第七話「体が知っている動き」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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「……重い。なのに、懐かしい」
いおりは、背中の大剣の重みを確かめるように呟いた。
フェスティナレンテ。
谷の底で引き抜いた銀色の剣は、今はいおりの背で静かな存在感を放っている。
革紐は肩に深く食い込み、歩くたびに鈍い金属音が耳の近くで鳴った。
普通の少女なら、引きずるだけで精一杯だろう。
けれど、いおりの足取りは、村を出た頃よりずっと安定していた。
隣を歩くゆめが、鼻先をかすかに動かす。
「いおり。……匂いが変わったね」
「どう変わったの?」
「昨日までは、ずっと探しものをしてる匂いだった」
ゆめは少しだけ目を細める。
「……今は、自分の荷物をちゃんと持ってる匂い。落ち着いてて、でも前に進む匂い。……いい匂いだよ」
いおりは思わず小さく笑った。
右手で、左手の手袋の上から六本目の指をなぞる。
結晶化した指先は、剣と呼応するように、かすかな熱を保っていた。
思い出せない過去の“証”。
それが今の自分に形を与えてくれている。
そう思うと、不思議な充足感が胸の底に落ちていく。
だが、その穏やかさは唐突に途切れた。
風が、止まる。
さっきまで岩の隙間を鳴らしていた風音が消えた。
鳥の気配もない。荒れた大地の沈黙だけが、急に深くなる。
いおりは足を止めた。
「……ゆめ。来るわ」
ゆめの表情もすぐに硬くなる。
彼女は右手を胸元で握りしめた。
かつてなら、その手から光が生まれていただろう。
今、その掌にあるのは震える体温だけだ。
「うん。……大きい。すごく冷たくて、形がいくつもある」
いおりは背中へ手を回し、フェスティナレンテの柄を掴んだ。
「下がってて、ゆめ」
「いおり」
「大丈夫。……たぶん、やり方は分かる」
自分でも不確かな言い方だった。
けれど、嘘ではなかった。
剣を引き抜く。
ぎぃ、と重い金属音が無音の世界を裂いた。
その直後、前方の岩陰から銀色の霧があふれ出した。
ハザードレイヤー。
廃村で遭遇したものより、ずっと濃い。
地を這う霧は瞬く間に壁となり、二人の周囲を半円状に囲い込んでいく。
冷たい粒子が足首にまとわりつき、逃げ道の輪郭を曖昧にしていく。
そして、その霧の中から“影”が立ち上がった。
人の形をした結晶。
腕の位置も、足の長さも、顔の凹凸もどこか歪で、完成しきれなかった悲鳴がそのまま化石になったような存在だった。
いおりは剣を両手で構える。
重い。腕の筋肉が張る。呼吸が浅くなる。
こんなものを振るって勝てるはずがない、と頭のどこかが冷静に告げていた。
けれど。
(……一歩、右)
思考より先に、足が動いた。
右足を軸に、身体を半歩ずらす。
次の瞬間、最前列の結晶体が振るった爪が、いおりの鼻先をかすめて空を裂いた。
(腰を落として。重心は前。剣先じゃなく、流れを通す)
誰の声でもない。
けれど確かに、自分の身体の奥から湧いてくる“正解”だった。
いおりの指が柄の上を滑るように動く。
大剣の重さが遠心力へ変わり、一気に加速した。
銀色の円弧。
結晶体は悲鳴を上げる暇もなく、胴の中心を断たれて崩れた。
砕けるというより、構造そのものが解かれて霧へ戻っていく。
(……今の、何)
いおりは目を見開いた。
腕に残る衝撃が、あまりにも少ない。
力任せに斬ったのではない。
相手の核だけを、最も効率のいい角度で切り離したような感触だった。
「いおり、左!」
ゆめの声が飛ぶ。
考えるより早く、いおりは剣を左へ払っていた。
見ていないはずの位置にいた影が、刃に触れた瞬間、銀色の粒子になって散る。
「後ろ、二歩! 足元、崩れる!」
いおりは反射的に下がる。
さっきまで立っていた場所に、霧の槍のような結晶が突き上がった。
地面の振動。霧の密度。
ゆめの声。
そのすべてが、いおりに正解を渡し続ける。
次の一体が跳ぶ。
いおりは踏み込み、剣を縦に返した。
上から叩き落とすのではなく、斜めに滑らせて核を裂く。
抵抗はほとんどない。
重さをぶつけるのではなく、相手の綻びへ刃を通している。
(足が、勝手に……)
意識が身体から数センチ浮いているような感覚。
次にどこへ踏み込むべきか。どの高さで振るえばいいか。
頭が考えるより先に、膝も、腰も、手首も、完璧な答えを選んでいく。
(これ、私なの?)
