第四話「セシリアの告白」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233188/
【02】ゆめ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233190/
【03】ななみ・リリカ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233192/
【04】ユウリ・セシリア
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233193/
【05】ステラ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233195/
【06】リナ・ミナ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233196/
【07】レイナ
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233197/
【08】カレン
https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233199/
夜明け前の空は、濃い藍色の底から、刃のように薄い灰色を滲ませ始めている。
街道沿いの廃屋で熾した焚き火はもうほとんど灰となり、かすかな煙だけが冷たい風に巻き上げられ、崩れた屋根の隙間から外へ消えていった。
乾いた岩と、古い記録をまとめて焼いたあとのような、ざらついた匂いが漂う。
セシリアは、少し離れた岩場に立っていた。
まだ薄闇の残る地平の向こう、銀色の霧がたゆたっている。
その背中は相変わらずまっすぐで、立ち姿だけ見れば、かつての管理者そのものだ。
けれど今の彼女には、切り離された岸壁のような危うさがあった。
ひとりで立ち続けることに慣れすぎて、もう誰かに寄りかかる形を忘れてしまった人間の背中だった。
朝の微光が、手袋の上からでも分かる右手首の震えを、残酷なくらいはっきり照らし出している。
ユウリは荷物をまとめ終えると、その背中へまっすぐ歩み寄った。
短剣はすでに鞘へ収まっている。
昨日まで執拗に手入れしていたその重さが、腰のあたりで静かに揺れた。
「セシリアさん」
呼びかけると、セシリアの肩がわずかに揺れた。
振り返った瞳には、夜を通して何かと戦い続けた者の疲労が、どうしても消しきれずに残っていた。
「……何ですか、ユウリ」
「後で話すって、言いましたよね。昨日」
ユウリは足を止める。
逃がさないためでも、追い詰めるためでもない。
ただ、ちゃんと届く距離で、真正面からセシリアを見た。
「今がいいです」
一拍置いて、続ける。
「私に言えないことなら、無理に聞きません。でも、言えることなら教えてください」
しばらく、沈黙が流れた。
岩の隙間を抜ける風が、高く細い音を立てて過ぎていく。
セシリアは一度視線を落とし、手袋に包まれた右手首を、反対の手でさらに強く握りしめた。
痙攣を押さえ込もうとする、あまりにも痛ましい自制だった。
「……アムネシアの管理者として、私は多くを奪いました」
ようやく落ちてきた声は、驚くほど低かった。
それは説明ではなかった。
整理された報告でも、事実の列挙でもない。
ずっと底に沈めていた澱を、自分の喉で傷つきながら吐き出すような声だった。
「少女たちの自由。声。記憶。……生き方そのものを」
セシリアは、遠くの霧を見たまま言う。
「管理という名の下に、私はあの子たちをシステムの部品として並べ、壊れたら取り替えのきくもののように扱い続けた」
風が止む。
「救えた命も、あったのかもしれません。ですが、それを理由にしていいことではない」
右手首の震えがひどくなる。
「私は守ったのではなく、選別していたんです。残すものと、捨てるものを」
ユウリは黙って聞いていた。
口を挟けば、言葉がそこで止まってしまう気がしたからだ。
「それが、手の震えの理由ですか」
「ええ」
セシリアは短く肯定した。
「この場所に近づくほど、根に沈んだあの子たちの声が、私を呼ぶんです」
かすかに息を呑み、言い直す。
「……いいえ。呼ぶ、では足りませんね。引きずり込もうとしている」
自嘲のような歪みが、彼女の口もとに浮かんだ。
「檻へ閉じ込めた側の人間も、同じ檻に入れ、と」
目を伏せたまま、静かに続ける。
「当然の報いです。私はそれを受け入れるつもりでいます。……これを、私の贖罪にするつもりです」
贖罪。
そのひとことだけが、朝の冷気の中でひどく重く響いた。
ユウリの胸の奥で、あの空白が鋭く脈打つ。
ステラを失ってからずっと抱えてきた、半分しかないという感覚。
けれど、その欠けた場所には、昨夜、火を囲んで共有した子守唄のぬくもりが、まだかすかに残っていた。
「……それは、違います」
セシリアが顔を上げる。
ユウリは自分でも驚くほどはっきりした声で、もう一度言った。
「違います」
「ユウリ……」
「私が言えることじゃないのかもしれない」
