第三話「ステラの子守唄」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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夜の静寂は、岩肌を撫でていく風の音だけを残していた。
焚き火は低く、小さく爆ぜるたびに、橙色の火の粉が闇へ溶けていく。
火の届かない場所はすぐに冷え切っていて、世界の輪郭はどこまでも黒かった。
ユウリはその焚き火から少し離れた場所に横になり、眠ったふりをしていた。
けれど、眠れてはいない。
まぶたの裏には、昼間の霧の感触がまだ残っている。
肌へまとわりつくような冷たさ。
歌に触れた途端、敵意だけを失って沈んでいった銀色の粒子。
そして何より、自分の喉からこぼれた、あの旋律の熱。
「――……」
無意識に、唇が動いた。
かすかな音が、呼吸の隙間から零れる。
アムネシアの冷たい宿舎で、毛布の下に震える指先を隠しながら、ステラとそっと重ねた歌。
眠れない夜をやり過ごすための、ひどく静かな旋律。
ユウリにとってその歌は、ただの記憶ではなかった。
失われた半身へ触れるための、ほとんど唯一の輪郭だった。
火の向こうで、セシリアはじっと焚き火を見つめていた。
薪が爆ぜても、風が吹いても、彼女は動かない。
ただ、その耳に届く旋律だけが、昼間よりも鮮明に、彼女の記憶の奥底に沈んだ何かを叩いていた。
「ユウリ」
静かな声が、夜気を震わせた。
ユウリは目を開き、ゆっくりと上体を起こす。
火を挟んだ向こうで、セシリアの瞳がまっすぐこちらを見ていた。
問い詰めるような視線ではない。
けれど、見過ごせない何かをようやく掴んだ人の目だった。
「その歌、どこで覚えましたか」
ユウリは自分の喉へそっと触れた。
歌っていた自覚はある。
けれど、自分の意志で口ずさんでいたというより、身体が勝手に思い出していた、という感覚に近かった。
「……ステラが歌っていた歌です」
少し間を置いて、続ける。
「よく、一緒に歌っていました」
セシリアはすぐには答えなかった。
ただ、じっとユウリを見つめている。
やがて、その細い指先が胸元を強く握りしめた。
溢れそうになるものを、形のないまま押し戻そうとするような、自制の仕草だった。
「その歌……」
声が、ごくわずかに揺れる。
「私が歌っていた歌です。ステラに。……あの子が、まだ本当に小さかった頃に」
ユウリが息を呑んだ。
焚き火の明かりが、セシリアの瞳ににじむ水気を揺らしている。
夜の冷たさのせいではないと、すぐに分かった。
「セシリアさんが……」
問い返した自分の声も、少し掠れていた。
その瞬間、ユウリの脳裏に、あの夜の宿舎が蘇る。
消灯後の薄暗がり。ステラの小さな声。
眠る前の、あの柔らかな時間。
『お母さんがね、小さい頃に歌ってくれた歌があるんだ』
あの時は、その「お母さん」が誰なのか、深く考えていなかった。
管理者としてのセシリアと、ステラが大切そうに話していた「お母さん」は、ユウリの中でずっと別々の輪郭のまま置かれていたのだ。
けれど今、それがようやく一つに繋がる。
「……ステラが言っていました」
ユウリは、ひどく慎重に言葉を選びながら続けた。
「お母さんに教えてもらった、大切な歌だって」
セシリアは黙ったまま聞いている。
その沈黙に促されるように、ユウリの中から言葉がこぼれた。
「あの子、本当にこの歌が好きだったんです」
喉の奥が少し熱くなる。
「私に教える時も、すごく……嬉しそうで。まるで、自分の大事なものを分けてくれるみたいに」
そう言い終えたところで、ユウリは気づく。
あれはただの子守唄ではなかったのだと。
ステラにとっては、母親と繋がるための記憶であり、
ユウリにとっては、ステラがそっと差し出した居場所だった。
セシリアは、それ以上何も尋ねなかった。
ただ、頬を伝った一滴の涙を拭おうともせず、ゆっくり立ち上がる。
それから火を回り込むようにして、ユウリの隣まで歩いてきた。
かつての管理者としての距離ではない。
命令する者と従う者の隔たりでもない。
一人の人間として、失ったものの前で同じ高さに座ろうとする歩き方だった。
セシリアはユウリの隣へ腰を下ろし、しばらく何も言わずに闇を見つめた。
火の匂い。乾いた石の冷たさ。夜風の細い音。
そのすべての間に、ようやく彼女は言う。
「ステラは、その歌をあなたに託していたのですね」
「……そう、だったのかもしれません」
ユウリは視線を落とし、手元の短剣の柄をなぞった。
使い込まれた革の感触は、もう指が覚えている。
ステラがいない世界。
何をしても半分しかない感覚。
それは消えないし、消えてほしいとも思えない。
けれど今、その欠けた場所へ、別のあたたかさがゆっくりと入り込んでくるのを感じた。
それは代わりではない。
埋め合わせでもない。
ただ、失われたものを失われたまま抱えるための、もう一つの体温だった。
「セシリアさん」
「何ですか」
「……嫌いじゃないので」
ユウリは、少しだけ言葉を探した。
こういうことを伝えるのは、今も得意ではない。
「この歌も」
短く息を継ぐ。
「こうして、火を囲むのも」
ぶっきらぼうな言い方だった。
けれど、それがユウリにできる精一杯だった。
セシリアはかすかに目を細め、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「そうですか」
それだけだった。
それだけなのに、その返事は妙に静かで、深く染みた。
夜はまだ長い。
銀色の境界の向こうには、自分たちを待つ過去がある。
セシリアの右手の痙攣も消えていないし、この先に何が待っているのかも分からない。
それでも、その夜だけは、ふたりのあいだに流れる空気が少しだけ違っていた。
ユウリは横になり直す。
すると、少し遅れてセシリアも、これまでより近い場所で静かに身を横たえた。
焚き火を挟んだ遠さではなく、互いの呼吸がかすかに聞こえる距離だった。
歌は、記憶よりも深く身体に残る。
セシリアからステラへ。
ステラからユウリへ。
そうして手渡されてきた声の系譜が、夜の底で細く、けれど確かに繋がっている。
失ったものは戻らない。
けれど、失ったからこそ残る声もある。
その声が、ばらばらになりかけた輪郭を、もう一度だけ人の形へ寄せ集めてくれることもある。
目を閉じる直前、ユウリはもう一度だけ、胸の奥であの旋律をなぞった。
すると今度は、隣にいるのがステラだけではない気がした。
その歌を最初に抱いていた誰かのぬくもりまで、遠く、確かに触れた気がした。
焚き火の火が、小さく爆ぜる。
夜の向こうで、まだ見ぬ過去が静かに息を潜めている。
けれどその入口に立つ前に、ユウリは初めて、欠けたままの自分がほんの少しだけ誰かと繋がり直しているのを感じていた。
第三章:第三話「ステラの子守唄」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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