第六話「すずともかと、怖いということ」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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記録装置の青白い光が消えると、廃墟の最奥には、また粘り気のある暗闇が戻ってきた。
ななみは膝をついたまま、しばらく動けなかった。
黒い革手袋に包まれた右手が、自分でも抑えきれないほど激しく震えている。
あれが、いおりの過去だった。
誰かを守るために、自分の記憶を燃やし続けた少女。
笑った午後も、呼ばれた名前も、自分自身の輪郭さえ、明日のための燃料に変えてしまった少女。
隣では、リリカが声を押し殺して泣いていた。
握りしめた琥珀色の小石は、もはや温もりを伝えるためのものではなく、失われた時間を辛うじてつなぎ止める、あまりに頼りない錨のように見えた。
「……記録、第百七十層」
静けさを破ったのは、落ち着いた少女の声だった。
「対象のバイタル、および精神汚染指数の飽和を確認」
眼鏡をかけた少女――すずが、情報端末を胸に抱えたまま、一歩こちらへ歩み寄る。
その声音は淡々としているのに、どこか祈りに似た響きを孕んでいた。
「今の映像は、アムネシアが残した、もっとも純粋な……そしてもっとも残酷な事実です」
ななみはようやく顔を上げる。
喉は乾ききり、声は掠れていた。
「……あなたは」
問いの形をとるのにも、少し時間が要った。
「いおりの、何を……記録していたのですか」
すずは、すぐには答えなかった。
ほんの一拍だけ、端末の縁へ指を添え直してから、静かに言う。
「いおりだけではありません」
眼鏡の奥の瞳が、揺れない。
「救われなかった数万人の少女たちの“祈り”を、です」
その言葉のあとで、後ろにいた小柄な少女が、お菓子の袋をかすかに鳴らした。
「私は、もか」
もかは少し気まずそうに、それでもまっすぐこちらを見る。
「すずちゃんはね、ずっとこの廃墟を見てるんだよ。ほら、ななみさんたちがさっき見た“重い霧”。あれ、本当は悪意じゃないんだ」
そう言って、もかは鼻をくんくんとひくつかせた。
「ここにはね、たくさんの“さよなら”が溜まってるの。お母さんに会いたかったとか、ピザが食べたかったとか、明日も笑っていたかったとか……。そういう届かなかった願いが、行き場をなくして、あんな重い霧になっちゃったんだよ」
「……祈りの、集積」
涙に濡れた顔のまま、リリカが呟く。
すずは頷いた。
「それが、ハザードレイヤーの中心にある“根源”の正体です」
端末の画面が小さく明滅する。
「ですが、それはあまりにも純度が高すぎる。根源に近づきすぎれば、自分という形を保つための境界が溶け始めます」
すずは画面を操作し、いおりの記録の一部を再表示した。
数値、波形、記憶消費の推移。整理されたデータであるはずなのに、そのどれもが悲鳴の翻訳みたいに見えた。
「いおりの記憶消費が加速し、取り返しのつかない空白が生じたこと。アムネシアを出たあとも、その進行が完全には止まっていないこと。どちらも、彼女が境界線の上で戦い続けた結果だと考えています」
ななみの喉がひくりと動く。
「一度燃やされた記憶は、根源を浄化しても戻りません」
すずの声は冷静だった。
だからこそ、余計に残酷だった。
「……ですが、この場所の重さは、過去を奪うだけでは済まない。近づきすぎれば、今ここにいる者の輪郭さえも、いつか世界に溶けて消えるでしょう」
ななみは端末に表示されていたB1という数値を思い出した。
管理局の定める“処理可能”という言葉では、この場所を何ひとつ言い表せていない。
人願。
自分たちが頼りにしてきた力。
それさえ、ここではわずかな火種に過ぎないのだ。
「他にも、ここへ来ている人がいるんですか」
リリカが涙を拭いながら訊く。
入口で見つけた、踏み固められた跡を思い出していた。
すずは少しだけ黙った。
解析不能な余白でも見るみたいに、目を細める。
「……分かりません」
それから、慎重に続ける。
「ですが、この廃墟を外側から長く見守り続けていた何者かの形跡は、確かに存在します」
「見守る……?」
「閉じ込めるためではなく」
すずの言葉は、思いのほか柔らかかった。
「中に残された想いが、独りにならないように。……私には、そう記録されています」
その一言が、部屋の冷たさを少しだけ別の質に変えた。
絶望だけではない。ここには、長く残り続けた誰かの意思もある。
◇
その夜。
ななみとリリカは、廃墟の入口近くで小さな灯りを囲んでいた。
