第二話「歌の記憶」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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岩場を縫う道は、前日よりもさらに険しさを増していた。
足元の石は脆く、一歩踏み出すたびに乾いた音を立てて砕ける。
崩れた斜面の向こうでは、昨日はまだ遠くに見えていた銀色の霧が、いつのまにか道そのものへ滲み出すように這い降りてきていた。
爆ぜるような侵食はない。
通常のハザードレイヤーのように、境界を越えた瞬間に牙を剥く荒々しさもない。
けれど、その霧は厄介だった。
冷たいだけではない。
肌へ触れるたび、こちらの体温や呼吸のリズムを確かめるみたいに、じわりとまとわりついてくる。
まるで、ここへ近づく者に資格があるかどうか、静かに選り分けている門番のようだった。
「……来ます」
ユウリが短剣を抜く。
薄くなった刃が、曇った朝の光をかすかに弾いた。
次の瞬間、霧の奥で銀色の濃淡が揺れる。
輪郭の定まらない影がひとつ、ふたつ、地面から浮かび上がるように形を取り始めた。
不純物――。
かつてアムネシアで何度も相対した、絶望の残滓。
意思ではなく、沈殿した痛みだけで動くもの。
ユウリは地を蹴った。
一歩、右へ。
次いで半身を滑らせ、最初の影の懐へ入る。
その瞬間、自分でも気づく。
身体が探している間合いが、ひとりのものではないことに。
斬り込む角度。踏み込みの深さ。
次の一手を置くためのわずかな余白。
すべてが、かつて隣にいた誰かとの連携を前提にした形を、まだ捨て切れずにいる。
けれど、隣には誰もいない。
刃が空を裂く。
不純物の輪郭を薄く切り払いながら、胸の奥であの空白が鋭く疼いた。
(……また)
半分しかない。
そう思うたび、動きは研ぎ澄まされるのに、どこかひどく不安定になる。
足りないものを抱えたまま戦うことには慣れたはずなのに、その慣れ方は少しも正常ではなかった。
霧が濃くなる。
視界の端で、次の影が膨らむ。
その時だった。
「――……」
喉が、勝手に動いた。
荒い呼吸の隙間へ、微かな旋律が混ざる。
意識して歌おうとしたわけではなかった。
ただ、押し潰されそうな重圧のなかで、身体が自然に、そこにいるはずのない声を探したのだ。
アムネシアの宿舎。消灯後の暗がり。
冷えた毛布の下で、震える指先を隠しながら重ねた、あの静かな歌。
ユウリは戦いながら、その旋律を口ずさんでいた。
ひどく小さな声だった。
風に紛れれば消えてしまいそうなほど、か細いものだった。
それでも、変化はすぐに訪れた。
歌が霧へ触れた瞬間、刺々しく逆立っていた銀色の粒子が、ふっと力を失った。
迫ってきていた影の輪郭が鈍り、不純物は踏み込む前に揺らぎ始める。
拒絶の壁だった霧が、道を譲るのではなく、何かを思い出したようにその場で静かに沈んでいった。
まるで、安らぎ方を知っているみたいに。
ユウリは最後の一体を斬り払ったあと、思わず足を止めた。
霧は晴れない。けれど、さっきまでの敵意だけが、不自然なほどすっと引いている。
耳に残っているのは、自分の呼吸と、歌の名残だけだった。
「……今、歌ってましたよね。私」
短剣を下ろしたまま、ユウリはそっと喉へ指を当てた。
そこにあったのは自分の声の震えだ。
けれど同時に、自分だけではない温度が、たしかに混じっていた気がした。
「……はい。聴こえていました」
背後から、セシリアの声が返る。
振り向くと、彼女は大きな岩に背を預けていた。
呼吸を整えようとしているのが、遠目にも分かる。
肩がわずかに上下し、額には薄い汗がにじんでいた。
「不思議な歌だったと思います」
ユウリは言う。
「……意味、分かりますか」
セシリアはすぐには答えなかった。
その旋律に耳を澄ませるように、目を細める。
「……聞いたことがある気がします」
やがて、静かに言う。
「とても、懐かしい調べです」
「……そうですか」
ユウリは短く応じて、セシリアのほうへ歩み寄った。
近づけば近づくほど、彼女の消耗は隠しきれなくなっていた。
右手は、手袋の上からでも分かるほど細かく震えている。
呼吸は乱れていないように見せているのに、体の芯だけが別の痛みに耐えているようだった。
「疲れましたか」
「少し、空気が薄いだけです」
「嘘です」
ユウリの声は、思ったよりも平坦だった。
