第63話:白蛇様の冷や汗と、小さな戦士たち
王宮からの帰り道。
ルードヴィッヒには、自身の本宅である『丘の上の豪邸』へ戻るという選択肢など、一ミリすら頭になかった。
吸い寄せられるように足が向かったのは、美和の待つ小さなログハウスだ。
もちろん、そんな主人の行動など知る由もない丘の上の本宅では、猿族の老執事・ジィが今か今かと主人の帰りを待っていた。
「そろそろ坊っちゃまがお帰りになる時間……! ジィ特製の熱々目玉焼きを作ってお迎えせねば!」
ジィは張り切ってフライパンを握っていたが、まさかルードヴィッヒの好物が、先日のピクニック前の朝食で食べた美和特製の甘い卵焼きへとチェンジしたことなど思いもしない。
そもそも変温動物であり熱い食べ物が苦手なルードヴィッヒにとって、ジィの熱々目玉焼きは大好物というほどでもなかったのだ。ただ、本当のことを言えば悲しむだろうと、今まで黙っていたに過ぎなかったのだが――。
そんな忠臣の空回りを余所に、当のルードヴィッヒはログハウスのリビングで、深々と項垂れていた。
(はぁーさて、どうしたものか……頭が痛い。この人間の女にどう伝えようか? マリアーレ聖教国から信書が届いたと直接言うべきか?
いやまて、その前に俺が丘の上のルードヴィッヒだと知らないではないか! となると獣化を解かねばならぬ! 獣化を解いた俺に、この人間がどんな目を向ける……?)
まさか、マリアーレ聖教国から直接美和宛てに信書が届いており、すでに全員の腹がくくられているなどとは夢にも思わないルードヴィッヒは、居間の片隅で白い体をトカゲのように小さく丸めながら、深刻な顔で頭を抱えていた。
(……思い出すだけで恐ろしい)
人化の姿の時に美和へ働いた数々の無礼が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
求人を出した美和が訪ねてきた際、顔を見るなりドアをバタンと閉めて門前払いした初対面。
その後は反省するどころか居留守を使い倒し、美和が店を出すとなった際も「危険だ」「不審だ」と難癖をつけて却下。
何度も何度も送られてくる出店許可証に対し、ことごとく不可のスタンプを叩きつけた苦い記憶。
(……言った瞬間、俺は終わる。この家の屈強な獣人どもに殴りかかられ、美和からは問答無用で追い出されて二度と敷居を跨げなくなるはずだ。……いや、あの獣人どもに負ける気は毛頭ないが、精霊と黒竜は別だ。挑んだ瞬間、瞬殺される未来しか見えない)
それはつまり、美和の作る甘めの卵焼きもクッキーも二度と食べられなくなるということ。
(……それは困る! 絶対に嫌だ!!)
白蛇の小さな頭をブンブンと振れば振るほど、自分の頬が冷や汗で青ざめていくのが分かった。
絶対に、何があっても自分が『丘の上の蛇族の男』だとは口が裂けても言えない。
(黙秘だ。この姿のまま、愛玩動物のフリを突き通すしかない……!)
そんなルードヴィッヒの命がけの葛藤をよそに、美和たちの話し合いはすっかりまとまりつつあった。
「よし、決行は明日!」
パンと手を叩いた美和が、楽しそうに居間を見渡す。
「お留守番組のレンたちには、お願いがあるの。帰ってきたら盛大にお祝いパーティーをするから、お店のお掃除と、新しいお菓子の仕込みを頼んでもいいかな?」
「任せて美和さん! ピカピカにして、美味しい材料もたくさん揃えて待ってる!」
「私、ジャムの瓶洗うの頑張る!」
レンたち半獣の子供たちが、自分たちも役に立てると目を輝かせて返事をする。
子供たちが嬉しそうに奥の部屋へお手伝いの準備をしに行ったのを見届けると、美和はスッと表情を引き締めた。
「……コハクちゃん、隠密先輩。ちょっと来て」
こっそりと手招きされ、狐耳をピクッと立たせた二人が首を傾げながら近づいてくる。
「二人にお願いがあるの。……レンたちには内緒で、この家の周りの警護と、子供たちを守ってほしいの」
「警護……ですか?」
「ええ。マリアーレ聖教国が暗殺部隊や刺客を送ってくるかもしれない。敵にこの家がバレている以上、私たちが留守の間、ここも完全に安全とは言えないでしょう? だから、この家と子供たちを守ってほしいの」
「でも! 私たちも一緒に行きたいです! 美和様をお守りしたいです!」
隠密先輩が耳をペタンと伏せ、悔しそうに食い下がった。コハクも同じ気持ちなのか、力強く頷いている。
そんな二人を、美和は温かく、けれど力強い眼差しで見つめ返した。
「……あなたたち二人が強いって、私知ってるわ。だからこそ、みんなが帰ってくるこの場所を守ってほしいの。これは、あなたたちにしか頼めない大切な仕事よ」
「美和様……」
「あなたたちは私の盾であり矛よ! 小さいけれど誇りある獣人の戦士! 私はそう信じてる」
その言葉が、二人の胸に深く、強く突き刺さった。
ただのお留守番ではない。自分たちは美和から最も重い『帰る場所を守る』という命を託されたのだ。
「……任せてくださいっ! 死んでもこの家とレンたちを守り抜きます!」
「美和様たちが安心して帰ってこられるように、ネズミ一匹通しません!」
涙ぐみながらピシッと胸を張って敬礼する二人に、美和は優しく微笑んだ。
◇
翌朝――快晴。
「みんな、行ってくるね!」
「気をつけてねー!」
「絶対無事で帰ってきてねー!」
手を振るレンたちと、キリッとした表情で家を取り囲む配置についた隠密コンビに見送られ、美和たちは歩き出した。
メンバーは美和、抱っこされた遥斗、レオ、ビッツ、そして渋々といった顔の黒竜ルゥ。
(……くそっ、やっぱり放っておけるか!)
美和の背中で揺れるリュックサックの隙間。
そこに、密かにヌルリと忍び込んだ白蛇ルードヴィッヒは、暗闇の中で激しい揺れに耐えていた。
(正体を明かせぬなら、陰ながら護衛するまで。 俺がついていれば、マリアーレの雑魚どもに遅れをとることは……って、っ!? 揺れる!)
「よし、徒歩でマリアーレ聖教国を目指すわよ! 気合入れて行きましょう!」
「おう! 美和、荷物は持つぞ」
「足元に気をつけろよー」
転移魔法など使わず、しっかりと周囲を警戒しながら自らの足で歩みを進める一行。
リュックの中でガタガタとシェイクされながら、『俺は一体何をやっているんだ……』と白目を剥く白蛇様を乗せて、聖教国への突撃旅が賑やかにスタートしたのだった。




