第二話「ユウリとセシリアの匂い」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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アムネシア中央資料室には、今日も穏やかな朝の光が満ちていた。
窓のない壁に映された擬似の朝は、本物ではない。
それでも、この部屋に差すには十分なくらい柔らかい。
もかが干し林檎をひとかじりする。
しゃく、と小さな音がして、甘酸っぱい香りが古い端末の並ぶ室内へ静かに広がった。
「今回は、あの歌を歌う子と、百合の匂いがする人の記録だね」
すずは眼鏡を押し上げ、古い記録帳の新しい頁をめくる。
ペン先を整え、淡々と告げた。
「ユウリ、およびセシリアさんですね。……記録を開始します」
◇
「まずは、ユウリちゃん」
もかは目を閉じる。
記憶の引き出しをくんくんと嗅ぎ分けるみたいに、鼻先がわずかに動いた。
「ユウリちゃんはね、最初から、かすかに『歌の匂い』がしてたんだよ」
すずのペン先が、一瞬だけ止まる。
「ですが、彼女はアムネシアにいた頃、歌うことを制限されていたはずです」
すずは事実を確認するように言う。
「記録上も、ハザードレイヤー内での歌唱以外に、公式な歌のデータは残っていません」
「うん。そうなんだけどね」
もかは干し林檎を指先でくるりと回した。
「喉の奥のほうから、ずっと歌の匂いがしてたの。でも、ユウリちゃん自身は、それに気づいてなかったんだと思う」
少しだけ笑って続ける。
「だからかな。自分の中のその匂いを隠すために、すっごくツンとした、気取ったお嬢様みたいな匂いで自分を包んでたんだよ」
「擬装、ということですか」
「そうそう。ほんとは柔らかいものを持ってるのに、触らせないための匂い」
もかは頷く。
「ちょっと尖ってて、きれいで、でも近づくと刺さりそうな感じ」
すずのペンが、また静かに走る。
「それがね、ステラちゃんの形見の短剣――ヴィエントを手に入れた時に、ぐっと変わったの」
もかの声が少し明るくなった。
「喉の奥に隠れてた歌の匂いが、一気に強くなったんだよ。そこへ、ステラちゃんの持ってたお日様みたいに眩しい匂いが混ざった」
目を閉じたまま、もかはその匂いを思い出す。
「風の中に二人で並んで立ってるみたいな匂いだった。ひとりじゃないって信じたくて、でもまだ完全には自分の足で立ててない、そんな途中の匂い」
「……ですが、彼女は最終的にその短剣を手放しましたね」
「うん」
もかは静かに頷いた。
「ヴィエントを核へ返したあと、ユウリちゃんの匂いは、もっとちゃんと変わったんだよ」
その言葉には、どこか満足そうな響きがあった。
「もう、ステラちゃんの影を追いかける匂いじゃなかった。自分の足で、自分の意志で、誰かの隣に立とうとする匂いになったの」
すずが顔を上げる。
「誰か、とは」
もかは、にっと笑った。
「もちろん、セシリアさん」
そして、少しだけ声をやわらげる。
「そばにいたいって気持ちがね、もう『ステラちゃんの代わり』じゃなくなってた。ユウリちゃん自身の本音の匂いになってたんだよ」
「ステラの匂いを、知っているのですか」
すずの問いは淡々としていたが、そこには純粋な興味があった。
「うん。なんとなくね」
もかは肩をすくめる。
「ユウリちゃんの中で、ずっと消えないで残ってた、一番大切で、一番切ない匂いだから。完全に同じじゃなくても、何が残って、何が変わったのかは分かるよ」
すずは短く頷いた。
「……興味深い変遷です。では、セシリアさんについてはどうですか」
頁をめくり、新しい紙面の端を指先で静かになぞる。
もかは少しだけ眉を下げ、困ったように笑った。
「セシリアさんはね、最初は『冷たい情報と、古い記録の匂い』がしてた」
その表現を確かめるように、小さく息を吸う。
「紙とインクと、閉じた箱。そういう匂い。ちゃんとしてて、整ってて、でもあったかくはないの」
「記録者、あるいは管理者としての匂い、ですか」
「うん。でもね」
もかは少し身を乗り出す。
「ユウリちゃんの前にいる時だけ、そこに別の匂いが混ざってたんだよ。……くんくん、お母さんの匂い」
すずの手が止まる。
「お母さんの匂い、ですか」
「そう」
もかはあっさり答えた。
「子どもを見守る時の匂い。すごく独特で、ちょっと甘酸っぱくて、でも自分のことは後回しにしてる匂い」