責めるというより、逃がさないための言い方だった。
セシリアが目を見開く。
その表情に浮かんだ驚きはほんの一瞬で、すぐにいつもの静けさへ沈んだ。けれど完全には戻りきらない。
「……顔色、悪いです」
ユウリは続けた。
「昨日よりも」
「大丈夫よ、ユウリ」
「大丈夫っていうなら、根拠をください」
言葉は自然に出た。
「誤魔化されると、余計に気になります」
セシリアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
困ったような、疲れたような、そしてどこか諦めに似た笑みだった。
「……あなた、そういう聞き方をするようになったのね」
ユウリは視線を逸らさない。
「……はっきりさせたいんです」
その言い回しに、自分でも少しだけ既視感があった。
誰かの真っすぐさに引きずられるように覚えた言葉の形。
セシリアは小さく息をついたあと、震える右手を胸元へ押し当てた。
「……少し、重いだけです」
声が、ごくわずかに低くなる。
「この場所へ近づくほど、あの子たちの『声』が、肌を刺すんです」
ユウリの喉が動く。
「あの子たち……」
「私が見ないふりをしてきたものの重さです」
セシリアは前を見たまま言った。
「記録に残らなかった痛みも、救いきれなかった叫びも、なくなりはしない。ここには、それがまだ沈んでいる」
「どうして、セシリアさんだけに」
問いを向けると、セシリアは少しだけ沈黙した。
風がふたりのあいだを抜ける。
銀色の霧が、遠くでかすかに脈を打つ。
「……後で話します」
やがて彼女はそう言った。
「今はまだ、言葉にまとまりませんから」
その答えに、ユウリは納得しなかった。
けれど、これ以上踏み込めないことも分かった。
セシリアの瞳の奥に揺れているものが、自分の知っている色とよく似ていたからだ。
失ってからでは遅すぎると知っていながら、それでも手放してしまったものを抱え続ける人間の色。
ステラを失ったあと、鏡の奥で何度も見たものと同じ色だった。
◇
その夜。
焚き火の小さな爆ぜる音だけが、岩場の闇に点々と穴を開けていた。
炎は低く、風にあおられるたび不安そうに揺れる。
辺りの冷え込みは厳しく、火の届かない場所からは、すぐに夜の気配が這い寄ってくる。
ユウリは少し離れた場所で横になり、目を閉じていた。
眠っているふりをしていたが、意識は浅い。
唇の裏側には、昼間こぼれた旋律の残りがまだかすかに残っていた。
セシリアはひとり、火を見つめていた。
ぱち、と薪がはぜる。
そのたびに、昼間の歌声が脳裏で繰り返される。
(あの旋律……)
ステラが歌っていたものと、同じではない。
けれど、どこか深いところで繋がっている。
受け継がれ、混ざり、少しずつ形を変えながら、それでも消えずに残ってきた声の系譜。
(ステラだけじゃない……もっと前)
記憶の底に、ひとつの立ち姿が浮かぶ。
穏やかで、静かで、それなのに誰より孤独に、この世界の綻びを見つめていたひと。
名前を呼びかけかけて、セシリアは唇を閉じた。
まだ言えない。
まだ確信にしてしまうには早すぎる。
けれど、もし本当にあの歌がそこへ繋がっているのだとしたら――この先に待っているのは、ただの過去では済まない。
外で、夜風がまた笛のような音を立てて吹き抜けた。
暗闇の向こう。
銀色の境界のさらに先。
まだ誰も名前を与えていない「家族」の欠片が、静かに、確かに、こちらを待っている。
焚き火の明かりが揺れた、その一瞬。
眠っているはずのユウリの喉が、かすかに震えた。
声にはならないほど小さく、
けれど確かに、あの旋律の続きをなぞるように。
セシリアは息を止める。
歌は眠りのなかでさえ、身体に残っている。
記憶より深く、傷より深く、喪失よりもなお深い場所に。
それが、誰かから託された声なのだとしたら。
そして今、その声がこのレイヤーを揺らしているのだとしたら。
明日、自分たちはきっと、
もう後戻りのできない場所へ辿り着く。
セシリアは火の向こうに広がる闇を見つめたまま、静かに右手を握りしめた。
手袋の下で痙攣はまだ続いている。
それでも目を逸らすことだけは、もうできなかった。
第三章:第二話「歌の記憶」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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