第五話「いおりの声」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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その装置は、部屋の中央で長いあいだ息を止めていた。
主を失い、埃に埋もれた演算機の心臓部。
ななみは震える指を伸ばし、冷たい金属のスイッチを押す。
低い駆動音が、沈みきった部屋の底でかすかに目を覚ました。
レンズが青白く明滅し、空中にざらついたノイズが走る。
やがて立ち上がったのは、白い壁に囲まれた施設の一室だった。
アムネシア。
その光景を見た瞬間、ななみの喉がひどく狭くなる。
映像の中で、いおりが笑っていた。
今より少しだけ幼い顔。
図書室らしき窓辺に座り、黒髪の少女と、亜麻色の髪の少女と、三人で一冊の雑誌を覗き込んでいる。
『ねえ、ユウリちゃん。ステラちゃん。外の世界には、ピザっていう食べ物があるんだって』
弾んだ声だった。
聞いているだけで、そこにまだ“明日”があると分かる声。
『……興味ないわ。ただの加熱調理された食品よ』
ユウリは素っ気なく返す。
けれど視線は、いおりと同じページにしっかり吸い寄せられていた。
『えっ、チーズがどこまでも伸びるんだって。コーンもいっぱいのせて……。いつか、一緒に食べようね。約束だよ』
ステラがそう言うと、いおりがぱっと顔を綻ばせた。
その笑顔は、村で見た穏やかなものとは違っていた。
もっと無防備で、もっと眩しい。
まだ何も失っていない子どもが、明日を信じて笑う時の光だった。
ななみは、息を吐くのを忘れていた。
知らないいおりだった。
自分もリリカも、見ていなかったいおり。
誰かを守る前に、自分自身のための小さな願いをちゃんと持っていた少女の顔。
ノイズが走る。映像が切り替わる。
◇
今度は、音を立てることすら罪になるような静かな区画だった。
冷たい廊下。閉ざされた空気。
いおりは、自分よりも幼い少女の隣に立っている。
その子は怯えていた。肩を小さく震わせ、今にも泣き出しそうな顔で、いおりの袖を掴んでいる。
『――大丈夫。怖くないわ』
いおりの声は低い。
けれど、不思議と体温があった。
遠くから軍靴の音が近づいてくる。
規則正しく、無慈悲に。
いおりは咄嗟にその少女の前へ出た。
小さな震えを、自分の背中で覆い隠すように。
現れた女へ向ける瞳に、怯えはなかった。
覚悟だけが、静かに据わっている。
『連帯責任なら、リーダーである私一人に。……あの子は、何もしていません』
誰かを守るために、自分を差し出す声だった。
ななみの胸がひどく痛んだ。
優しさだと思っていたものが、ここではそのまま武器にされていた。
いおりは笑うことで周囲を安心させ、前へ出ることで痛みの矛先を集めていた。
その優しさは救いであると同時に、自分を削る刃でもあったのだ。
隣で、リリカが琥珀色の小石を強く握る音がした。
また、ノイズ。
今度は一段と激しく、画面そのものが軋む。
◇
戦場だった。
地下第三階層。吹き荒れる銀色の霧。
視界のどこを切っても、冷たい粒子しかない。
その中心に、いおりが立っていた。
身の丈ほどもある大剣を構え、足元から銀色の回路を血管のように這わせている。
瞳の端からは、砕けた光の粒がこぼれていた。
『――いきます。ゆめ、繋いで!』
背後へ叫ぶ。
そこにいたのは、銀の気配をまとった少女だった。
ゆめ。まだ今とは違う、どこか輪郭の曖昧な存在。
いおりが踏み込んだ瞬間、スピーカーの奥で何かが軋んだ。
金属ではない。骨でもない。
もっと柔らかくて、取り返しのつかないものが、焼ける前の音。
ななみは直感する。
記憶が、燃えている。
誰かと笑った午後。名前を呼ばれた朝。
何気ない会話。小さな約束。
自分だけの宝物だったはずの断片。
それらすべてを燃料に変えて、いおりは巨大な結晶獣へ斬り込んでいく。
銀色の閃光。霧を断つ一撃。
そのたびに、映像の中のいおりの眼差しから、何かが少しずつ削れていく。
ななみは左手で右手を押さえ込んだ。
それでも震えは止まらない。
誰かの笑顔を繋ぎ止めるために、自分の中の宝物をひとつずつ捨てていく。
そのあまりに過酷な等価交換が、視界の奥を白く染めていく。
「……こんなの……」
リリカの声が、掠れて消えた。
記録はなおも続いていた。
まるで、最悪の瞬間からだけは決して目を逸らさせまいとするみたいに。
◇
映像は、地下第三階層の最深部を映し出す。
吹き荒れる銀色の霧が、すべてを白濁させていた。
