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戦えない母は赤ちゃん抱いて異世界にいた  作者: くじら


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第53話:足跡の行く先

注:本エピソードの前半部分において、児童に対する暴力(虐待)の描写が含まれております。

苦手な方や、不快に感じられる方は閲覧にご注意ください。





注:本エピソードにおいて、児童に対する暴力(虐待)の描写が含まれております。

苦手な方や、不快に感じられる方は閲覧にご注意ください。


――



マリアーレ聖教国の中心地、白亜の神殿。


 静かな朝の訪れを告げるように、中庭からはピッピッと小鳥の愛らしい囀りと、風に揺れる葉の擦れる音が心地よく響いていた。


 穏やかで、いつもと変わらない美しい朝。


 ――だが、次の瞬間、その平穏は無残に打ち砕かれる。


 ――ガシャアアン!!!


 耳を劈くような激しいガラスの破砕音が、豪華絢爛な私室に響き渡った。


「……いないとはどういう事? ワタクシの息子が何処に? 今日は大事なお務め(貸し出し)があると言うのに?」


 カサンドラの声は、叫びではない。


低く、冷たく、地を這うような怒気に満ちていた。

 床には、朝食のために用意されていた最高級の果実や、粉々になった硝子の器が散乱している。


「ルチアっ!」


 突如として鋭く名前を呼ばれ、室内の隅にいたルチアはビクリと身体を硬直させた。


恐怖で心臓が跳ね上がり、呼吸が止まる。


 そのルチアを押し退けるようにして前に出てきたのは、聖母カサンドラの忠実な侍女だった。


 この女は、カサンドラの命令ならば命を懸けることすら厭わない、狂信的で忠実なしもべだ。


「恐れながら、聖母様。ノア様は――」


「ワタクシはルチアに聞いてるのっ!」


 ピシャリと冷酷に遮られ、侍女は一瞬で口を閉ざして一歩下がった。


 カサンドラはぬうっと影を伸ばすように歩み寄り、冷徹な視線で、頑なに口を開かないルチアを見下ろした。


「そう……意地でも口を開かないつもりね? ワタクシがお前には手が出せないとでも思ってるのかしら?」


 カサンドラが静かに引き出しから取り出したのは、小さいながらも抜群の威力を発揮する、『人を痛め付ける為だけに作られた専用の鞭』だった。


 しなやかな革の不気味な光沢が、ルチアの瞳に映る。


「足を出しなさい」


 ルチアはガタガタと震えながら、涙目でスカートの裾を上げ、ふくらはぎを晒した。


 だが、聖母カサンドラはそれを見て、フッと冷たく笑う。


「ルチア、違うわよ? 靴を脱ぎ、膝まずきなさい」


 その言葉の意味を理解した瞬間、ルチアの顔から血の気が引いた。


 ルチアは震える手で靴を脱ぎ、言われた通り、その小さな素足を大理石の床へと晒す。


 何本もの細長い鞭が、天高く構えられ


――思いっきり振り下ろされた。


 ――ビシィィィッ!!!


