第六話「フェスティナレンテ」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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その剣は、静寂を裂くようにそこにあった。
北西へ進むほど、地形は険しさを増していた。
足元の緑はとうに途絶え、剥き出しの岩肌が牙のように空へ突き出している。
風が狭い裂け目を吹き抜けるたび、笛のような高い音が谷間に長く残った。
ゆめが、ふいに足を止める。
「……いおり。この先だよ」
鼻先がかすかに震えていた。
何重にも重なる空気の層の中から、たった一つの匂いだけを選び取るみたいに、ゆめは谷の奥を見つめる。
「銀色の匂いが、一番強い」
いおりは無言で頷いた。
重い足取りだった。疲れているからではない。
進めば進むほど、胸の奥で何かが目を覚ましていく。
その感覚が、怖いほど鮮明だったからだ。
崩れた巨岩が折り重なり、谷の最奥は迷宮のようになっていた。
陽の光さえ満足に届かない暗がり。
その中心に、一本の剣が深く突き立っている。
フェスティナレンテ。
名を口にしたわけでもないのに、いおりはそれが何であるか知っていた。
鈍い銀色の剣身。
ハザードレイヤーの霧が放つ冷徹な白とは違う。
もっと静かで、もっと深く、祈りの余熱だけが金属の奥に沈んでいるような光だった。
主を待ち続ける騎士のように。
あるいは、誰かの帰還だけを信じて立ち尽くす墓標のように。
「…………」
いおりは吸い寄せられるように歩み寄った。
心臓が激しく脈打っている。
恐怖ではない。
深い海の底に沈められていた“自分自身”が、水面を目指して必死にもがいているような、切実な疼きだった。
左手の手袋を外す。
薄闇の中に、六本目の指があらわになる。
結晶化したその指先が、剣の光に応えるように、かすかに青く明滅した。
いおりは息を呑む。
震える手を伸ばし、銀色の剣身へ指先を触れさせた。
ひやりと冷たい。
けれど、その冷たさは拒絶ではなかった。
(……あ)
触れた瞬間、視界が白く爆ぜた。
◇
涙が、一気に溢れた。
止め方が分からない。
どうして泣いているのかさえ分からない。
ただ、熱い雫だけが頬を伝い、剣の表面へ落ちては小さく弾けていく。
頭の中に、濁流みたいに何かが流れ込んでくる。
名前。感触。息づかい。銀色の光。足元の崩れる音。
誰かを庇って振るった重さ。
守りたかったもの。守れなかったもの。
けれど、どれもまだ形にならない。
顔も見えない。言葉も拾えない。
景色は白く散って、掴もうとするたび遠ざかる。
それでも、身体だけは知っていた。
この柄を握りしめていたこと。
誰かの笑顔のために、何度もこの剣を振るっていたこと。
銀色の回路みたいな何かを、自分の中で燃やしながら戦っていたこと。
そして――
ほんの一瞬、鮮烈な残像が脳裏を掠めた。
小さな何かが、目の前で崩れ落ちる。
昨日まで、あるいはついさっきまで確かにそこにあった、やわらかい熱。
それが指先から零れ落ち、温かかったものが、急に、どうしようもなく冷たくなる。
「……う、あ……っ」
いおりは胸を押さえ、その場に膝をついた。
痛い。 理由は分からない。
なのに胸の奥だけが、取り返しのつかない悲しみを知っていた。
(だれ……?)
喉の奥で、声にならない問いが震える。
(私は、だれを……失ったの?)
