第八話「ゆめの告白」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233188/
【02】ゆめ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233190/
【03】ななみ・リリカ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233192/
【04】ユウリ・セシリア
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233193/
【05】ステラ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233195/
【06】リナ・ミナ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233196/
【07】レイナ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233197/
【08】カレン
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233199/
焚き火の爆ぜる音が、夜の静けさを規則正しく刻んでいた。
いおりは膝の上に置いたフェスティナレンテの柄を、ゆっくりと指先でなぞる。
使い込まれた革の感触。手袋越しにも伝わる、六本目の指のかすかな疼き。
剣に触れてからずっと、記憶の向こう側で誰かが自分を呼んでいる気がしていた。
けれど、呼ばれるままに手を伸ばすのが、今は少しだけ怖い。
「……ゆめ」
声を出すまでに、少し時間がかかった。
「私、この剣のこと、もっと知りたい」
焚き火の向こうで、ゆめが顔を上げる。
「昼間、身体が勝手に動いた時……あれが、もし“本当の私”なんだとしたら」
いおりはそこで言葉を切った。
喉の奥が、急に狭くなる。
「今ここで、あなたと話してる私って……何なんだろうって、思ってしまうの」
火が、小さくはぜる。
「全部思い出したら、今の私が消えてしまうんじゃないかって、怖い」
その一言を言った途端、自分の中にあった形のない不安が、はっきり名前を持ってしまった気がした。
「この村で過ごした時間も、旅に出てからのことも、全部……誰かの借り物みたいに思えてしまったら、どうしたらいいのか分からない」
顔を伏せたいおりの左手を、ゆめがそっと包む。
白い手袋の上からでも分かる、やわらかな体温だった。
「いなくならないよ」
ゆめの声は静かだった。
でも、迷いがなかった。
「今のいおりは、ちゃんとここにいる」
いおりが顔を上げる。
琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「私、今のいおりが好きだよ。前よりも、ずっと」
その言葉に、いおりは息を止めた。
ゆめは続ける。
「もし、いおりが自分を忘れてしまっても、私が覚えてる。だから、今のあなたを、紛い物なんて思わないで」
焚き火の明かりが、ゆめの横顔をやわらかく照らしている。
その光の中で、ゆめは一度だけ小さく息を吸った。
「……私ね、いおり。言ってなかったことがあるの」
そう言って、ゆめは自分の右手を見つめた。
「光が出なくなったんだ」
いおりが瞬く。
「レミエル。アムネシアの中で、いおりを守るために使っていたあの光。実体を持って、こうしていおりの隣を歩けるようになった代わりに……消えちゃった」
ゆめの掌は、焚き火の熱を受けてほのかに赤い。
温かくて、やわらかくて、でもそこからは何も生まれない。
「旅に出てからも、ずっと怖かった」
視線が落ちる。
「光のない私に、いおりの隣にいる資格があるのかなって。廃村の霧の中でも、何もできなかった。あの時、守られたのは私のほうだった」
いおりは何も言わず、ただ聞いていた。
「情けなかったよ。悔しかった。いおりが前に進もうとしてるのに、私は前の私にできたことを、もう一つもできなくなってる気がして」
ゆめの声は震えていた。
それでも、途中でやめなかった。
「でもね」
膝の上で握っていた右手を、ゆっくりほどく。
「あの霧の中で、心臓の鼓動を指先に集めても、何も起きなかったでしょう。あの時、私を支えてくれたのは、光じゃなかった」
ゆめは、記憶の底をそっと探るように目を細めた。
「いおりの匂いとは違う。でも、すごく懐かしい温かさだった」
いおりは、無意識に身を乗り出す。
「大きな手に頭を撫でられたみたいな。何もしなくていい、ただそこにいるだけでいいって言われてるみたいな安心感。……あの気配があったから、私は正気でいられた」
そこで、ゆめはとうとう膝に顔を埋めた。
力を失ったこと。
守れなかったかもしれないという恐れ。
それでもなお、自分を呼ぶ名前のない温かさ。
どれも、今のゆめの中で本物の痛みとして息をしていた。