「っ……、……あぐっ……!」


 痛みを逃がす靴底もない。


肉の薄い、敏感な足の裏へ直接叩きつけられる衝撃。


 それが、何度も、何度も、容赦なく振り下ろされる。


 ルチアの小さな土踏まずが真っ赤に腫れ上がり、やがて皮膚が裂け、白い床に鮮血がポタポタと滴り落ちる。


「っ……っ……、……ぅ」


 歯が折れるほど食いしばり、ルチアはボロボロと涙を流しながらも、決してノアの行き先を口にすることはしなかった。


 ――だけど。


その地獄を、ベッドの上から見ていることしかできない者が、ついに耐えきれずに叫んだ。


「いうから! 言うからやめろっ!」


 その瞬間、カサンドラの手がピタッと止まる。


 カサンドラは、血に濡れた鞭を弄びながら、ゆっくりと兄の方へと顔を向けた。


「……そう、良いわ。言ってみなさい? ただし、嘘を言ったりしたら、さらに酷い仕置きがこのルチアを待ってるわよ」


 その言葉に、兄は血の滲む唇を開いた。


 自分が本当のことを言えば、ノアが捕まる。


でも、ルチアがこれ以上壊されるのを見ていられない。


 兄が、命を削るような覚悟でついた「嘘」は――。


「……お、弟は、東の……東の商業都市の、荷馬車に隠れて、遠くへ行くって……っ! そっちに向かったんだ……!」


 必死の、魂を賭けた嘘だった。


 カサンドラはそれを聞き、満足そうに鼻で笑う。


 しかし。


 部屋の隅で控えていた例の侍女が、静かに一歩前へ出た。


「カサンドラ様……」


「言わなくてもわかっているわ。……『獣人共の国』でしょ?」


 カサンドラの言葉に、兄もルチアも、絶望で息が止まった。


 最初から、子供たちの浅知恵など見抜かれていたのだ。


「はい。国境の手前で、ノア様らしき子供の目撃情報が入っております」


「ふん、やはりね。我が国のスラムの半獣どもが騒いでいた、あの薄汚い『偽聖母』の噂を信じて、縋りに行ったのね。愚かな羽虫が」


 カサンドラは汚いゴミを見るような目で子供たちを一瞥すると、侍女に向けて冷酷な笑みを浮かべ、命じた。


「すぐに、我が神殿が誇る『直属の最高位暗殺部隊』を動かしなさい。国境を越えて獣人国へ入り、あの子を(ノア)を捕らえるの。……ああ、それと」


 そう言って、カサンドラは冷酷な瞳をルカへと向けると、すうっと瞳を細めて言い放った。


「口の利き方がなってないと思わない? ねぇ、どう思う?」


「っ……、……あ」


 ルカの身体が、恐怖で激しく硬直する。


ルチアを助けたい一心で我を忘れていたが、自分は今、この絶対権力者である母親に逆上して大声を張り上げてしまったのだ。


その代償がどれほど恐ろしいものか、彼らの身体は嫌というほど知っていた。


 怯えるルカを冷たく見下ろしたまま、カサンドラの瞳が、どす黒い歓喜に染まる。


「良い機会だわ。その、調子に乗っている『辺境の偽聖母』とやらも、一緒に首を刎ねておしまい。ワタクシの地位を脅かす不届き者に、神の罰を与えてあげるわ」


「御意に」


 侍女が音もなく一礼し、影へと消える。


 ルカとルチアは、ただただ床に崩れ落ち、ノアの、そしてまだ見ぬ辺境の誰かの無事を祈って、絶望の涙を流すことしかできなかった。


 マリアーレ聖教国の最高位暗殺部隊が、冷徹な殺意を孕んで動き出したその頃。


 二人の祈りの対象である弟のノアは、獣人国を隔てる広大な森の境界線を、必死に走っていた。


「ハァ、ハァ……ッ、ハァ……ッ!!」


 衣服は茨でボロボロに裂け、手足は泥と血で汚れている。


まともな食事も摂らずに3日間走り続け、その身体はとうに限界を迎えていた。


 国境の険しい検問所を命がけで迂回し、ついに獣人国の領土へと足を踏み入れたその瞬間、ノアの小さな身体から、ぷつりと糸が切れた。


「あ……、兄ちゃん……」


 ドサリ、と柔らかな草の上へ倒れ込む。



 ――マリアーレ聖教国の最高位暗殺部隊が、冷徹な殺意を孕んで国境を越える。


 しかし、彼らはまだ知らなかった。


 彼らがこれから向かう「辺境の家」が、人間国の常識など1ミリも通用しない『精霊と黒龍の巣窟』であり、その主(赤子)の母である美和をキレさせたら世界が滅ぶレベルの最強の一般人であるということを――。



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