第61話:誰が誘拐犯ですって……?
「美和、大丈夫か!?」
ピクニックから帰り着いたその日の深夜。美和は酷い高熱にうなされていた。
普段は滅多に風邪を引かないものの、一度かかれば一気に重症化してしまうのが美和の体質だった。
ハァハァと荒い息遣い。赤い顔に潤んだ瞳。身体は酷く熱くダルいのに、寒気を感じて「寒い、寒い」と身を縮める。
そんな美和から、事実上の『接触禁止令』を言い渡されたのは遥斗だった。
「レオ……ごめんだけど、ハル君をお願い……」
悔しそうな顔で謝る美和。だが、大好きな母親から引き離された遥斗が黙っているはずもなかった。
「ふんぎゃぁぁ! やぁぁぁ!」
火山が噴火したかのごとく泣き喚く遥斗。美和の元へと行きたい一心で、締め出された部屋のドアの隙間から、必死に手を伸ばす。
「まー! だっこぉ……」
大粒の涙を溜めて見上げる我が子に胸を痛めつつも、「ハルくんごめんね……」と容赦なく扉を閉める美和。
遥斗は瞳を揺らした次の瞬間――
「あんぎゃぁぁぁ! まー! やぁ!」
バンバンと扉を叩き、抗議の声を張り上げた。
同時にドフッと恐ろしい高魔力が放たれたのだが、家に掛けられた高性能な結界のおかげで間一髪、事なきを得る。
だが、突然泣き出した遥斗に誰よりも狼狽えたのは、一時保護されたばかりの半獣のレンたちだった。
「は、遥斗〜! 大丈夫だからなぁ!」
「泣きやめ〜!」
扉の向こうであやす声を聞きながら、美和は熱のある頭で泣きそうになっていた。
(ごめんねハルくん、皆……移るとダメだから……うぅ、悲しい……今すぐ抱き締めてあげたい……)
風邪のせいで心も弱くなっている。保護した半獣の子供たちのことや、マリアーレ聖教国での虐待の話を聞いて胸を痛めていた矢先の体調不良だった。
虐待という名の暴力は到底許せない。今すぐにでも乗り込んでやりたいのに、現実は思い通りにいかない。
(く……不甲斐ない……!)
自分の弱さに悪態をつく美和。しかも不思議なことに、精霊印の蓮茶すら、なぜかこの風邪には一切効かなかった。
しばらくの間、扉の向こうの騒がしさに胸を痛めていた美和だったが、時間と共に静かになり、そっと顔を覗かせたレオが苦笑いを浮かべる。
「……やっと寝た」
泣き疲れ、眠りについたという。
「レオ……ごめんね、頼っちゃって……」
「もっと頼ってくれて構わない」
不器用な言葉にニコッと笑みを返すと、「レンたちのこともお願い。それと……お店は休業で……」と呟く美和に、レオは優しく声をかけた。
「いいから美和は少し寝ろ」
扉の向こうでビッツやコハクたちが「家のことは心配するな」と相槌を打つ声を聞きながら、美和はウトウトと意識を手放していった。
◇
それから丸一週間。
美和は食欲すら失せるほどの高熱に悩まされた。熱が上がり、下がったかと思えばまた上がるの繰り返し。
朦朧とする意識の中、美和は何回か部屋へと突撃してきた遥斗の姿を目撃していた。
「まーま! ぃたいぃたい?」
「……ハルくん」
「あ! 遥斗! ダメだって言っただろ!」
追ってきたビッツの焦り声。
「やっ! ビー嫌い! やぁ! メッする!」
「うわぁ、バカ! ハル! やめろ! 精霊をけしかけるな! ぎゃぁぁ! それやめろ死ぬ! 普通に死ぬからぁぁ!」
叫び声と共に意識が途切れ、おでこにヒンヤリとした冷たさを感じて再び意識が浮上する。
「ぃたいの、ぃたいの〜ふ〜ふ〜! とんでけぇ〜」
ベッドの縁から見えた小さな旋毛。伸ばされた愛おしい手をキュッと掴んだ記憶と、遠くで「遥斗〜!」と呼ぶ声を聞きながら、美和は再び深い眠りへと落ちていった。
◇
「……大変ご心配をお掛けしました」
一週間後――美和は全快した。
だが、その風邪がただの風邪ではないと気付くのは、もう少し先のこと。
治ったと思われた症状は決して消えてなどおらず、静かに美和の胸の奥で燻っていることなど、この時は誰も知る由もなかった。
全快した美和が真っ先にしたこと。
それは「ハルくん〜! 抱っこぉぉ!」と遥斗を力いっぱい抱き締めることだった。
「美和様、美和様〜! 私も抱っこ〜!」と便乗する隠密先輩に「空気読め!」とツッコミが入る、いつもの愛おしい日常が戻ってきた。
――だが。
「ん? なんか手紙?」
家のポストを開けた美和は、重々しい印章(※マリアーレ聖教国の国印)が押された一通の手紙を見つけた。
何も知らずに封を切った、その瞬間――
ブワァッ! と、禍々しい紫色の怪しい煙が舞い上がった!
