第一話「ユウリとステラ」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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すずの記録には、こう残っている。
対象記録――ユウリという人物が、アムネシアに入所した当初の経過。記録者、すず。協力者、もか」
読み上げる声はいつも通り静かで、けれど紙の奥にしまわれていた時間だけを、丁寧に掬い上げるような響きをしていた。
もかが手元のクッキーをひと口かじって、首を傾げる。
「ユウリちゃんって、最初からあんなふうにお嬢様っぽかったのかなあ」
すずは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、淡く息をついた。
「いいえ。あの頃の彼女は、今とは少し違う種類の硬さを持っていました」
そして一拍置いて、ページをめくる。
「――始めます」
◇
ユウリは、六歳のときに両親を亡くした。
事故だった。
それだけの言葉で片づけられてしまうには、そのあとに続いた二年間は長すぎた。
親戚の家を、いくつも回った。
食事は出た。眠る場所もあった。
寒さに震える夜ばかりだったわけでもない。
けれど、どの家の空気も、ユウリにとっては借りものだった。
椅子に座る角度ひとつ、食器を置く音ひとつ、呼吸の深さひとつまで、そこにいる誰かの迷惑にならないようにしなければならない。
そうして小さく、小さく自分を畳んでいくうちに、ユウリは知ってしまった。
誰かの家に「いられる」ことと、
誰かの家に「いていい」と思えることは、
まるで別のことなのだと。
八歳になった春、最後の引き取り手が手を離した。
結晶病ではなかった。危険人物でもなかった。
ただ、行き先がなくなった。
それだけの理由で、ユウリはアムネシアへ送られた。
その頃のアムネシアは、まだ隔離施設であると同時に、かろうじて救済施設の顔も残していた。
白い壁。清潔な廊下。規則正しい足音。
与えられる寝具と食事。
泣き叫ぶほど露骨な暴力はなくても、ここに集められた子どもたちが、何かを切り離された側の人間であることは、建物全体が静かに告げていた。
最初の夜、ユウリは割り当てられた部屋の隅で膝を抱えていた。
白磁みたいな壁は、見ているだけで体温を奪っていく。
天井の照明は均一すぎて、影すらうまく作ってくれない。
ここでは、隠れることさえ難しいのだとユウリは思った。
泣きはしなかった。
泣いたところで、抱きしめてくれる相手はいない。
それどころか、泣き声は誰かを困らせるだけだと、もう知っている。
だから感情は、胸の奥に沈める。
押し込めて、凍らせて、なかったことにする。
そのやり方だけが、ユウリの身につけた生き延び方だった。
翌朝、その静けさは乱暴なくらい勢いよく破られた。
扉がばたんと開く。
足音が真っすぐに飛び込んでくる。
「あなた、昨日来た子?」
ユウリが顔を上げるより早く、亜麻色の髪が視界に落ちてきた。
光を集めたみたいに明るい瞳。躊躇のない声。
知らない相手の距離に、平気で踏み込んでくる熱。
「名前は?」
ユウリは答えなかった。
無視をすれば、そのうち諦める。
大人たちはそうだった。親戚もそうだった。
少し話しかけて、返事が悪ければ困った顔をして、それ以上は関わらない。
だからこの子も、同じように去るのだろうと思った。
けれど、その子は去らなかった。
どさり、と床に座り込み、ユウリの顔を下から覗き込んでくる。
「私はステラ。お母さんはここの管理をしてる人。だから、私もここにいるの」
「……ふうん」
それだけ返すのが精いっぱいだった。
短く、冷たく、これ以上近づかないでというつもりで。
けれどステラはまるで気にしない。
「ねえ。友達になろうよ」
「なんで」
「なんでって……」
ステラはきょとんとしてから、すぐに笑った。
「あなた、昨日ずっと部屋にいたでしょう。私、見てたから」
ユウリのまぶたが、わずかに上がる。
「……見てたの」
「うん。なんか、ほっとけなくて」
その言葉は、ユウリの知らない響きを持っていた。
ほっとけない。
そんなふうに言われたことは、一度もなかった。
邪魔にならないように、とか。
手がかからないように、とか。
そういう言葉なら知っている。
自分に向けられる視線が、義務や面倒や、少しの憐れみでできていることも知っている。
けれど、目の前の少女は違った。
何かを期待しているわけでも、いい子でいてほしいわけでもない。
ただ、ここにいるユウリを見て、放っておけないと言ったのだ。
「……ユウリ」
喉の奥にひっかかるような声で、自分の名前を言う。
するとステラの顔がぱっと明るくなった。
「ユウリ!いい名前だね」
その笑顔は、眩しかった。
でも眩しいだけではなかった。
押しつけがましさのない、ただまっすぐなあたたかさがあった。
ユウリから何かを奪おうとしない笑顔を、ユウリはそのとき初めて見た。
それから、ステラは本当にユウリのそばにいるようになった。
朝になれば扉を開け、昼になれば隣に座り、夕方になれば窓の外の雲の形を教えにくる。
ユウリは相変わらず、ほとんど話さなかった。
それでもステラは気にせず話し続けた。
中庭で見つけた虫のこと。
食堂のスープが少ししょっぱかったこと。
夜明け前の空が、薄い青と灰色の間を揺れていたこと。
お母さんに叱られたけれど、でもたぶん自分は悪くないと思っていること。
どうでもいいようなことばかりだった。
なのに、そのどうでもいいことが、ユウリの胸の固いところを少しずつ溶かしていった。
