第一話「足りないもの」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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朝の光は、古い記録を薬品で洗いすぎたあとのように、ひどく薄い灰色をしていた。
瓦礫の隙間を吹き抜けてくる風が、乾いた砂と、どこか遠くで何かが焼けたあとの匂いを運んでくる。
かつてアムネシアを満たしていた、あの均一で息苦しい白とは違う。
ここにあるのは、崩れた世界が吐き出す、ざらついた沈黙だった。
街道脇に積まれた石材の影で、ユウリは短剣を研いでいた。
布に油を含ませ、薄くなった刃をゆっくりとなぞる。
きい、きい、と、かすかな金属音が凍えた空気の底へ沈んでいく。
何度研ぎ直したのか、もう覚えていない。
鋼は使うたびに少しずつ痩せ、輪郭を失っていく。
それでも手放す気にはなれなかった。
刃が減っていくほどに、そこへ染み込んだ時間だけが確かになっていく気がしたからだ。
アムネシアが崩壊してから、どれほどの月日が流れたのだろう。
あの日から、ユウリの時間は止まっているようで、けれど確かに削られ続けてもいた。
進んでいるのか、取り残されているのか、自分でも分からないまま、ただ均衡だけが保たれている。
そんな危うい日々だった。
「……刃が、ずいぶん薄くなっていますね」
背後から静かな声が落ちてきた。
振り返らなくても分かる。余計な響きのない足音。
気配まで整えられた立ち方。
セシリアが少し離れたところに立っていた。
ユウリは手を止めず、短く返す。
「研ぎ直して使ってるだけです」
「そうですか」
セシリアはユウリの手元を見つめたまま言う。
「ですが、鋼の限界はいつか訪れます。私の古い伝脈を辿れば、もう少し状態のいい一振りを融通させることもできますが」
その「伝脈」が、管理局の正規の経路ではないことを、ユウリは知っていた。
アムネシアの管理者という立場を失った今でも、セシリアはかつての人脈と、表には出ない情報の流れを、切らさずに持ち続けている。
そうでなければ、ここまで来られなかったのだろう。
「いいんです、これで」
ユウリは短剣を鞘へ収めた。
かちり、と鳴った音は軽く、少し頼りなかった。
「……この重さが」
それは言い訳ではなく、たぶん唯一の真実だった。
かつて隣にいた、亜麻色の髪の少女。
眩しすぎるほど真っすぐに笑って、自分に「ユウリ」という名前を返し、最後には銀色の粒子となって消えた親友。
いまユウリの手元に残っているのは、自分のものよりほんの少しだけ型の違う、薄くなった銀の刃だけだ。
ステラがいない世界。
何をしても、何を話しても、何かが足りない。
呼吸をするたび、胸の奥を冷たい風が吹き抜けていく。
自分の半分がどこかへ置き去りになったまま生きているような、この欠落だけが、いまのユウリをユウリとして繋ぎ止める最後の輪郭だった。
「……形に見えるものだけが、重さの正体ではありませんからね」
セシリアは独り言のように呟き、ユウリの隣へ静かに腰を下ろした。
以前のような鋭さは、その目から少し薄れている。
けれど代わりに残っているのは、もっと深く、もっと乾いたものだった。
管理者としての峻烈さと、それを支え続けた者にしか宿らない、ひどく静かな疲労。
「これ、食べますか」
ユウリは荷物の中から小さな袋を取り出し、差し出した。
中には保存食のラスクが入っている。
「いただきます」
二人は並んで座り、乾いた音を立ててそれをかじった。
風は冷たい。
空は低く、遠くに崩れた建造物の稜線がぼやけている。
セシリアは何も言わず、ただ前を見ていた。
その視線は、目の前の瓦礫を越えて、まだ誰にも見えていない何かの中心を射抜いているように見えた。
「……ユウリ。少し、これを」
セシリアが懐から取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。
管理局の整った書式ではない。
もっと古い、もっと私的な記録の断片。
かつてのアムネシアに関わる施設を調べた痕跡だった。
「ここを、確認してみようと思います」
示されたのは、地図の中でも標高の高い岩場の一帯だった。
その場所だけ、レイヤーの発生記録が不自然に歪んでいる。
規則性があるようで、どこか一点だけが何度も裂けている。
そんな印が残されていた。
「何があるんですか、そこに」
「分かりません」
セシリアは即答した。
そのあとで、ごくわずかに声を落とす。
「ですが……何か、大切なものが眠っている気がします」
気がします、ではなく、感じるのです――そう続けたかったのだろうと、ユウリには分かった。