意志を持っているかのように、美和の顔面を目掛けて一直線に伸びる!
「――っ!?」
しかし、美和の腕の中には遥斗がいた。
愛くるしい幼子の主を害そうとする気配を察知した瞬間――遥斗の周りに漂う無数の光の精霊たちが、カッと眩い光を放ちながら一斉に群がった!
まるで幼い主を守る騎士のように健気に、そして圧倒的な神聖さで毒煙を包み込むと、バチバチッと眩しい火花と共にパンッ! と一瞬で霧散させてみせたのだ。
「な、なに……今の……」
あふれ出た圧倒的な光の余波と破裂音に反応し、レオをはじめとする仲間たちが一気に駆け寄ってくる。
「なに今の音!?」
一気に美和の元へと駆け寄ってくる耳や尾を持った仲間たち。
美和はポカンとしたまま手紙を掲げた。
「なんか、手紙? 来たんだけど……」
そう言って訳が分からないまま中身を確認した美和だったが、すぐにポツリと呟く。
「……読めない」
そう、美和はこの世界の『文字(異界語)』が読めなかったのだ。
「……貸してみろ」
そう言って手を差し出したのはレオだった。
だが、手紙に目を走らせた瞬間――レオの表情は見る見るうちに怒りで般若のごとく変わっていく。
「……レオ、なんて書いてある?」
その怒りに気づくことなく、手紙を覗き込もうとする美和。
しかし次の瞬間――
グシャッ!!
「……え」
容赦なく握りつぶされる手紙に、驚く美和。
「……見る価値もないイタズラだな」
そう言ったレオの表情は、ここ最近で一番の(そして一番恐ろしい)笑顔だった。
「……そっかぁ〜」
絆されて「そっかぁ」で流しかける美和だったが、すぐにハッと正気に戻る。
「んなわけあるか! で、なんて書いてあったの? と、その前に人の手紙をぐしゃぐしゃにして! ダメでしょ!」
プンプンと怒り始める美和。だがレオは言いたくなさそうに、フイッとそっぽを向いてしまう。
「えっと……」
重い空気の中、レオが握りつぶして捨てた手紙をビッツが器用に引き伸ばし、ケロッと言い放った。
「……あぁ、なんか『盗人』だって」
「は?」
「いや、このニュアンスは『誘拐犯』だな」
「……誰が?」
首をかしげる美和に、今度はルゥやコハクが手紙を覗き込み、顔をしかめた。
「美和……これ、マリアーレの手紙じゃん! しかも、この匂い……うげぇ! くっさ! この匂いは魔族のやつじゃん!」
『魔族』という単語を聞き、美和と遥斗以外のその場にいた全員に緊張と動揺が走る。
……だが、美和にとってそんなことより『誘拐犯』という言葉の方が何倍も重要だった。
「……誘拐犯……?」
静かに低く呟く美和の周りの温度が、すーっと下がっていく。
ノアを虐待して捨てたくせに、助け出した私を『誘拐犯』呼ばわり――?
全快したばかりのはずの美和の瞳から、完全に光が消えた。
「……乗り込むわよ」
「「「「え!?」」」」
「乗り込むわよ、マリアーレ聖教国へ!!」
こうして、聖教国への「突撃」が正式に決定するのだった――。
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