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銀色の旅路――すべてを繋ぎ、愛するための戦記。  作者: 銀のさくら
第一章:いおりとゆめ「レミエルの在処」
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第二話「ゆめの葛藤」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおり

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233188/

【02】ゆめ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233190/

【03】ななみ・リリカ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233192/

【04】ユウリ・セシリア

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233193/

【05】ステラ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233195/

【06】リナ・ミナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233196/

【07】レイナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233197/

【08】カレン

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233199/

夜明け前の静けさの中で、いおりは左手の手袋を外した。


白いレースがするりと落ちる。

薄青い闇にさらされた左手には、やはり六本目の指があった。


「……やっぱり、冷たい」


独り言は、眠った家の空気に小さく溶けた。


その指は、肉ではなかった。


他の五本よりわずかに青みがかり、石とも骨とも違う、結晶めいた硬さを帯びている。

右手の指先でなぞると、感覚はある。


だがそれは皮膚に触れる温度ではなく、磨かれた鉱物の表面を確かめるような、ひどく静かな手応えだった。


思い出せない。

いつからこうなったのか。

何を代償にして、この指を得たのか。


昨夜の夢が脳裏をよぎる。

鈍い銀色の大剣。

その傍らに立つ、顔の見えない孤独な背中。


そして、夢の縁から滲み出してきた、名を持つ前の災厄のような冷たいもの。


あれは夢では終わらない。

そんな確信だけが、目覚めたあとも胸の奥に残っていた。


隣のベッドでは、ゆめがまだ眠っている。

銀色の髪が薄明の気配を吸い、枕の上にやわらかく広がっていた。


ゆめがいれば、いおりは生きていけた。


記憶がなくても、この村で名前を呼ばれ、食事をして、眠って、朝を迎えることができた。

ゆめは、いおりの空白に形を与えてくれる存在だった。


けれど、だからこそ思う。

このまま何も知らないままではいられない。


いおりは六本目の指をそっと握った。

痛みはない。あるのは、確かな重みだけだ。


まるでこの指だけが、いおりの失った過去とまだ繋がっているみたいだった。


「……おはよう、いおり」


不意に声がして、いおりは顔を上げた。


ゆめが上半身を起こし、こちらを見ていた。

琥珀色の瞳は、まだ眠気を残しているのに、いおりのわずかな動揺だけは見逃さない。


「おはよう、ゆめ。……起こしちゃった?」


「ううん」


ゆめは小さく首を振った。


「いおりの匂いが、少しだけ変わったから。……冷たい雨の匂いがした」


そう言って、ゆめはベッドを降り、いおりの隣に腰を下ろした。

視線が、手袋を外した左手に落ちる。


けれど、驚きも嫌悪もなかった。

ただ、いつものように静かにその異形を受け入れて、温かな手を重ねてくる。


その温度に触れた瞬間、いおりの胸の奥で張っていたものが少しだけ緩んだ。


「ゆめ。私……行きたい場所があるの」


 ゆめは何も言わず、続きを待った。


いおりは昨夜の夢を話した。

銀色の大剣のこと。

その傍らにいた孤独な誰かのこと。

そして、北西の方角から、自分を呼ぶような感覚があること。


地名は分からない。距離も分からない。

なのに確信だけがある。


「そこに行けば、この指のことが分かるかもしれない」


ゆめは黙って聞いていた。

否定もしない。すぐに励ましもしない。


ただ、いおりの言葉ひとつひとつを、匂いまで確かめるように慎重に受け止めている。


「方角だけは分かる気がするの。……北西。あっちに、私の“何か”がある」


「北西……」


「夢の中で、誰かが泣いている声がするんだ。何度も同じ場所に立って、同じ声を聞く。その声の正体を知りたい」


