↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀色の旅路――すべてを繋ぎ、愛するための戦記。  作者: 銀のさくら
スピンオフ:もかが見た匂いの記録
PR
50/51

第三話「リナとミナの匂い」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおり

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233188/

【02】ゆめ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233190/

【03】ななみ・リリカ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233192/

【04】ユウリ・セシリア

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233193/

【05】ステラ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233195/

【06】リナ・ミナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233196/

【07】レイナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233197/

【08】カレン

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233199/

甘く香ばしい匂いが、アムネシア中央資料室の冷たい空気を、今日は少しだけ負かしていた。


窓のない壁に投影された朝の光はいつも通りやわらかいのに、その下にある機械油の匂いだけが、どこか遠慮がちだ。


さっき廊下を通りかかったリナとミナが、焼きたての石焼き芋を半分に割って置いていったせいだった。


湯気を立てる黄金色の実を、もかが両手で包む。

ふー、ふー、と息を吹きかけてから、小さくかじった。


「あちっ……でも、すっごく甘いね、すずちゃん」


ほろりと崩れた芋の断面から、素朴でやさしい熱が立ちのぼる。

その匂いに撫でられるたび、資料室の硬い輪郭が少しずつほどけていくようだった。


すずは眼鏡の位置を指先で直し、古い記録帳の新しい頁を静かに開く。

万年筆の先を整え、いつもの平静な声で告げた。


「リナ、およびミナ。匂いの変遷記録を開始します」


◇


「まずは、リナちゃん」


もかは芋の皮をていねいに剥きながら、目を細めた。

匂いを思い出す時の、あの少しだけ遠くを見る顔だ。


「リナちゃんの最初の匂いはね、『地図と、乾いた土の匂い』だったの」


すずのペン先が、さらりと紙を滑る。


「地図、ですか」


「うん。ちゃんと道を知ってる匂い。でもね、自分のことだけは、どこにも書いてない地図だった」


もかはくすっと笑ったが、その声はすぐに静かになる。


「静かで、きっちりしてて、無駄がなくて。近くにいても、どこまで入っていいのか分からない匂い。……すずちゃんは、最初のリナちゃんをどう見てた?」


すずは記録帳から目を上げずに答えた。


「正確で、制御が利いていて、感情による誤差が少ない個体です。アムネシアの綻びを、最も静かに、最も継続的に処理していたと記録しています」


「うん。そういう子だった」


もかは頷き、またひと口、お芋を食べる。


「でもそれ、強いっていうより……上手だったんだよ。自分を閉じ込めるのが」


その一言で、部屋の空気がわずかに沈んだ。


「傷ついた匂いも、寂しい匂いも、誰かに触れてほしい匂いも、ぜんぶ『古い裁縫箱の乾いた匂い』の奥に隠してたの。見つからないように。迷惑をかけないように。……たぶん、傷つけないために」


すずの手が、そこでほんの一瞬だけ止まる。


「誰を、ですか」


「自分も。相手も」


もかは即答しなかった。

少し考えてから、静かに続ける。


「リナちゃん、やさしい子だから。やさしい子って、自分が痛い時ほど黙っちゃうこと、あるでしょ」


資料室の上を流れる送風の音が、短く空白を埋めた。


「ですが、完全には隠し切れなかった」


すずがそう言うと、もかは小さく笑った。


「うん。一回だけ、あふれちゃった」


「……ミナに、本音を伝えた夜ですね」


「そう」


もかの声は、今度ははっきりしていた。


「あの夜のリナちゃん、もう『地図』の匂いじゃなかった。行き先を示す紙じゃなくて、ちゃんと迷ってる人の匂いだったの。お母さんの形見の針を握って、震えてて、それでも絶対に手を離さないって決めてて……」


もかは胸の前で、何か細いものを握るように指を丸めた。


「熱かったよ。すごく。真っ直ぐで、ぎこちなくて、でも逃げない匂い。お日様みたいで、泣きそうなくらい人間だった」


すずはまぶたを伏せ、記録帳に一行ずつ置くように書きつける。


「……記録。彼女の沈黙は冷淡さではなく、防壁。自身の脆弱さを隠すためではなく、誰かをこれ以上傷つけないためのもの」


「うん」


「そして、その防壁は、ミナの前で一度だけ、自発的に解かれた」


もかは、うれしそうでもあり、少し切なそうでもある顔で頷いた。


二人の間で、石焼き芋の湯気がゆらゆらと揺れる。

まるで、あの夜にようやく外へ出られたリナの熱を、ここでもう一度肯定するみたいに。


「じゃあ、次はミナちゃん」


もかは最後のひとかけを名残惜しそうに見てから、ぱくりと口に入れた。


「ミナちゃんの匂いはね、やっぱり最初から、このお芋に似てたんだよ。あったかくて、甘くて、ちょっと焦げてて。近くにいるとほっとする匂い」


「しかし」


すずが視線を上げる。眼鏡の奥の瞳が、今度は少しだけ厳しく光った。


「記録上、彼女は『ラヴァ』としてアムネシア最下層に隔離されていました。接触対象を石化させる危険性を持ち、その熱量は破壊的と判断されていた個体です。あなたの表現とは、かなり隔たりがあります」