「……行きます」
ユウリは立ち上がりかけた。
「セシリアさんがそう言うなら」
その時だった。
羊皮紙を押さえていたセシリアの手が、不自然に震えた。
最初は風のせいかと思った。
けれど違う。
指先が、自分の意志とは無関係に細かく、そして急に強く痙攣している。
紙の端がかさりと揺れ、地図の線がわずかにぶれた。
昨日も見た。
その前も、一度だけ。
「……セシリアさん。手が」
ユウリの声が、思ったよりも硬くなる。
セシリアは即座に手を引き、反対の手で手首を強く押さえ込んだ。
「問題ありません」
返ってきた声は静かだったが、静かすぎた。
「……少し、風が冷たいだけです」
それ以上立ち入らせないための、きれいすぎる拒絶だった。
誰かに隠しているというより、自分の中にある脆さを、これ以上ひとつも外へ出したくないのだと分かる言い方だった。
ユウリは黙った。
何も言えなかった。
聞けなかった、というほうが正しいのかもしれない。
◇
標高が上がるにつれ、世界から湿り気が消えていった。
足元の岩肌は白く乾き、風に削られた石の粉が時折、煙みたいに舞い上がる。
踏みしめるたび靴底の下で細かく砕ける音がして、その音さえ周囲の静けさに吸い込まれていった。
ユウリは先を行くセシリアの背中を、数歩後ろから追っていた。
歩き方だけ見れば、以前とほとんど変わらない。
姿勢はまっすぐで、足運びにも無駄がない。
岩場を選ぶ視線も正確だ。
けれど、段差を越える一歩だけが、ごくわずかに重い。
着地のあと、ほんの一瞬だけ呼吸が遅れる。
それを見逃すほど、ユウリの目は甘くなかった。
(……やっぱり、無理をしてる)
無意識に、腰の鞘へ手が触れる。
革の感触は長年の手入れでなめらかになり、その奥の鋼だけが変わらず冷たかった。
この刃が薄くなるまで、自分はステラの隣で戦ってきた。
この重さがなければ、自分が何者で、どこから来たのかさえ曖昧になる気がする。
けれど、いくら握っても、胸の中央に空いた空白だけは埋まらない。
(ステラがいないから……何をしても、半分しかない)
一人で歩く。一人で食べる。
一人で眠る。一人で戦う。
どれもできる。できてしまう。
なのに、できることと満ちていることは違う。
自分の輪郭を支えていた何かの片側が、銀色の塵になって風へ溶けたまま戻らない。
ユウリはその欠損を憎み切れなかった。
むしろ、その痛みこそが、ステラが確かにこの世界にいた証のように思えたからだ。
失ったものがあるからこそ、まだ歩ける。
そんな歪んだ支え方しか、今の自分にはできなかった。
「……ユウリ。そこに、見えますか」
セシリアの声が、風を裂いた。
顔を上げる。
切り立った岩壁の向こう、空の色が濁っている場所があった。
そこだけ景色の呼吸が乱れている。
淀んだ銀色の霧が、一点に停滞したまま、ゆっくりと膨張と収縮を繰り返していた。
通常のハザードレイヤーとは、明らかに違う。
霧は流れず、澱み、まるで何かを隠すようにその場へ留まり続けている。
しかも、その中心からは微かな音が漏れていた。
耳で聞くというより、耳の奥を内側から引っかかれるような、不快なざわめき。
まだ言葉になる前の悲鳴が、何層にも沈んでいるような気配だった。
ユウリは思わず足を止める。
「あそこのレイヤー……不自然です」
喉の奥が乾いた。
「あれが、目的地ですか」
セシリアは答える前に、また右手首を強く押さえた。
手袋の下で起きているものを、力ずくで黙らせるみたいに。
「ええ」
短く肯定してから、ゆっくり続ける。
「……この綻びは、私が見ておかなければならないものですから」
その言葉は、責任というより、もっと個人的な響きを持っていた。
逃げ遅れた過去に、自分の足で追いつこうとする人間の声だった。
足りないものを探す旅。
ユウリにとっては、失った半分の形を確かめるための旅であり、セシリアにとっては、まだ終わっていない何かへ手を伸ばすための旅なのかもしれなかった。
銀色に淀む境界の向こうで、過去が待っている。
忘れられることを拒み続けたものが、静かに口を開けている。
岩場を抜けた風が、高く細い音を立てた。
それは失われた誰かの泣き声にも、
これから始まる戦いの産声にも聞こえた。
ユウリは短剣の柄を握り直し、もう一度だけ、遠い霧を見た。
胸の空白は埋まらないままだった。
けれど、その空白の奥で、かすかに何かが軋んだ気がした。
足りないものは、たぶんまだ、あの向こうにある。
第三章:第一話「足りないもの」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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