ゆめは窓の外を見た。

夜と朝の境目がまだ曖昧な地平線の向こう。

鼻先がわずかに震える。


しばらくの沈黙のあと、ゆめは静かに言った。


「……分かった。今日は、村の周りを少し歩こう」


「うん」


「いおりが何を感じるのか、もう少しだけ教えて」


声は穏やかだった。

けれど、その奥にあるものまでは、いおりには読み切れなかった。


    ◇


昼を過ぎる頃には、北西から吹く風がはっきりと冷たくなっていた。


村の周りを歩くあいだ、いおりは何度か足を止めた。

森の切れ目。丘の向こう。

乾いた草の匂いが混じる風の通り道。


そうした場所に立つたび、胸の奥の何かがかすかに脈打つ。

呼ばれているような、試されているような、不思議な感覚だった。


そのたびにゆめは何も言わず、いおりの隣に立っていた。

問い詰めも、慰めもせず、ただ一緒に風の向こうを見つめる。


家へ戻って簡単な昼食をとったあと、ゆめは「少し風に当たりたい」とだけ告げて、一人で村はずれの丘へ向かった。


いおりは素直に頷いた。

その頷き方が、少し前までのいおりとは違って見えた。


誰かの顔色をうかがうのではなく、自分で納得して受け入れる人の動きだった。


それが嬉しいはずなのに、ゆめの胸の奥はひどく冷えていた。


丘の上は、村よりずっと風が強い。

乾いた草が波打ち、北西の空には薄い銀色の雲が長く棚引いていた。


ゆめは立ち止まり、自分の右手を見つめた。


挿絵(By みてみん)


(……レミエル)


心の中でその名を呼ぶ。

かつてこの手のひらから生まれた、小さな光の玉。


いおりを守るための光。


道を照らし、痛みを喰らい、暗がりから引きずり出されるものすべてを焼き払ってきた力。


あの頃のゆめは、まだ人ではなかった。


いおりのそばに寄り添う、けれど守るための力だけは確かに持っていた。


実体を持たなかった自分が、人の姿を得た。

いおりと同じ目線で並んで歩けるようになった。


その代わりに、光は失われた。


分かっている。何度確かめても結果は同じだと。

それでもゆめは右手に意識を集めた。

鼓動を指先へ送るように、祈るように拳を握る。


何も起きない。


沈黙だけが、手のひらに残った。

そこにあるのはただの少女の手だ。

やわらかくて、温かくて、無力な手。


(もう、出ないんだ)


知っていたはずの事実が、あらためて胸の底へ沈む。


いおりは北西へ行こうとしている。

記憶を失った原因へ。

夢の中で触れた何かへ。


そしてたぶん、アムネシアの影――ハザードレイヤーの気配が濃くなる場所へ。


あの“冷たいもの”が本当に動き出しているのなら、旅の先で何も起きないはずがない。


なのに自分には、もう光がない。


「……いおり」


名前を呼ぶ声は、風にさらわれて消えた。


守れないかもしれない。

その恐怖は、ゆめの足元に見えない泥となってまとわりつく。


いおりが強くなっていくことは、望んでいたことのはずだった。


自分のために笑って、自分の足で立って、自分で道を選べるようになることを、誰より願っていた。


けれど、いざその時が来ると、ゆめは思ってしまう。

強くなったいおりの隣に、今の自分は立てるのだろうかと。


光を失った自分は、もう“守る側”ではいられないのではないかと。


    ◇


丘を下りて家へ戻ると、いおりはすでに準備を始めていた。


居間のテーブルには、古い革のリュックサックが開かれている。


水筒、保存のきく乾パン、包帯、火打ち石、替えの靴下。

棚の奥に眠っていた品々が、迷いなく並べられていた。


「……早いね、いおり」


 声をかけると、いおりは顔を上げて笑った。


「なんだか、手が勝手に動くの。不思議だよね」


そう言いながら、いおりは紐を締める。


重心が偏らない位置に荷物を詰め、歩いたときに音が鳴らないよう布を噛ませる。

水筒の位置まで、身体の癖で決めているとしか思えない手際だった。


記憶はないはずなのに。

指先だけが知っている。


軍用ナイフを鞘に収める角度。

長時間歩いても足を傷めにくい靴紐の締め方。

すぐ取り出すものと、奥にしまうものの順番。


それらは、この村で穏やかに暮らす娘が身につける知識ではなかった。

もっと過酷な場所で、何度も生き延びるために叩き込まれた“正解”だ。


挿絵(By みてみん)


ゆめは黙ってその様子を見つめた。

鼻先をひくつかせる。


部屋にあるのは、革の匂い。

乾いた布の匂い。金属の匂い。

そして、いおりの身体から立ち上る、細く鋭い決意の匂い。


「……いおり。本当に、行くんだね」


「うん」


いおりは迷いなく頷いた。


「行かなきゃいけない気がするの。私を呼んでる何かが、あの方角にあるから」


窓の向こう、北西の空を見上げる瞳は澄んでいた。

村へ来てからのどの瞬間よりも、強く、まっすぐに。


(強い……)


