第52話:カサンドラの闇と小さな決意
注:本エピソードにおいて、児童に対する暴力(虐待)の描写が含まれております。
苦手な方や、不快に感じられる方は閲覧にご注意ください。
マリアーレ聖教国の中心地。
白亜の神殿の美しく整えられた中庭で、そのお茶会は定期的に開かれていた。
聖母カサンドラが、自らの熱狂的な信者である貴婦人たちを集め、敬われ、称えられ、歪んだ自己顕示欲を満たすための品評会。
それがこのお茶会の本質だった。
「相変わらず、カサンドラ様は美しいわ……」
「あら、美しいだけじゃなくて、カサンドラ様は素晴らしいお方よ。主人も絶賛しておりましたの。今朝施していただいた祝福に、ひどく癒やされたと」
「お子が三人ものいらっしゃるようには、とても見えませんわ! その美貌の秘訣をぜひ教えていただきたいですわ!」
夫人たちの甘ったるいお世辞の嵐に、カサンドラは優雅に微笑みながら、心の中で極上の悦楽に浸っていた。
「まぁ、ルチア様は次期聖女として、毎日勉学に励んでいらっしゃるとか。次代も安泰、さすがカサンドラ様のご息女ですわね。
――ねぇ、ルチア様、お母様がこれほど素晴らしいお方だなんて、誇らしいでしょう?」
「え……あ、は、はい……」
急に話を振られ、隣に座らされていたルチアは身体を強張らせた。
「ほほっ、照れていらっしゃるのかしら? お可愛らしいこと。さぁ、美味しいお紅茶でもいかが?」
「あ、ありがとうございます……」
ルチアはこの薄汚い欲望が渦巻く集まりが、昔から大の苦手だった。
震える手でカップへと指を伸ばした、その時。
「ところで、お兄様と弟君はお元気かしら?」
夫人たちの何気ない一言に、ルチアの指先がピタリと止まった。
「本当にカサンドラ様はできたお方だわ。子供を一人育てるだけでも大変なのに、養子とはいえ、男の子を二人も引き取って育てていらっしゃるなんて!」
「カサンドラ様がお優しいからこそできることですわよ。私だったら絶対に無理ですわ」
ほほほ、と扇子で口元を隠して笑い合う夫人たち。
「今日はお姿が見えませんけれど、どうなさったの?」
「あ、お兄様は……その……」
ルチアの喉が、恐怖でぎゅっと拒絶反応を起こした。
元気なわけがない。
兄は昨夜、母、カサンドラの『躾』という名の残虐な暴力のせいで、今も部屋のベッドでピクリとも動けない状態なのだ。
服で隠れる場所ばかりを狙って折檻されるため、一見すると分かりにくい。
だからこそカサンドラは、兄弟に対しても「今日のお茶会には必ず参加しろ」と厳命していたのだ。
だが、今の彼らに動ける体力など残っているはずもなかった。
「なにかありましたの?」
なかなか答えないルチアに、一人の夫人が探るような、どこか怪しむような視線を向ける。
ルチアの心臓が警鐘を鳴らす。
この場には、見栄えの良い兄弟を貴婦人たちに見せびらかし、裏で『貸し出す』ための商品として利用する目的もあった。
もしここで自分が上手く喋れなければ。
カサンドラの顔を潰すような不手際を犯せば――後でそれ以上の凄惨な折檻を受けるのは、自分の大好きな兄や弟なのだ。
(喋らなきゃ……! 上手く、嘘をつかなきゃ……っ!)