奥から滲み出す冷気は、焚き火の熱さえ拒絶するように、容赦なく肌を刺してくる。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
火の爆ぜる音。
風のない夜。奥に続く闇。
「……リリカさん」
やがて、ななみがぽつりと口を開く。
右手の手袋は外されていた。
月光に照らされた指先は細く白く、頼りないほど震えている。
「はい」
リリカは、いつもみたいに軽く返さなかった。
ただ静かに、続きを待つ。
「……怖いです」
ななみは、それを言い終えるまでに少し時間がかかった。
管理局の特別執行官として、ずっと“事実”と“管理”で自分を固めてきた彼女にとって、それは初めて他人へ見せる亀裂だった。
「知らなければ、守れると思っていました」
焚き火を見つめたまま、言葉が落ちる。
「力をつければ、いおりの隣に立つ資格が得られると……。ちゃんと正しい手順を踏んで、ちゃんと強くなれば、いつか届くと思っていた」
震える右手を、左手で包み込む。
「でも、あんな地獄の果てに立っていた彼女に、私は何を言えばいいのか……分からないんです」
リリカはすぐには答えなかった。
急かさず、慰めず、ただ同じ重さの時間を隣で引き受ける。
それから、ゆっくり口を開く。
「……私も、怖いです」
ななみが顔を上げる。
「いおりちゃんが笑ってるのが、全部“空白”のせいだなんて、思いたくなかった」
リリカの声も、少し震えていた。
「ちゃんと幸せになれたから笑ってるんだって、そう思っていたかった。村で見たあの顔を、そのまま信じていたかった」
琥珀色の小石を見つめる。
「でも、それでも」
リリカは小石を、ななみの掌へそっと乗せた。
「……行きますよね。私たち」
小さな温もりが、ななみの皮膚へ移る。
ななみは目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
肺の中まで冷えた空気が、逆に輪郭をはっきりさせる。
「……行きます」
目を開いた時、その声にはもう僅かながら芯が戻っていた。
「いおりが守り抜こうとした、今の穏やかさを本物にするために」
そして、ほんの少しだけ間を置く。
「……私の時間が、あの日から止まったままだという事実に、決着をつけるために」
その言葉は、ようやく自分自身に向けて口にできた本音だった。
リリカが小さく頷く。
「じゃあ、行きましょう。怖いままで」
ななみは、その言い方に少しだけ目を見張った。
「怖くなくなってからじゃ、たぶん遅いです。……私たち、今のままで行くしかない」
それは、励ましというより確認に近かった。
強くなったから進むのではない。
震えたままでも、怖いままでも、進むと決めるしかないのだ。
二人が立ち上がると、暗闇の向こうから足音が近づいてきた。
すずともかだった。
すずは端末を北西のさらに奥へ向ける。
廃墟の先。
地図にも記録にもきれいには残っていない、険しい闇の深部へ。
「根源に関わる場所が、もう一つあります」
その声は、最初に会った時より少しだけ人の温度を帯びていた。
「この廃墟のさらに奥。すべての“さよなら”が集まり、今も脈打っている場所です」
もかが不安そうに袋を抱え直す。
「すごく、寂しい匂いがするところ。でも……一人ぼっちの匂いだけじゃないよ。ずっと待ってる匂いもする」
すずは短く頷いた。
「……記録します」
端末を胸へ抱く手に、静かな力がこもる。
「これより先は、過去を救うためだけの旅ではありません。明日を始めるための……あなたたちの戦記です」
ななみは黒い手袋をはめ直し、右手をゆっくり握った。
震えはまだ止まっていない。
けれど、その震えはもう、彼女を縛る鎖ではなかった。
一歩を踏み出すたびに鳴る、魂の拍動に近いものへ変わりつつあった。
「……事実です」
ななみが言う。
「行きましょう、リリカさん」
「はい」
リリカは、いつもの調子をほんの少しだけ取り戻して笑った。
「場合によっては……ななみさんの背中、押しますからね」
「押される前に歩きます」
「それなら安心です」
焚き火の火が、小さく揺れる。
廃墟の影を背に、四人はさらに深い闇のほうへ視線を向けた。
いおりの笑顔の底にある、本当の夜明けを探すために。
そして、置き去りにされた無数の“さよなら”に、次の言葉を与えるために。
第二章:第六話「すずともかと、怖いということ」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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