第12話 帰りの約束
依頼の日。
東門の前には、幌を張った大きな馬車が止まっていた。
リナのほかにも、依頼書や杖を持った学生が数人集まっている。
「荷物は奥から詰めてくれ。薬草の籠は上に置くなよ」
御者の男性が、荷台を指しながら声をかけていた。
年はリナの母より少し上に見える。
手綱を握る手は日に焼け、馬の扱いにも慣れていた。
「この子、触ってもいいですか?」
学生の一人が馬へ近づこうとする。
「正面から急に行くな。こいつは臆病なんだ」
御者は馬の首を軽く叩いた。
「その代わり、賢い。道も待ち合わせ場所も、俺よりよく覚えてる」
馬が鼻を鳴らす。
「ほら、自分の方が賢いと言ってる」
学生たちの間から笑い声が上がった。
リナも少し笑い、荷台へ乗り込む。
空いていた席へ座ると、向かいにいた女子生徒が会釈した。
「サラ。薬草採取に行くの」
「リナです。私は魔物討伐」
「一人で?」
「危険度が低いものだけです」
「それでもすごいね。私は戦う依頼、まだ怖くて選べない」
サラはそう言って、自分の杖を膝の間へ挟んだ。
使い込まれた杖だった。
靴も何度か修理したらしく、爪先と踵で革の色が違う。
「薬草採取も、町の近くだとあまり残ってないんだよね。だから今日は遠くまで来たの」
「学費のため?」
「学費と、これ」
サラが片足を少し上げた。
「昨日の雨で、また水が入ってきたの。今日の報酬があれば、中古だけど新しい靴を買える」
「私も、報酬はほとんど学費です」
「じゃあ同じだ」
サラは嬉しそうに笑った。
馬車が動き出す。
車輪が石畳を離れると、揺れが大きくなった。
二人は依頼の報酬や、安い道具を扱う店の話をした。
サラは値引きされる時間に詳しかった。
リナは形の崩れた焼き菓子を売る店を教えた。
「東門の近くに、学生証を見せるとパンを一つ付けてくれる食堂があるよ」
「知らなかった」
「今日、依頼が終わったら一緒に行かない?」
「行く」
リナはすぐに答えた。
「決まるのが早いね」
「パンが付くなら」
「そこ大事だよね」
御者が前から振り返った。
「食事の相談もいいが、帰る時間は守ってくれよ。全員が戻るまで、俺は出られないからな」
「分かってます」
サラが答える。
「少しくらい遅れても、置いていかれませんか?」
リナが聞くと、御者は首を横に振った。
「置いてはいかない。遅れるなら救難信号を上げてくれ。馬と一緒に迎えに行く」
「ちゃんと戻ってきます」
「それならいい」
御者は前へ向き直り、軽く手綱を鳴らした。
◇
馬車は街道を進み、森の手前にある小さな広場で止まった。
ここから先は、学生たちが二人ずつ、あるいは一人で、それぞれの依頼地へ向かう。
リナとサラも荷台から降りた。
御者は馬車を木陰へ寄せる。
「日が傾く前には戻れ。遅れる時は救難信号を使うこと」
「はい」
「じゃあ、あとでね」
サラが手を振る。
「食堂で」
「うん。今日は肉入りの煮込みが安い日だから」
サラは森の浅い方へ続く道へ入っていった。
歩くたび、修理した靴底が少し浮いている。
今日の依頼が終われば、新しいものに替えられる。
リナは反対側の道へ向かった。
◇
討伐対象は、森の外れへ巣を作った小型魔物だった。
地面に残る爪跡をたどり、木々の間を進む。
しばらくすると、低い唸り声が聞こえた。
二体。
リナは杖を構える。
「《炎壁》」
逃げ道を塞ぐ幅だけ、炎を立ち上げる。
驚いた一体が横へ跳ぶ。
もう一体は、まっすぐリナへ向かってきた。
「《火球》」
炎が正面からぶつかる。
一体目が倒れた。
残る一体が炎壁の切れ目を抜け、森の奥へ逃げようとする。
森の奥まで深追いするのは危険だ。
けれど、まだ魔法の届く距離にいる。
逃がせば二体討伐の依頼を完了できない。
リナは契約魔力から必要な分を引き出した。
「《火球》」
二発目が魔物の背へ命中する。
木の幹へぶつかり、そのまま動かなくなった。
周囲にほかの気配がないことを確認する。
終わった。
予定より早い。
これなら、サラを待たせずに済むかもしれない。
リナは討伐を証明する部位を回収し、馬車が待つ広場へ戻った。
◇
広場が近づいても、人の話し声が聞こえなかった。
代わりに、馬の高いいななきが響く。
「……どうしたの?」
返事はない。
リナは足を速めた。
木々の隙間から馬車が見える。
馬は後ずさりながら激しく首を振っていた。
広場には、血の臭いが漂っている。
御者台には、知らない男が座っている。
泥だらけの外套。
片方の手首には、千切れた鉄の輪が残っていた。
「動け!」
男が手綱を引く。
馬は従わない。
前脚を上げ、男を振り落とそうとする。
