第五話「ヴィエント」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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霧が引き裂かれた、その中心に――それはあった。
岩肌の裂け目へ深く突き刺さった、一振りの短剣。
鞘はない。
剥き出しの鋼は、周囲を満たす銀色を吸い込みながら、静かに脈打っているように見えた。
ユウリがいま腰に下げている短剣より、わずかに大きい鍔。
切っ先へ向かって絞られていく線は鋭く、けれどどこか見覚えがある。
ずっと前から手の中に馴染んでいたものを見つけた時のような、ひどく曖昧で、ひどく確かな既視感があった。
ユウリの足が、吸い寄せられるように一歩前へ出る。
網膜の奥で、光景が重なった。
アムネシアの訓練場。
銀色の刃を手に、誰よりも眩しく笑っていた少女。
踏み込むたびに亜麻色の髪が揺れて、その背中がいつも、自分より半歩だけ前にあった。
「……あ」
声にならない声が漏れた。
ユウリは震える手を伸ばし、その柄を掴む。
指先に触れた革の感触は、ひどく古く、ひどく新しかった。
手入れされた年月のなめらかさと、長く岩へ晒されていたはずの冷えが、ひとつの重さになって掌へ沈む。
今、自分が持っている短剣とは決定的に違う。
ただの鋼の重さじゃない。
そこへ積み重なってきた時間ごと、こちらの手に乗ってくるような重さだった。
触れた瞬間、耳の奥で風が鳴った。
いや、違う。
これは風の音ではない。
『――ユウリ、右!』
聞き間違えるはずがなかった。
あの明るい声。
何度も隣で聞いた、迷いを断ち切るような響き。
忘れたくても忘れられない、ステラの声。
刹那、ユウリの身体が意思を追い越して動いた。
右足を引き、重心を落とす。
刃を斜め下から跳ね上げ、そのまま影を縫うように踏み込む。
ひとりで戦うための型ではない。隣に誰かがいて、背中を預け合っている時にだけ完成する、迷いのない連携の動きだった。
空を裂いた銀色の軌道が、かすかな光の粒になって霧へ溶ける。
ユウリはその姿勢のまま、しばらく動けなかった。
心臓が激しく打っている。
その鼓動が掌を通して短剣へ伝わり、逆に刃の奥からも何かが返ってくる気がした。
この剣の名を、ユウリは一度も口に出したことがない。
けれど、名前そのものではなく、その名前を与えた日の空気を、肌が、骨が、細胞が一気に思い出していた。
訓練帰りの夕方。乾いた廊下。
汗に濡れた手で短剣を掲げて、ステラが笑った。
(――風よ、ユウリ。私たちの戦い方は、いつかこの世界を吹き抜ける風になるの。だから、この剣は『ヴィエント』がいい)
ヴィエント。
風。
それは、ただの呼び名じゃなかった。
二人で並んで戦う時の呼吸に、いつか失われてしまうかもしれない今を、それでも形にして残そうとした、ステラなりの祈りだった。
「ステラが……そこにいましたか」
背後で、セシリアが静かに尋ねた。
近づきすぎず、けれど突き放しもしない距離で、彼女はユウリの隣に立っていた。
問いかけというより、ユウリの沈黙へそっと触れるような声だった。
「……分かりません」
ユウリは短剣――ヴィエントを、顔の前へ静かに掲げた。
曇りのない刃の面に、自分の目が小さく映っている。
その奥に、誰かの影がいる気がして、けれど見ようとするとすぐ消えてしまう。
「でも」
喉がひどく乾いていた。
「声が聞こえました。右へ動けって。……身体が、勝手に」
言葉の最後が少しだけ震える。
セシリアは一度だけ、深く頷いた。
それからユウリの肩へ、そっと手を置く。
「それで、十分だと思います」
その手のひらは驚くほど冷たかった。
けれど、その冷たさは拒絶ではない。長く何かに耐え続けてきた人間の温度だった。
ユウリはヴィエントを胸へ抱き寄せ、ゆっくりと目を閉じた。
込み上げてきたのは涙ではない。
もっと静かなものだった。
ずっと霧の向こうにあると思っていた真実が、ようやく自分の内側へ着地したような感覚。
失ったものが戻ったわけではない。
それでも、失ったままの形に、初めてちゃんと触れられた気がした。
(ステラ……)
名前を胸の中で呼ぶ。
(あなたのことは、一生忘れない)
その思いに嘘はなかった。
忘れないという決意ではなく、忘れようとしても身体の方が許さないという確信だった。
歌も、戦い方も、この剣の重さも、全部がまだ自分の中に残っている。
けれど、それだけでは終わらないことも、もう分かっていた。
(……でも、セシリアさんのことも、私はもう、放っておけない)
ステラへの想い。
今、隣にいるセシリアへの想い。
どちらかを身代わりにする必要はない。
どちらかの代わりとして抱え込む必要もない。
別々のまま、本物のまま、自分の中にあることを、ようやく認められる気がした。
失われた半身を求めて歩いてきた。
けれどユウリは、ただ過去へ戻りたいわけではない。
失ったものを抱えたまま、それでも今ここにいる誰かを見捨てたくないのだと、その思いがヴィエントの重さと一緒に胸へ落ちてくる。
ユウリはゆっくり目を開き、ヴィエントを見つめた。
腰には、薄くなった古い一振りがある。
長い時間、自分だけの手で研ぎ続けてきた刃。
そして今、掌にあるのは、ステラが残したもう一振り。
古い銀と、新しい銀。
喪失のあとも使い続けた意志と、失われた相棒が託した記憶。
その二つは似ているようで違い、違うようで、どこか深くでひとつに繋がっていた。
ユウリはヴィエントを、丁寧に腰の鞘へ収めた。
かちり、と小さな音が鳴る。
その音は終わりではなく、何かが噛み合った音に聞こえた。
岩場を吹き抜ける風が、ほんの少しだけ穏やかになる。
さっきまでこの場所を満たしていた張り詰めた銀色も、わずかにその硬さをほどいたように見えた。
足りなかったものが、すべて埋まったわけではない。
そんなことはユウリにも分かっている。
ステラは戻らないし、欠けた場所はこれからも欠けたままだろう。
それでも。
その欠けた輪郭に、ひとつ確かな形が戻った。
失ったものの名前。受け取ったものの重さ。
そして、その先へ進むための、もう一つの刃。
ユウリが息を吐いた、その時だった。
ヴィエントの鞘が、わずかに震えた。
同時に、霧のさらに奥――まだ裂け切っていない銀色の向こうから、低く、長い風鳴りのような音が返ってくる。
呼ばれている。
そう思うより先に、ユウリの背筋が粟立った。
再会はここで終わりじゃない。
この剣は見つかっただけで満足していいものではなく、むしろここから先へ進めと告げている。
セシリアもまた、その気配を感じ取ったのか、目を細めて霧の奥を見た。
「……まだ、先がありますね」
「はい」
ユウリは短く答える。
もう迷いはなかった。
ヴィエントの重さが、腰の横で確かに揺れる。
それは過去の証であると同時に、次へ進むための風向きでもあった。
失ったものを抱えたまま、それでも前へ行けと、ステラの声がまだ、どこかで笑っている気がした。
第三章:第五話「ヴィエント」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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