いおりは膝の上のフェスティナレンテを見つめる。
自分の過去を知りたい気持ちは、ずっと切実だった。
剣に触れた時に込み上げた悲しみの意味も、失った誰かのことも、知りたいと思っている。
けれど今、隣で震えているゆめの言葉は、それよりもずっと目の前の真実だった。
いおりは、そっと剣を持ち上げると、ゆめの隣の地面へ静かに置いた。
過去を追うための重みを、いったん手放すように。
それから左手の手袋を外す。
薄青く明滅する六本目の指。
冷たく、硬く、異質なその指を隠さずに、いおりはゆめの掌へ重ねた。
ゆめが、わずかに目を見開く。
「ゆめ。この指が冷たいのは、私が誰かを守ろうとした証なんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、ゆめが光を手放したのが、私と一緒に歩くためだったなら」
いおりは、ゆめの手をしっかり握った。
「ゆめが手放した分は、私が一緒に持つよ」
ゆめの瞳が揺れる。
いおりは、その瞳をまっすぐ見返した。
もう、自分の欠落に怯えるだけの顔ではなかった。
「私の過去なんて、いつか思い出せればいい。急いで全部取り戻さなくても、ゆめが覚えていてくれるなら、きっとどこにも消えない」
それは諦めではなかった。
何を優先するかを、自分の意思で選ぶ言葉だった。
「それより、ゆめの中にあるその温かな気配を、一緒に探しに行こう」
いおりは、少しだけ笑った。
「ゆめを、一人にしたくないから」
その瞬間、ゆめの目に熱い雫が溜まった。
泣くまいと堪えていたものが、もう隠しきれなくなる。
「……いおり」
「二人で探そう」
いおりはフェスティナレンテを背に担ぎ直した。
重い。けれど、もうその重さは自分だけのためのものではない。
「私の過去も、その人のことも。全部、二人で」
少し考えてから、いおりは付け足す。
「……当然だよ」
その言い方が、あまりにもゆめらしくて。
ゆめは泣き笑いのような顔になった。
いおりは身を寄せ、ゆめの小さな肩を抱き寄せる。
触れた体温は、確かにここにある“今”だった。
二人が立ち上がろうとした、その時だった。
風が、止まった。
焚き火の炎が、不自然なほど真っ直ぐ上へ伸びる。
夜気が冷たく張りつめ、世界そのものが息を潜めたような静寂が落ちる。
そして、暗がりの向こうから声が響いた。
「…………そこへ行ってはいけません」
いおりとゆめは、同時に振り返る。
夜霧の奥。
ぼんやりと、人影が立っていた。
大きな背中。
けれど、ひどく疲れている。
長いあいだ何かを背負い続けてきた人にしか出せない、沈んだ立ち姿だった。
顔はよく見えない。
それでも、その声には氷のような冷たさと、拭いきれない慈しみが同時に滲んでいた。
「……その先は、もう祈りでは届かない場所です」
いおりは息を呑む。
「……誰?」
問いかける声は、小さかった。
いおりにとって、その人物は名前のない“未知”だった。
けれど、隣に立つゆめは、すでに動けなくなっていた。
(……しってる)
鼻先が激しく震える。
廃村の霧の中で感じた、あの全てを覆ってくれるような安らぎ。
何もしなくていいと許される、あの温かさ。
人影は、二人の反応を確かめるように、しばらくそこに立っていた。
けれど、いおりが一歩踏み出そうとした瞬間、音もなく霧の向こうへ後退する。
「待って!」
いおりが呼ぶ。
答えはない。
ただ、消えゆく背中の気配だけが、ひどく古い孤独を残す。
その背中に感じたのは、あの夜の夢で見たものと同じだった。
冷たい石のように寂しいのに、その奥底にだけ、陽だまりの残り香のような、泣きたくなるほど懐かしい温度が混じっている。
ゆめは無意識に胸元を押さえていた。
あの気配を、自分は確かに知っている。
なのに、名前だけが出てこない。
いおりは、人影が消えた方角を見つめたまま、左手を胸に当てた。
六本目の指が、警鐘みたいに微かに疼いている。
けれど、その疼きは刺すような痛みではなく、熱い溜息のような残響を伴っていた。
「……探しに行こう」
その声は、もう迷っていなかった。
いおりは振り返り、ゆめを見る。
「ゆめ」
ゆめは一度だけ強く頷く。
「……うん。行こう」
自分たちの過去を追う旅だった。
けれど今、それは少し形を変えていた。
いおりが失ったものを取り戻すためだけの旅ではない。
ゆめが失った光と、そのかわりに残された温かさの正体へ辿り着くための旅でもある。
二人は荷物を背負い直した。
北西の空には、薄い冬の月が昇りはじめている。
焚き火を消す。
夜明けを待つ理由は、もうなかった。
静かな足音が、凍えた地面を踏む。
あの背中を追って。
祈りでは届かないと言われた、その先へ。
第一章:第八話「ゆめの告白」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
■専用Xアカウント
https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21