ゆめは胸の奥がちりりと痛むのを感じた。


その強さは喜ぶべきものだ。

なのに同時に、自分との断絶を照らし出してしまう。


ゆめは背中の後ろで右手をぎゅっと握った。

手袋越しに伝わるのは、ただの体温だけだ。


かつてならこの温もりが光に変わり、いおりに降りかかる痛みを焼いていた。


けれど今の手にできるのは、髪を梳かすことと、鍋を持つことと、こうして震えを隠すことくらいだった。


「ゆめ?」


いおりが不思議そうに覗き込んでくる。


「どうしたの、立ったままで」


その眼差しに、もう昔のような“守られる側”の甘えはない。

対等な相手として、ゆめの顔色をうかがっている。


それが少しだけ眩しくて、少しだけ苦しかった。


「……何でもないよ。荷物の重さが気になっただけ」


とっさに、ゆめは嘘をついた。


いおりを安心させるための嘘。

それはきっと、昔から変わらない。


痛みを代わりに食べていた頃も、こうして不安を胸の内に隠していた。


「いおりの身体はまだ小さいんだから、無理しちゃダメ」


ゆめは努めていつもの声を作る。


「……私が、半分持ってあげる。一緒に行くよ!」


いおりは少し目を丸くして、それから柔らかく笑った。


「ありがとう、ゆめ。頼りにしてるね」


その言葉が、ゆめの胸に静かに刺さった。


頼りにしてる。

嬉しいはずなのに、今は鎖のように重い。


もし旅の途中で、ハザードレイヤーが現れたら。

もし北西の闇から、いおりを傷つける何かが這い出してきたら。


(私は、どうやっていおりを守ればいいの?)


ゆめは視線を落とした。

床に伸びる自分の影が、夕暮れの光の中で細く揺れる。


かつては形を持たず、いおりの記憶の中にだけいた自分。

いまはこうして実体を持ち、一人の少女として息をしている。


もし、その代償が“守るための光”を失うことだったのなら。

自分は何を選んだのだろう。


いおりの隣に立つことを願った、その願いは間違いだったのだろうか。


答えは出ない。


けれど、出ないままでも一つだけ確かなことがある。


「……当然だよ」


ゆめは、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


「いおりの隣にいることは、私の当然。……光があっても、なくても」


声はかすかで、いおりには届かなかった。


外で、夕暮れを告げる鐘が鳴る。


低く長い音が村全体に広がっていき、家々の屋根と空のあいだに沈んでいく。


明日の朝には、二人はこの家を出る。


この村の匂いも、穏やかな食卓も、朝の鳥の声も、いったん背にして進まなければならない。


いおりは黙々と荷物をまとめている。

ゆめはその横顔を見つめた。


思い出せない過去へ向かう顔。

それでも前を向こうとする顔。


その横に立つと決めたのは、自分だ。


守れるかどうかは、もう分からない。

光はない。昔のようにはできない。


それでも、たとえ無力でも、置いていかれるほうがずっと怖かった。


ゆめはそっと、握りしめていた右手を開いた。


空っぽの掌。

何も生まれない手。


それでも、いおりの手を取ることだけはできる。


「……明日、早く出よう」


ゆめが言うと、いおりは振り向いた。


「うん」


「北西の風が強くなる前に、村を抜けたい」


「分かった」


短い返事だった。

けれど、その一言だけで、もう後戻りはできないのだと知れる。


夕闇が部屋の奥から満ちてくる。

ランプに火を入れる前の、世界がいちばん曖昧になる時間。


その曖昧さの中で、ゆめは思った。


明日から先、いおりが取り戻していくのは、記憶だけではないのかもしれない。

剣を握る手。戦うための勘。失ったはずの強さ。

そして、北西で待つ何か。


ならば自分も、変わらなければならない。


光を失ったままでも、隣に立てる自分へ。


鐘の余韻が消える頃、村は静かな夜に沈み始めていた。

その夜が明ければ、二人は旅に出る。


いおりはまだ知らない。

ゆめもまた、同じだけ怖がっていることを。

そしてゆめ自身も、まだ知らない。


北西で試されるのが、いおりの過去だけではなく、


“守れない自分でも隣にいていいのか”という、自分の願いそのものなのだということを。


第一章:第二話「ゆめの葛藤」――完

第三作『銀色の旅路』は完結編です。

キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。


もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。


■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。

https://ncode.syosetu.com/n6938mi/


■専用Xアカウント

https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21

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