霧の向こうに、もう一人の自分がいる気がした。
今より少し鋭く、今よりずっと孤独で、それでも迷いなく前に立っていた誰か。
その“彼女”が、今のいおりの身体に重なっている。
「いおり、右! 三体!」
ゆめの声が、鋭く霧を貫いた。
いおりは右足に軸を移し、身体を大きく捻る。
フェスティナレンテの重みが円を描き、横一閃の軌道へ変わる。
銀色の刃が三つの影をまとめて薙いだ。
火花が散る。
足元に、砕けた結晶の塵がさらさらと降り積もる。
「ゆめ、助かる!」
「当然だよ!」
ゆめは一歩も退かず、いおりの背中を見つめていた。
「……私には、いおりの呼吸が分かるから。次にどこへ行きたいかも、なんとなく分かる」
光はない。
かつてのように盾になることも、霧そのものを焼き払うこともできない。
けれど、匂いも、気配も、呼吸も、足音も。
一匹の犬だった頃から積み重ねてきた感覚は、今も消えていなかった。
光の代わりに言葉を。
それが、今の二人の戦い方だった。
最後の影が、霧の奥から大きく身を起こす。
他よりもひときわ大きい。
歪んだ腕が鎌のように伸び、まとめて二人を断ち切ろうと振り下ろされる。
「いおり、上!」
声と同時に、いおりの身体が前へ出た。
逃げるのではなく、懐へ潜る。
重心を落とし、剣を下から跳ね上げる。
巨大な影の中心に、細い銀の線が走った。
次の瞬間、結晶体は左右へずれ、音もなく崩壊した。
遅れて、周囲を満たしていた霧そのものが大きく揺らぐ。
いおりは間髪入れず、剣を両手で握り直した。
「――っ!」
頭上から、真っ直ぐに振り下ろす。
フェスティナレンテが地面へ突き刺さり、鈍い衝撃が足元から広がった。
見えない波が霧の核を打ち砕き、周囲のハザードレイヤーを一気に吹き飛ばす。
銀色の靄が、風に散る雪のようにほどけて消えた。
◇
静寂が戻る。
残ったのは、荒い息を吐くいおりと、その傍らに駆け寄るゆめだけだった。
いおりは剣の柄を握ったまま、自分の右手を見つめた。
手袋越しでも分かるほど、掌が熱を持っている。
「……すごかったね、今のいおり」
ゆめがそっと肩を支える。
鼻先を動かし、いおりから立ち上る匂いを確かめる。
そこにあるのは、勝利の高揚よりも、もっと複雑なものだった。
「私……あんなふうに動けるなんて、思わなかった」
声がかすかに震える。
助かった。戦えた。
けれど同時に、自分の身体が自分の知らない記憶で上書きされていくような、底知れない違和感もあった。
「今の動き……この剣を持っていた頃の私は、いつもあんなふうに戦っていたの?」
いおりが問う。
ゆめはまっすぐ、いおりの瞳を見返した。
その琥珀色の奥には、いおりが失ってしまった戦場の記憶が、今も確かに残っている。
「……うん」
静かな、でも迷いのない返事だった。
「いおりは、いつだってみんなの前に立ってた。怖くても、痛くても、誰かを守るために」
いおりは目を伏せる。
北西から吹き始めた風が、額の汗を冷やした。
記憶はまだない。
けれど、身体が覚えているこの動きは、自分という人間の根っこに繋がっている。
「知りたい」
いおりはゆっくり顔を上げた。
「私が、どんな顔で戦っていたのか。何を守りたくて、この重さを引き受けていたのか」
それは、もう“過去に蓋をする”ための言葉ではなかった。
失ったものを、今の自分の一部として取り戻したいという、はっきりした欲求だった。
ゆめは、いおりの肩に置いた手へ少しだけ力を込める。
「じゃあ、一緒に見つけよう」
「……うん」
「私、ちゃんと覚えてるところもあるから。いおりが思い出せなくても、隣で言葉にする」
その言い方に、いおりは少しだけ目を細めた。
北西の空は、まだ銀色の雲に覆われている。
その向こうにある真実が優しいものだとは、もう思えない。
けれど、そこへ向かわなければならない理由は、戦いの中ではっきりした。
自分は何者なのか。
誰を守ろうとしていたのか。
そして、誰を救えなかったのか。
フェスティナレンテを背負い直す。
重みが肩へ食い込み、同時に心を定めた。
「いこう」
いおりが前を向く。
「……もっと奥へ。今の私が、昔の私に飲み込まれるためじゃなくて、ちゃんと追いつくために」
ゆめは一瞬だけ息を止め、それから柔らかく笑った。
「うん。どこまでも、ついていくから」
二人は再び歩き出した。
踏みしめる土の音には、もう迷いが混ざっていない。
背中の剣は重い。過去もまだ遠い。
けれど、その重さごと前へ運んでいけるだけの力が、確かに今のいおりには宿り始めていた。
第一章:第七話「体が知っている動き」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
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