そう焦れば焦るほど、声は喉の奥に張り付いて、ただ呼吸だけが白く荒れていく。
そんな娘の醜態に、カサンドラの美しい瞳が一瞬、夜叉のように細められた。
だが、すぐに形を整えた唇をゆっくりと開き、極上の聖母の微笑みを浮かべる。
「皆様、申し訳ございません。あの子たちは、昨日……」
「昨日……?」
「ふふ、昨日、少し遊び疲れてしまったようで、今は気持ちよさそうに眠っておりますの」
「まぁ! 聖母様ったら、お優しいのねぇ」
「ただ、少し残念だわ。麗しいご兄弟のお話を聞けたらと思っておりましたのに」
「まぁ、それは、申し訳ございませんわ……」
「とんでもない! 私たちは順番を待っておりますので、いつでも大丈夫ですのよ?」
夫人たちのその言葉に、カサンドラは優雅に頷きながらも、内心の怒りは沸点に達していた。
自分の商品であり、最高の自慢である兄弟が、自分の命令に背いてお茶会を欠席したのだ。
それだけで、傲慢な聖母にとっては、万死に値する反逆だった。
◇
お茶会が終わり、客人が去った直後。
まだ先日の傷さえ癒えていない兄弟は、薄暗い部屋で、再びカサンドラによる容赦のない折檻に晒されていた。
激しい打撃音と、肉が裂ける音。
「っ……あああっ……!!」
「この、出来損ないどもが! わたくしに恥をかかせて、タダで済むと思っているの!?」
荒れ狂うカサンドラの前に、這いつくばった兄が、決死の覚悟で弟の前に立ちはだかった。
その小さな背中で、怯える弟を庇いながら、涙ながらに叫ぶ。
「お願いします……! 弟を許してください、母様……っ! この前の傷が、まだ治っていないんです……!」
「まぁ、わたくしに口答えするの!? 生意気に!」
さらに振り上げられる鞭。
兄はギュッと目を瞑り、最後の力を振り絞って叫んだ。
「っ……お、弟の分まで……僕が……僕が、罰を受けますから……っ!!」
「いい度胸ね。なら、死ぬまで耐えてみせなさい!」
カサンドラの狂気は留まるところを知らなかった。
弟の分まで折檻をその身に浴び続けた兄は、血に染まり、床に崩れ落ちた。
その背中には、肉が爆ぜた無数の痛々しい鞭の痕が刻まれ、呼吸も途切れ途切れだった。
――このままでは、お兄ちゃんが死んでしまう。
夜、カサンドラが去った後の冷たい部屋で、弟は兄の弱々しい鼓動を聞きながら、絶望の中で立ち上がった。
以前、神殿の廊下で、年配の神官たちが話していた噂を思い出したのだ。
『獣人国には、どんな傷や病をも一瞬で完治させる、本物の奇跡を起こす聖母がいる――』
「兄ちゃん……待ってて。僕が、必ず助けるから……っ!」
弟は神殿を抜け出す決意をした。
それに気づいたルチアが、「私も一緒に行くわ!」と涙を流して縋りつくが、弟はルチアの両手を強く握りしめ、必死に首を振った。
2人ともいなくなれば、カサンドラが残された兄に何を強行するか分からない。
「ルチアは、ここに残ってほしい。ルチアと兄さんを置いて行くのはすごく心配だけど……でも、兄さんを治してもらうために、僕は行くよ!
だから、ルチア……僕が戻るまで、兄さんをお願いっ……!」
そう言って、弟は夜闇に紛れ、命がけで神殿の防壁を越えていった。
最初の1日は、まだ良かった。
その日のカサンドラは、男たちを侍らせて酒に溺れ、子供たちのことなど忘れたかのように上機嫌だったからだ。
けれど、もし弟の脱走がバレれば、あの母親が激高して、ベッドの兄をどうするか分からない。
弟が獣人国から「奇跡」を持ち帰るまで、何が何でも隠し通さなければならない。
ルチアは、兄の枕元で、ただひたすらに神に祈り続けた。
――けれど、神様は、哀れな子供たちの味方をしてはくれなかった。
弟が神殿を抜け出して3日目の朝。
最悪のタイミングで、その事実は、聖母カサンドラの知るところとなってしまったのだ――。




