失ったことを身体では確かめられない。


「私が使える寿命は?」


「取得済みだ」


「今から使える?」


「使える」


「この人が死んだら?」


「未使用の権利は消える」


「そうなんだ」


 なら、生きたまま引き渡す方がよかった。


 契約を守るためだけではない。


 死なれたら、せっかく得たものがなくなってしまう。


          ◇


 しばらくして、蹄の音が近づいてきた。


 学園の教師と、町の警備隊だった。


 ほかの依頼へ向かった学生たちも、救難信号を見て広場へ戻ってくる。


 教師は御者とサラを確認し、険しい顔で首を横に振った。


 警備隊の一人が、車輪に縛られた男を見て息を呑む。


「こいつは、追跡中の逃亡犯だ」


「知ってるんですか?」


「拘束先から逃げた後、追っ手にも重傷者を出している。なぜ学生が捕まえている?」


 リナは起きたことを順番に説明した。


 討伐から戻ったこと。


 二人が倒れていたこと。


 男が水魔法で攻撃してきたこと。


 炎を撃ち続け、水壁を破ったこと。


「一人で、こいつの水壁を?」


 教師が聞き返す。


「はい」


「どうやって、それだけの魔力を」


「使える分を、全部使いました」


 嘘ではない。


 どこから得た魔力かを、言わなかっただけだ。


 縛られた男が顔を上げた。


「こいつは、悪――」


 声が途切れた。


 口を動かしても、その先の言葉が出ない。


「どうした?」


 警備隊員に聞かれ、男は青ざめたまま首を振った。


 秘密保持の条件は働いている。


 リナはそれを確認し、何も言わなかった。


          ◇


 二日後。


 リナは教師に呼ばれ、学園の小さな面談室へ入った。


「まず、今回の件で君に責任はない」


 教師は机の上で手を組んだ。


「依頼対象ではない逃亡犯との偶発的な遭遇だ。御者とサラを殺害したのも、その後に君を攻撃したのも、すべて相手の行為だ」


「はい」


「ただし、君が捕らえた男は、一般の学生が一人で対処できる相手ではなかった」


「水魔法は強かったです」


「強かった、で済ませていい相手ではない。一般的な実技教師と正面から戦える水準だ」


 もし契約魔力がなければ、勝てなかった。


 火と水の相性も悪かった。


「逃げられる状況ではありませんでした」


「それは分かっている。生き残り、相手を捕らえ、救難信号も上げた。判断として責めるつもりはない」


 教師は一度、言葉を切った。


「これまでの依頼達成記録と、今回の捕縛実績を考慮する。今後は、教師の特別許可が必要な依頼にも、補助として参加を認める」


「特別許可?」


「犯罪者の捕縛補助、護衛、警備などだ。必ず教師か、認められた実務者の指揮下に入ること。今回と同程度の相手を、一人で追っていいという意味ではない」


「分かりました」


 危険度が高い分、報酬も上がる。


 今まで選べなかった依頼を受けられる。


 そのために必要な魔力は、また用意すればいい。


「しばらくは休め。次の依頼を選ぶのは、その後だ」


「はい」


 リナは素直に頷いた。


 急ぐ必要はなかった。


 次に魔力が必要になっても。


 使った分は、もう戻っている。


 その代価を払ったのは、リナではなかった。


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