その中心で、いおりは膝をついている。
大剣は刃こぼれし、白いレースの手袋は銀色の血と回路の熱で焼け焦げていた。
もう立っていること自体が奇跡に見えた。
『――まだ……まだ、終わらせない……』
掠れた声が、ノイズ混じりのスピーカーから漏れる。
いおりの前には、逃げ遅れた数人の少女たち。
そのさらに後ろで、実体を持たないゆめが、今にも壊れそうな顔でいおりの背へ縋りついていた。
どくん。
部屋全体へ、不気味な脈動が響く。
次の瞬間、いおりの足元から銀色の茨が急速に増殖した。
床を裂き、回路を食い、彼女の身体そのものを“兵器”として再定義していく。
それが合図だった。
最後の燃料――いおりの中に残っていた、いちばん深い“個”の記憶が、燃え始める。
誰かに抱きしめられた時の温もり。
自分の名を呼ぶ、やさしい声。
泥だらけになって笑い合った午後。
それらが一つ、また一つと銀色の閃光へ変わっていく。
いおりの瞳から、急速に光が欠けていった。
感情の揺らぎが消え、そこに残るのは鏡みたいに平坦な眼差しだけになる。
『いおり……! だめ、……それを使ったら、あなたは……っ!』
ゆめの悲鳴は、もう届いていなかった。
いおりはただ、背後の少女たちを守るためだけに、空っぽになった心で剣を振り抜く。
閃光。そして、完全な静絶。
映像の最後。
霧が晴れた場所に、いおりが一人で立っていた。
助けられた少女たちが、彼女の名を呼ぶ。
けれど、いおりは振り返らない。
剣を杖のように支え、焦点の合わない瞳で、ただ虚空を見つめている。
その姿は、生き残った人間というより。
何かを守りきるために、自分の中身だけを置いてきた残骸のようだった。
ぷつり、と音がして、記録はそこで途切れた。
◇
暗い部屋に、重苦しい沈黙が戻る。
ななみは立っていられなかった。
膝から崩れ落ち、冷たい床に手をつく。
右手の手袋の中で、指先が痺れるように震えていた。
村で見た、あの穏やかな笑顔。
それが地獄を乗り越えた強さではなく、自分という人間を燃やし尽くしたあとの“空白”だったのだとしたら。
その事実は、刃より正確に胸へ刺さった。
「……あ、……ぁ……」
隣で、リリカが声を押し殺して泣いていた。
琥珀色の小石を握りしめたまま、溢れる涙も拭わず、暗転したレンズだけを見つめている。
誰かのために笑っていたこと。
誰かのために前に立っていたこと。
そのすべてが、最後には自分を失うことへ繋がっていた。
そんなものを、優しさと呼んでよかったのか。
そんな結末を、救済と呼べるのか。
部屋の冷たさが、二人の沈黙をさらに深くした。
その時だった。
カツ、カツ、カツ……。
規則正しい足音が、静寂を割る。
ななみは顔を上げなかった。
ただ、新しい気配が廊下から流れ込んでくるのを、肌で感じていた。
「……記録、第百六十八層」
落ち着いた少女の声がする。
「正確な言葉が見つかるまで、今の情動は“ノイズ”ではなく“祈り”として空欄にしておきます」
眼鏡をかけ、情報端末を抱えた少女が、廊下の角から姿を現した。
その後ろから、小柄な少女がそろそろとついてくる。
お菓子の袋を抱えたまま、心配そうに鼻をひくつかせていた。
「すずちゃん……この人たちの匂い」
少女が、小さく言う。
「ひどく焦げてる。……でも、誰かに会いたがってる匂いもするよ」
その言葉に、すずは一瞬だけ端末から目を離した。
床に膝をつくななみと、泣き続けるリリカを静かに見つめる。
そこに露骨な同情はない。
けれど、拒絶もなかった。
「……記録します」
すずは短く、しかしはっきりと言う。
「いおりが置いていったものは、単なるデータの残骸ではありませんでした」
一歩、こちらへ近づく。
「それがどれほど重いものだったかは、今のあなたたちのバイタルが何より正確に示しています」
ななみが、ようやく顔を上げた。
涙ではなく、痛みで白くなったような顔だった。
「あなたは……誰なんですか」
すずは少しだけ間を置く。
その答え方を選ぶみたいに。
「それを記録した者です」
そして、端末を抱く腕にわずかに力を込めた。
「……その記録の先にある、いおりの“明日”を、一緒に探しに来た者でもあります」
廃墟の冷たい空気の中で、その声だけが微かに体温を持っていた。
第二章:第五話「いおりの声」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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