地面には、御者が倒れていた。
馬車の後ろには、もう一人。
見覚えのある鞄と、色の違う靴。
「サラ……?」
リナの手から、討伐証明を入れた袋が落ちた。
駆け寄る。
御者は動かない。
首筋へ指を当てても、何も感じなかった。
サラのそばには、採ったばかりの薬草が散らばっている。
籠はいっぱいになっていた。
「サラ」
肩へ触れる。
返事はない。
身体には、まだ温かさが残っていた。
「おい」
背後から男の声がした。
「学生なら、見なかったことにして消えろ」
リナはゆっくり立ち上がった。
「この二人を殺したの?」
「馬車を渡せば済んだ話だ」
男が御者台から降りる。
息は荒い。
外套の端も裂けていた。
それでも、杖を構える動きに迷いはない。
「そっちの学生まで戻ってくるとは思わなかった。面倒を増やすな」
杖の先へ、水が集まる。
「《水弾》」
圧縮された水が飛んできた。
リナは横へ跳ぶ。
水弾が地面を抉った。
当たれば、ただでは済まない。
男は、答える代わりにリナまで殺そうとした。
「……食堂に行くって、約束したのに」
「何だ?」
「今日の報酬で、靴を買うって言ってた」
リナは杖を向ける。
「なのに、何で」
炎が杖の先へ集まった。
「《火球》!」
いつもなら抑える威力を、そのまま解き放つ。
男は前へ杖を突き出した。
「《水壁》」
厚い水の壁が立ち上がる。
学園の実技で見るものとは、厚さも流れの速さも違う。
火球がぶつかり、白い蒸気が弾けた。
炎は壁を抜けない。
「火か」
蒸気の向こうで、男が笑った。
「運が悪かったな」
リナは返事の代わりに、二発目を撃った。
水壁が炎を飲み込む。
リナ本来の魔力が、ほとんどなくなった。
男にも分かったらしい。
「その威力じゃ、もう空だろ」
水壁を残したまま、男は動かない。
火に対して水が有利だと知っている。
攻めずに防いでいれば、魔力量の少ない学生が先に尽きる。
正しい判断だった。
リナが普通の学生なら。
契約魔力へ手を伸ばす。
「《火球》」
三発目。
水壁が大きく揺れた。
「まだ残っていたか」
「《火球》」
四発目。
蒸気が広場を白く覆う。
「《火球》!」
五発目。
「待て――」
「《火球》!」
止めない。
威力も抑えない。
買った魔力が減っていくことも、今はどうでもよかった。
水壁が薄くなる。
男が両手で杖を握り、崩れた分を必死に補う。
「何でだ……」
息を切らしながら、男が呟いた。
「何で、まだ撃てる!」
男の目に、初めて怯えが浮かんだ。
「そんな魔力量の学生がいるはずがない。化け物か、お前は……!」
リナは答えなかった。
次の火球を撃つ。
水壁の向こうに、サラの籠が見えた。
薬草は集まっていた。
依頼は終わっていた。
あとは帰って、食事をするだけだった。
「《火球》!」
水壁が砕けた。
最後まで防ぎ切れなかった炎が、男を吹き飛ばす。
男の杖が地面を転がった。
身体が馬車の車輪へぶつかる。
「ぐ……」
男は起き上がろうとした。
リナはその顔へ杖を向ける。
杖の先に、小さな炎が灯った。
「動かないで」
男の動きが止まる。
リナの契約魔力も、ほとんど残っていなかった。
あと一発。
それくらいなら、撃てる。
◇
リナは荷台にあった縄で、男の両手足を縛った。
馬車の車輪へ結び、杖を遠くへ蹴る。
それから、依頼用に渡されていた救難信号を空へ放った。
赤い光が森の上へ昇る。
あとは、学園か町から助けが来るのを待てばいい。
リナはもう一度、サラの隣へ座った。
「……靴、買えたのに」
返事はない。
買った魔力の大半を使った。
この男を捕まえるために。
それでも、サラも御者も戻ってこない。
「この人を殺してもいいと思う」
悪魔は馬車の屋根から、黙ってリナを見下ろしていた。
「でも、殺したらそれで終わりだよね」
「そうだ」
「私は寿命を払って魔力を買った」
「そうだな」
「買った魔力のほとんどは、この人を倒すために使った」
リナは縛られた男を見る。
「この人に、払わせることはできないの?」
「何を払わせる?」
「私が払ったもの」
自分の手帳に書いた文字を思い出す。
一年と半年。
「寿命とか」
「契約すれば可能だ」
リナは悪魔を見上げた。
「他人の寿命でも?」
「双方が合意し、内容を確定し、必要な対価が支払われれば成立する」
「この人が払う契約にもできる?」
「できる」
悪魔はそれだけ答えた。
「殺さない代わりなら、この人は合意するかな」
「本人に確認する必要がある」
「そっか」
リナは立ち上がった。
縛られた男の前まで歩き、しゃがみ込む。
「ねえ」
男が顔を上げた。
「死にたくない?」