息がうまく吸えない。
白い景色の断片が、何度も何度も脳裏で砕ける。
その時、背中にそっと温かな手が触れた。
「……いおり」
ゆめの声だった。
谷底の空気は冷たいのに、その手のひらだけが驚くほど温かい。
いおりはその温もりに縋るみたいに、荒い呼吸を繰り返した。
脳裏に焼き付いていたのは、真っ白な吹雪のようでいて、どこか優しい景色。
腕の中で、小さな命の重さがふっと変わる瞬間。
温かかったものが冷えていく、あの絶望的な落差。
記憶の扉は、まだ固く閉ざされたままだ。
けれど、この悲しみだけは嘘ではない。
身体の奥のすべてが、それを真実だと叫んでいた。
「……ゆめ、私」
掠れた声が零れる。
「……誰かを、救えなかったのかもしれない」
ゆめは、すぐには何も言わなかった。
ただ、いおりの背中をゆっくり撫でる。
その手つきは、痛みそのものを少しでも吸い取ろうとするみたいにやさしかった。
「いおりが悪いんじゃないよ」
やがて、静かな声が落ちる。
「……今、泣いてるってことは、その時、本気で守ろうとしてたってことだから」
その言葉に、いおりはもう一度だけ強く息を吸った。
泣いたまま、乱暴に手袋で頬を拭う。
そして、再び剣の柄へ手を伸ばした。
◇
鈍い銀色の柄。
使い込まれた革の感触。
握った瞬間、指の関節が吸い付くように馴染んだ。
この剣の重心も、振るう時の間合いも、踏み込む角度も、身体が完璧に覚えている。
忘れていたのは頭だけだったのだと、嫌になるほど分かる。
「……いくよ、フェスティナレンテ」
いおりは両足で岩を踏みしめた。
腹の底に力を落とす。
腕だけではない。背中、腰、膝、足先。
全身を一本の線に通し、一気に引き上げる。
ず、ずず……。
岩と鋼が擦れ合い、低い音が谷に響く。
火花が散る。
重い。
かつての自分なら、もっと軽く扱えたのだと身体は知っている。
けれど今のいおりは、記憶を失った、華奢な少女の身体のままだ。
「……っ、……あ、ああああ!!」
腕が悲鳴を上げる。
肩が軋む。視界が白く散りそうになる。
それでも、手は離さない。
これが今の自分の重さだ。
失った過去の代償であり、それでも進むと決めた今の責任だ。
耳を裂くような金属音が、谷底に轟いた。
ぎぃぃぃん――!
次の瞬間、剣が岩から解き放たれる。
いおりは反動でよろめきながらも、巨大な剣身を両手で支え、正面へ構えた。
谷間に、一瞬の静寂が落ちた。
風が止まる。
剣の表面に刻まれた無数の傷跡が、鈍く光る。
重い。
けれど、持てる。
その事実が、いおりの胸の中に確かな拠り所を生んだ。
自分は空っぽじゃない。失ったものばかりじゃない。
この重さを知っている自分が、まだここにいる。
いおりは剣身に映るぼやけた自分の顔を見る。
泣きはらした目。細い肩。頼りなく見える身体。
それでも、その奥にいる何かだけは、剣を握った瞬間にはっきりしていた。
「……思い出せなくても」
小さく、けれど確かな声で呟く。
「私は、ここまで来た」
その背後で、ゆめは少し離れて立ち尽くしていた。
鼻先をかすかに動かす。
いおりから漂っていた“冷たい雨”の匂いは、今、少しずつ変わっていた。
濡れた土が、ようやく陽を受け始めた時のような匂いに。
(戻ってきてる)
記憶そのものではない。
もっと根の深いところにある、“いおりらしさ”みたいなものが、剣に触れたことで息を吹き返している。
ゆめは背中の後ろで、自分の右手を強く握りしめた。
光を失った、小さな手。
さっきまでなら、その事実が胸を刺していた。
けれど今は少しだけ違う。
いおりが大剣を取り戻したのなら、自分はそれを見守る影でもいい。
隣に立って、転びそうになった時に支える役目でもいい。
守り方が、昔と同じでなくてもいい。
(守るよ、いおり)
心の中で、そっと呟く。
その時だった。
フェスティナレンテの剣身が、かすかに震えた。
きん――と、澄んだ音が一つ鳴る。
いおりも、ゆめも同時に顔を上げた。
谷のさらに奥。
岩が幾重にも折り重なった暗がりの先で、何かが微かに光った気がした。
それはハザードレイヤーの不穏な白ではない。
剣と同じ、鈍い銀色の反射。
そして、遅れて風が吹く。
北西から。まっすぐに。
まるで剣が、その方向を指し示したみたいに。
いおりは息を呑み、ゆっくりと剣を背へ担いだ。
鞘のない剣はひどく不格好で、ひどく重い。
けれど、その重さが不思議と心を落ち着かせた。
「……いこう、ゆめ」
振り返った瞳には、もう迷いがなかった。
「北西の、もっと奥へ」
ゆめは一度だけ、強く頷く。
「うん。……今度は、私も離れない」
二人は谷の奥を見据えた。
風の向こうには、まだ知らない過去がある。
失ったものの名前も、救えなかった誰かの正体も、まだ何一つ分からない。
それでも、フェスティナレンテは確かにいおりの手に戻った。
ならば、この先に進む理由はもう十分だった。
谷底に残っていた静寂が、二人の足元からゆっくりとほどけていく。
北西の風は、さらに奥の闇へ向かって吹き抜けていった。
第一章:第六話「フェスティナレンテ」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
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