第49話:二人の聖母は要らぬ
この世界には人間が支配する大都市が四つ存在する。その一つ――マリアーレ聖教国。
そこは、世界を優しく包み込み、民に奇跡をもたらすとされる【唯一無二の聖母】を信仰の頂点に頂く、宗教国家である。
高くそびえ立つ大聖堂の最奥、美しいステンドグラスから厳かな光が差し込む秘密会議室に、狂信的なまでの熱を帯びた怒号が響き渡っていた。
「愚かな! どこの馬の骨とも知れぬ人間の女が、獣ども(獣人)の国で『聖母』を名乗っているだと!?」
「畏れ多くも我が国が崇める絶対の存在、その神聖なる『聖母』の名を騙るなど、神への冒涜! 断じて許されぬ!!」
円卓を囲む枢機卿や高位の神官たちが、獣人国からの密偵がもたらした報告書を前に、顔を真っ赤にして机を叩いていた。
報告書に記されていたのは、獣人国の辺境で、あの最強の黒龍や犬族、さらには国家転覆級の暗殺集団(蛇族の配下)すらも従え、平然と暮らしているという一人の人間の女――美和の存在だった。
「すでに、四方の一角たる『ヴェルザード皇国』は崩壊寸前。あそこの愚王どもが、聖なる力を軽視し、傲慢に溺れた報いだ。だが……我がマリアーレは違う!」
一人の老枢機卿が、冷酷な眼光で周囲を見回した。
「世界に光をもたらす聖母は、我が国にいまします御一人のみ。
偽りの聖母など、この世に二人は要らぬ。
放っておけば、我が国の聖母の価値、ひいては我がマリアーレの権威が地に堕ちるぞ!」
彼らにとって、聖母とは国の絶対的な象徴であり、最高権力そのもの。
獣人の国でぽっと出の女が「聖母」ともてはやされているなど、政治的にも宗教的にも、絶対に容認できない事態だったのだ。
「獣どもが、我が国の信仰を揺るがすために仕掛けた卑劣な欺瞞に違いありません。早急に芽を摘むべきです」
「うむ。ただちに我が国が誇る『異端審問官』、特級の刺客を獣人国へ派遣せよ。
その偽物の首を撥ね、我がマリアーレの正義を世界に知らしめるのだ!」
男たちが次々と美和の「救済(処刑)」を笑顔で決議していく。
その様子を、円卓のさらに奥、深い帳の向こうから静かに見つめる影があった。
豪奢な天蓋付きの椅子に腰掛け、白と金の神聖なドレスに身を包んだ、マリアーレ聖教国の【《《本物》》の聖母】。
彼女は、美和の容姿や行動が書かれた報告書を白く細い指先でなぞると、ふっと、憐れむようなため息を漏らした。
その美貌には、底の知れない冷徹さと、歪んだ選民思想が張り付いている。
「可哀想に……。獣たちの玩具にされ、哀れな妄想に取り憑かれてしまった狂人なのですね。
世界に二人、聖母はいりません。
……その濁った魂、私が直々に救って差し上げましょう」
「――な、なりませぬ!」
聖女の言葉に、円卓の枢機卿たちが血相を変えて立ち上がった。
「なにかしら? ワタクシの言葉を否定なさると?」
すう、と聖女の美しい瞳が細められ、冷ややかな視線が高官たちを射抜く。
それだけで、百戦錬磨の枢機卿たちの背中に冷や汗が伝わった。
「い、いえ、滅相もございません! 違います! 畏れ多くも我が国の至宝たる聖女様が、あのような異端のために直々に手を汚す必要などない、という意味にございます!」
「左様です! 穢れ多き獣の地へ聖女様を赴かせるなど、あってはならぬこと。偽物の処分など、我らの手足たる暗殺部隊に任せれば事足ります!」
必死に弁明する高官たちを見つめ、聖女はフッと満足げに口元を綻ばせた。
「……そうですね。ワタクシとしたことが、少々慈悲が過ぎました。では、あなたたちに任せます。その哀れな偽物に、本物の救済を届けてあげなさい」
彼女の冷たい声が響くと同時に、会議室の影から、禍々しい魔力を纏った暗殺部隊が音もなく跪いた。
マリアーレ聖教国の総力を挙げた「偽聖母排除(美和の暗殺)作戦」が、今、美和の全く知らないところで静かに幕を開けたのだった。
◇
一方その頃、獣人国の美和の自宅。
「よし! ルゥが買ってきてくれたお米で、今朝は鮭おにぎりだよー!」
「うぉぉぉ!我!我の手柄ぞ!して、おにぎりとは?まぁ、美和が作るのならなんでも良い!きっとうまかろう!」
人間国マリアーレが、国家の威信をかけて自分を暗殺しようと動き出したことなど1ミリも知らない美和は、炊きたてのご飯の匂いに目を輝かせるルゥと共に、楽しそうに塩を手に取るのだった。