すずは眼鏡の奥から、まっすぐもかを見る。
「セシリアさん、言葉では厳しかったです。でも、ユウリちゃんのこと、本当の娘みたいに思ってたんじゃないかなあ」
「……それは、記録が難しいですね」
すずの声には、記録者としての真面目な困惑が混じっていた。
「バイタルデータにも、そのような親子関係を示す数値は存在しません。科学的な証拠がありません」
「匂いが、一番の証拠だよ」
もかは即答した。
「私の鼻がそう言ってるもん」
しばらく沈黙が落ちる。
すずはその沈黙ごと書き留めるみたいに、ゆっくりペンを走らせた。
「……了解しました。非公式の観測結果として、そのまま記録します」
そして続ける。
「それで、彼女の匂いはどのように変化したのですか」
もかの顔から、いつもの軽さが少し薄れる。
「あの北西の、冷たい場所に近づいた時」
声も少し低くなった。
「セシリアさんの匂い、すっごく重くなったの」
「どう重くなったのですか」
「重いんだけど、嫌な重さじゃなかった」
もかは言葉を探すように、少しだけ天井の朝を見た。
「自分がこれまでしてきたこと、間違えたこと、失ったもの、そういう受け取るべきものを、全部ひとりで背負いきろうとしてる匂い。……『贖罪』の匂いだね」
その言葉を、すずは丁寧に書き留める。
「でもね、それをユウリちゃんが止めたんだよ」
もかの表情が少しやわらぐ。
「ユウリちゃんが『駄目です』って言って、セシリアさんを無理やり引き止めた。あの時、止められて本当に良かったなって思った」
小さく笑って、それから言い切る。
「だって、そのあと、セシリアさんの匂い、すっごく軽くなったんだもん」
「手放した、ということですか」
「うん」
もかは何度も頷く。
「ステラちゃんを失ってからずっと、冷たい石みたいに固くて重い匂いがしてたのにね。ユウリちゃんに『まだそばにいていいですか』って聞かれた瞬間、その重さがぱっとほどけたの」
その光景を思い出しているのか、もかの目が少しだけ細くなる。
「ステラちゃんへの罪悪感とか、母親として失った時間とか、そういうのがぜんぶ解けて、最後に残ったのは、ユウリちゃんへのまっすぐな気持ちだけだった」
そこで、いたずらっぽく笑う。
「だから、匂いもすっごく分かりやすくなったんだよ」
「分かりやすい、とは」
すずが静かに問う。
もかは、最後の一片の干し林檎を口に放り込んだ。
甘酸っぱい香りがふっと広がる。
「混じりけのない、大好きな人を、ただ大好きだって思う匂い」
その答えに、すずは何も言わなかった。
ただ、手元の記録帳へ最後の一文を書き添える。
万年筆のインクが、白い紙にゆっくり染みていった。
「……記録、完了」
すずは記録帳を見たまま、淡々と総括する。
「役割を捨て、互いを名前で呼び合うことで、二人の関係は新たな調律を得た。……もか、あなたの主観的な補足は、この物語の『余韻』を記述する上で、極めて妥当です」
「えへへ、でしょう!」
もかは嬉しそうに椅子を揺らす。
「やっぱり、匂いは嘘をつかないんだから」
その時だった。
資料室の自動ドアが、微かな風をはらんで小さく揺れる。
廊下の向こうから流れ込んできた空気に、もかがぴたりと動きを止めた。
「あ……」
「どうしましたか、もか」
もかは鼻先をひくつかせたまま、廊下の先を見つめている。
「……この匂い、知ってる」
その声には、もう次の頁を見つけた時の期待が混ざっていた。
「すっごく一生懸命にペダルを漕ぐあの子と、甘くて温かいお芋を焼くあの子の匂い」
嬉しそうに目を細める。
「今の風の中に、あの二人がお互いを助け合って、やっと出せた温かい匂いが混ざってる気がする」
「……リナ、およびミナですね」
すずは静かにペンを置き、記録帳をそっと閉じた。
その瞳にはもう、次の頁を開く準備ができている。
「了解しました。次回の記録項目として、仮保存しておきます」
廊下の向こうから、香ばしい土の匂いと、やさしい熱の気配が、ゆっくり混ざり合いながら流れてくる。
記録は、まだ終わらない。
そう言うみたいに。
スピンオフ:第二話「ユウリとセシリアの匂い」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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