喉が少し痛んだ。けれど視線は逸らさない。
「でも、セシリアさんが消えることで何かが終わるなら、私は最初からここまで来てません」
セシリアの瞳が揺れる。
その揺れを見て、ユウリは続けた。
「罰を受けたいなら、勝手に受ければいいって、そういう話なら簡単です。でも」
息を吸う。
「そんな不合理な自己満足に、私は付き合うためにここにいるわけじゃない」
セシリアが、わずかに息を呑んだ。
管理者の仮面の奥に、ひとりの脆い人間がいる。
ユウリの言葉は、その人間へ直接届いてしまっていた。
「私は……」
セシリアの声が掠れる。
「私は、そうすることでしか、あの子たちに向き合えないと……」
「向き合ってません」
ユウリは遮った。
「逃げる形を、贖罪って呼んでるだけです」
言ってしまってから、自分の言葉の鋭さに気づく。
けれど撤回しなかった。今ここで鈍らせたら、きっと届かない。
「わかっています。セシリアさんが何を数えてきたのか、私には全部はわからない」
短剣の柄へ、無意識に指が触れた。
「でも、今の私がここにいるのは、セシリアさんが私を“ユウリ”として見てくれたからです」
それは、ユウリの中で確かな事実だった。
アムネシアのあと、自分が何者なのか分からなくなりかけた時。
ステラを喪って、半分のまま立ち尽くしていた時。
それでも名前を名前として扱ってくれた人間がいた。
「だから」
ユウリは一歩踏み出す。
痙攣を抑え込もうとしているセシリアの右手首へ、ためらわずに自分の手を重ねた。
手袋越しにも分かる、冷たく強い震え。
かつてなら、触れることすら躊躇った体温だった。
けれど今は違う。
跳ね除けもせず、同情もしない。
ただ、その震えをそこにあるものとして受け止めるように、静かに包み込む。
「私の歌に、合わせてください」
セシリアの唇が、わずかに震えた。
「……一人で立っているのが重いなら」
ユウリは低く言う。
「私も、ここにいます」
拒絶の言葉は、もう返ってこなかった。
セシリアの瞳に映っているのは、ステラの代わりではない。
喪失の影でもない。
欠けたまま、それでも自分の足でここまで来た、ユウリという一人の人間だった。
やがてセシリアは、ゆっくりと目を閉じた。
震える指先に力がこもり、それから、ほんの少しだけ抜ける。
「……あなたは、本当に」
かすかな吐息と一緒に、声が落ちた。
「残酷なくらい、まっすぐですね」
ユウリは、少しだけ口もとを緩める。
セシリアも、ごく短く笑った。
泣きそうな顔のまま、ようやく生まれた笑みだった。
「行きましょう」
ユウリは手を離さずに言う。
「そこへ」
二人は岩場の奥へ歩き出した。
切り立った壁の向こうで、銀色の淀みが昨夜よりも濃く渦を巻いている。
通常のハザードレイヤーではない。
そこにあるのは、名を与えられる前の絶望そのものだった。
近づくほど、空気は粘りを帯びていく。
鼓膜の奥を直接引っかくような、言葉にならない悲鳴が、風に混じって何層にも重なって聞こえ始める。
耳ではなく、骨の内側で聞く声だった。
セシリアの足が、わずかに止まりかける。
その瞬間。
「――……」
ユウリの喉が、自然に旋律をなぞった。
失われたものを繋ぎ止めるために手渡されてきた、あの静かな子守唄。
かすかな歌声が霧の境界へ触れた瞬間、逆立っていた銀色の粒子がふっと力を失った。
道を譲るわけではない。
ただ、拒絶だけがやわらぎ、深い眠りへ落ちる直前のように静まっていく。
セシリアが、息を呑む。
「……本当に、凪いでいる」
「進めます」
ユウリは歌を途切れさせないまま、半歩前へ出る。
セシリアもそれに続いた。
二人は、歌の反響を細い道標のように辿りながら、岩場の深部へ進んでいく。
霧の奥から押し寄せる圧力は凄まじい。
呼吸は浅くなり、足もとさえ曖昧になる。
それでも、ユウリの手は決してセシリアを離さなかった。
やがて、視界を塞いでいた濃密な白銀の幕が、一点に吸い寄せられるように震えた。
次の瞬間。
それは、内側から裂けた。
霧の中心。
歪んだ空間の核。
岩肌へ深く突き刺さるようにして、鈍く脈打つひとつの光があった。
刃のようにも、棺の杭のようにも見える、銀色の「核」。
それを見た瞬間、ユウリの胸の空白が、痛みではなく別のかたちで大きく軋んだ。
失われた半身の気配。
懐かしさと拒絶が、同時に胸へ突き刺さる。
セシリアの指先が、ユウリの手の中で小さく震える。
これは再会の入口だ。
けれど、優しいものではない。
ここから先で待っているのは、取り戻したい過去ではなく、取り戻せなかったものの本当の姿なのだと、その核は黙ったまま告げていた。
ユウリは歌を止めた。
止めた瞬間、核の奥から、誰かの息のような微かな脈動が返ってくる。
それは、まだ声になっていなかった。
けれど確かに――
こちらの名を、呼ぼうとしていた。
第三章:第四話「セシリアの告白」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
■専用Xアカウント
https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21