ステラの声を聞いていると、自分が透明ではない気がした。
誰にも見つからないまま消えていく存在ではなく、ここにいて、今こうして隣に座っているのだと、その声が何度も教えてくれる気がした。
だからこそ、二週間後にステラが熱を出したとき、ユウリは初めて、自分の中にある焦りを持て余した。
医務室の前の廊下は、薬品の匂いがした。
閉じた扉の向こうから、時々水の音や、器具のかすかな触れ合う音が聞こえる。
ユウリは壁に背を預けたまま、ずっとそこに立っていた。
座って待つという発想すら浮かばないほど、胸の奥が落ち着かなかった。
「ステラを心配してくれているの?」
声をかけてきたのは、ひどく静かな女性だった。
ユウリが顔を向けると、整った姿勢のまま一人の女が立っていた。
白衣の下に無駄のない動きが収まっていて、その目だけが不思議なほどよく見ていた。
セシリア――ステラの母であり、この施設の管理に関わる人間だと、ユウリもすでに聞いていた。
「……別に」
反射みたいにそう返す。
認めてしまえば、弱いところを見せることになる気がしたからだ。
「そう」
セシリアは、それ以上問い詰めなかった。
ただユウリの隣へ来て、同じように壁に背を預けた。
無理に会話をつなごうともしない。
慰めるふりもしない。
その沈黙はひやりとしていたけれど、不思議と息苦しくはなかった。
「ステラ、今朝からずっと話していたわ」
しばらくして、セシリアが言う。
「友達ができたって」
ユウリは返事をしない。
できなかった、のほうが正しい。
胸の奥で何かが小さく揺れて、その正体をうまく言葉にできなかったからだ。
「あの子は、友達を大事にする子よ」
それは、試すような言い方ではなかった。
感謝を強いるでも、責任を押しつけるでもなく、ただ事実を差し出すだけの声だった。
だからこそ、重かった。
誰かに大事にされるということ。
誰かの中で、自分が名前を持って存在しているということ。
それはユウリにとって、まだうまく受け取れないほど大きかった。
医務室の扉が開いたのは、それから少し経ってからだった。
中から出てきたステラは、まだ頬を赤くしていたけれど、ユウリの姿を見つけた途端に目を丸くした。
「えっ、ずっといたの?」
「……別に」
「またそれ言う」
熱のせいで弱々しいくせに、ステラはくすっと笑った。
「でも、ありがと」
たったそれだけで、ユウリは目を逸らした。
胸の中のどこかに、知らない熱が落ちた気がした。
◇
ユウリがアムネシアで初めて笑ったのは、入所から三週間後のことだったという。
その日、外は雨だった。
中庭の土はやわらかく、踏めばすぐに靴が沈んだ。
本来なら外に出るべきではない天気だったし、実際あとで二人はセシリアにひどく叱られた。
けれど、その少し前までは、ただ子どもの時間があった。
「ユウリ、こっち!」
雨のなかで、ステラが手を振っていた。
亜麻色の髪は濡れて色を深くし、頬には泥が跳ねている。
そんな格好なのに、本人は世界でいちばん楽しいことを見つけたみたいな顔をしていた。
「何してるの」
「川!」
「川じゃないでしょ。ただの水たまり」
「でも、すごいよ。見て、海みたい!」
意味がわからない、と言い返したかったのに、次の瞬間にはステラがユウリの手を引いていた。
小さな手はあたたかくて、遠慮がない。
そのままぐしゃ、と泥を跳ね上げる。
冷たい水が靴下まで染みて、ユウリは眉をひそめた。
「最悪……」
「でも、ちょっとだけ楽しいでしょ」
「全然」
「顔がそう言ってないよ」
言われて、はっとした。
自分の顔なんて、自分ではわからない。
けれどステラは、確かにそう言った。
そして次の瞬間、自分で水たまりに足を取られて、派手に尻もちをついた。
「……っ、ふ」
音がこぼれた。
喉の奥から、勝手に。
びっくりするほど小さかったけれど、確かに笑いだった。
ステラが目を見開く。
「今、笑った!」
「笑ってない」
「笑ったよ!」
「笑ってないってば」
「うそ。絶対笑った!」
言い合いながら、二人とも泥だらけになっていく。
雨は冷たいのに、胸の内側だけが妙にあたたかかった。
そのあたたかさの名前を、ユウリはまだ知らない。
けれど、ひとつだけわかったことがあった。
ここにいていいのかもしれない、と。
この声の届く場所に、自分がいてもいいのかもしれない、と。
しばらくして現れたセシリアに見つかり、二人は案の定、きつく叱られた。
ステラはしょんぼりした顔をしたあと、こっそりユウリにだけ笑いかけた。
そのいたずらっぽい目に、ユウリはまた、今度ははっきりと笑ってしまった。
◇
記録の末尾に、すずの整った文字が続いている。
「記録者注。ユウリがアムネシアで初めて明確な笑顔を見せたのは、入所から三週間後の雨天。ステラとともに中庭を走り回り、泥だらけになってセシリアに叱責された直後のこと」
もかが小さく息を弾ませた。
「なんか、いいねえ」
クッキーを持ったまま、少しだけ目を細める。
「大きな約束が生まれる前に、こんなちいさな魔法がちゃんとかかってたんだ」
すずはしばらく黙って、その一文を見つめていた。
それから静かに頷く。
「はい。きっと、そうです」
ページを閉じる音が、乾いた部屋にやわらかく落ちる。
雨の中で生まれた最初の笑い声は、まだ誰も知らない未来へ続いていた。
回想第一部:第一話「ユウリとステラ」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
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