もかは否定しなかった。ただ、静かに頷いた。


「うん。だからね、旅のはじまりのミナちゃんの匂いは、やさしいお芋の匂いだけじゃなかったの」


その声音が少し落ちる。


「その奥に、ずっと重たいものが沈んでた。あったかいはずなのに、底のほうだけ冷たいの。自分が世界に霧を広げちゃったんじゃないか、自分が大好きなレイナさんを傷つけたんじゃないかって、何度も何度も自分を責めた匂い」


もかは、自分の胸元をそっと押さえた。


「誰かを温められる手のはずなのに、触れたら壊すかもしれないって思ってた。触れるのも怖い、触れられるのも怖い。……あれは、冷たい泥だよ。あったかい火のまわりに、ずっと貼りついて離れない泥」


すずが低く呟く。


「……罪悪感」


「うん。しかも、簡単に消えないやつ」


もかは少しだけ眉を下げる。


「ミナちゃん、ほんとはすごくやさしいのに、そのやさしさがそのまま自分を苦しめてたの。誰かが痛かったら、自分のせいだって思っちゃう子だから」


記録帳に落ちるインクの音だけが、数秒つづいた。


「では、転機は」


すずの問いに、もかはすぐ答えた。


「あの廃墟だよ」


その一言に、場の温度が微かに変わる。


「みんなの気持ちを受け取って、逃げないで、ちゃんと自分の中に通した時。リナちゃんに『あなたは悪くない』って抱きしめられた時。あの瞬間、重たかった匂いが、きれいに形を変えたの」


「……消失ではなく、変質」


「そう。なくなったんじゃないの。温もりになったの」


もかはうれしそうに、でも丁寧に言葉を選んだ。


「ミナちゃんがずっと持ってた熱が、やっと誰かを焼く火じゃなくて、誰かをあたためる火になったの。だから最後に残ったのは、このお芋みたいな匂いだけ。甘くて、やわらかくて、手のひらに置いておきたくなる匂い」


すずは、そこでようやく小さく息をついた。理解のための、短い沈黙だった。


「……なるほど」


万年筆がまた動き出す。青いインクが白い紙に静かに染み込み、言葉になる。


「二人は、互いを解放し合った」


すずは総括するように、しかし独り言にはしない声音で言った。


「リナがミナの凍てついた罪悪感を溶かし、ミナがリナの頑なな沈黙をほどいた。どちらか一方だけの救済では成立し得ない。相互的な調律です」


「うん、お揃いなんだよ」


もかは椅子の上で足を少し揺らし、嬉しそうに笑う。


「お互いに、相手のいちばん痛いところをちゃんと見つけたの。それで、そこに針を通したの。痛いまま終わらせないように、新しい関係になるように、縫い合わせたの」


すずはその言葉を繰り返すように、静かに口の中で転がした。


「……針を通す」


「リナちゃんの針と、ミナちゃんの火。ぜんぜん違うのに、今はちゃんと同じものを作ってる匂いがするんだよ」


もかは鼻先をくんと動かし、目を細める。


「だから今の二人の匂い、すっごくきれい。混ざってるのに、にごってないの」


すずは一度だけ、もかの顔をまっすぐ見た。


「もか」


「なぁに、すずちゃん」


「ミナの内に残されていた、レイナという人物への想いについて。……あなたは、どう感じていますか」


質問の形をしていたが、その声には、すず自身の知りたさが少しだけ混じっていた。


もかはすぐには答えない。少しだけ眉を下げ、それからやわらかく笑った。


「すごい人だったんだろうね」


「根拠は」


「匂い」


もかは即答した。


「何十年経っても消えないんだもん。ミナちゃんのいちばん深いところに、ずっとあったかいまま残ってる。そんな匂い、だれでも遺せるものじゃないよ」


それから、ほんの少しだけ寂しそうに付け足す。


「……私、会ってみたかったな」


すずは目を伏せた。


「……同感です」


短い返答だったが、それで十分だった。


挿絵(By みてみん)


すずは静かにペンを置き、記録帳を閉じる。表紙が重なる小さな音が、ひとつの記録の終わりを告げた。


「記録、完了。役割を捨てるのではなく、役割に縛られていた自分を解放し合ったことで、二人の旅路は新たな頁を得た――そのように結論づけます」


自動ドアが、廊下の風を受けて小さく軋む。


その瞬間、もかの動きがぴたりと止まった。鼻先が、微かに震える。


「あ……」


「どうしましたか、もか」


「……この匂い」


もかは立ち上がりはしない。ただ、廊下の先をまっすぐ見つめた。


「何もないみたいなのに、ちゃんとあったかい。ずっと待ってた匂い。置いていかれたんじゃなくて、これから始まるために空いてたみたいな匂い」


その顔が、ふわりとほころぶ。


「次は、あの空白の中に温もりを隠してたあの子と、それをずっと隣で見守ってたあの子の話をしようよ」


すずが眼鏡の位置を直し、記録帳の表紙をそっと撫でる。


「……いおり、およびゆめ、ですね」


「うん」


「了解しました。次回の記録項目として、仮保存します」


廊下の向こうから、ひだまりに干したタオルのような匂いと、甘酸っぱい果実のような匂いが、静かに重なって流れてくる。


それはまだ物語になっていないのに、もう誰かの帰る場所の匂いがした。


スピンオフ:第三話「リナとミナの匂い」――完

第三作『銀色の旅路』は完結編です。

キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。


もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。


■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。

https://ncode.syosetu.com/n6938mi/


■専用Xアカウント

https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。