第38話:命がけの密偵活動のはずが、ハンバーグとプリンの誘惑に負けて黒龍の下僕(マスコット)になりました
ルゥは前足でガシッと、コハクが必死に書いていた『聖母監視報告書』を踏んづけた。
「おい、新参の泥棒狐! 我こそは美和とハルの第一の家族、黒龍ルゥぞ! 我のポジションを奪おうなどと、片腹痛いわ!」
ルゥが「これでも喰らえ!」と、ライターの火ほどの高密度な小さな炎を出して威嚇する。
ルゥから放たれる、本物の天災級の魔力。
命の危機を察したコハクは、生き残るために瞬時に判断した。
ポンッと煙を上げ、獣化を解いて人間の姿(人化)になる。
まだ幼さの残る、狐の耳と尻尾を生やした少年隠密――それがコハクの真の姿だった。
コハクはそのまま地面にゴロンと寝転がり、腹を見せる究極の服従ポーズをとった。
「わ、私を殺すことはオススメしません! 私はルゥ様の下僕になるべく参上致しました〜っ!」
(……本当は下僕になりに来たわけではない。
私は王命を帯びた誇り高き隠密。
しかし、背に腹は代えられません! 今はただ、この天災の機嫌を取るのです……っ!)
「ぬ? げぼく……だと?」
予想外の行動にルゥがピクリと眉を動かす。
コハクは必死に、涙目で自分の「利用価値(特典)」を捲し立てた。
「はい! 私を生かすとこんな特典が!
例えば、聖母(美和)様の機嫌が過敏に感じ取れます〜!
それに私は隠密に長けてます! 必要な情報も取ってこれます!
聖母様の好きなものも嫌いなものも! もちろん弱点なんかも調べますぅ〜!」
必死の命乞い。
しかし、ルゥの反応は冷ややかだった。
ルゥは冷たい眼差しで、チラリとコハクを見つめる。
「なに……? それは本当か?
だがなぁ……ん〜、美和の『好き』は遥斗ぞ。
調べなくても分かるしな……」
ルゥの瞳が、縦長にますます細くなっていく。
「それに、美和の『弱点』も遥斗ぞ……」
ゴゴゴゴゴ……と、周囲の空気が重く、冷たく歪んでいく。
それは、ゾッとするような圧倒的な威圧だった。
美和やハルの前で見せていた、あの「くちゃい」と泣いていた可愛い姿からは、とても想像も出来ないほどの本物の恐怖。
逆らえば一瞬で塵にされる。
コハクはガタガタと全身を激しく震わせた。
「……やっぱ消しとくか……?」
ルゥが低く、冷酷にそう呟いた瞬間。
ルゥの作り出した炎がフォンフォンと音を鳴らす。
いつ、落とされてもおかしくない状況。
コハクは自分の短い人生が、ここで幕を閉じるのだと確信した。
ぎゅっと目を瞑り、心の中で走馬灯のように両親の顔を思い浮かべる。
(短い人生でした……父様、母様、先立つ不幸をお許しください!
弱い者は消える運命なのです……コハクは弱い雄でした……。
コハクの分まで、どうか幼い弟達を、立派に強い雄や雌に育ててください……!)
迫り来る死の気配。
コハクが覚悟を決めた、まさにその時だった。
「あ、みーつけた! ルゥ、ここに居たの?」
緊張感の欠片もない、のんびりとした声が藪をかき分けて響いた。
その瞬間、空気が変わる。先程まであった高密度な炎もパッと塵となり消え失せる。
そこに現れたのは美和だった。
ひょっこりと顔を出し、ニコッと笑う。
「……あれ? お友達といたの?」
美和は、地面に寝転がって腹を見せている少年と、その前でエッヘンと浮いているルゥを交互に見つめた。
もちろん美和は、コハクが人化した姿を見るのはこれが初めてだ。
(き、狐耳っ……! フワフワの尻尾っ……!? ふわぁぁ〜〜〜〜かわゆいぃぃぃ!!!!!)
表情には出さなかったものの、美和の心臓はモフモフへの狂喜乱舞で激しく悶絶していた。
ショタ狐耳の破壊力、恐るべしである。
「ねぇ、良かったら、あなたもハンバーグ食べていく? ルゥのお友達でしょ?」
「なっ!? 美和っ! コヤツは友達などではない!それに 我のハンバーグっ……!」
「ルゥのもちゃんとあるわよ! しかもルゥのだけ特別にチーズ入りよ!」
「ち、ちーず入り……っ!?」
ルゥの瞳が輝く。
一方、コハクの脳内にも衝撃が走っていた。
(ハ、ハンバーグ……!?
先ほど食べたあの神の肉塊を、再び、しかも今度は堂々と食べられるのですか……!?)
ジュルリと涎が出そうになるコハク。
だがその真横から、ギロリとルゥの冷たい視線が突き刺さる。
『断れ。我が特権のチーズ入りハンバーグを前に、新参者がのうのうと飯を食うなど許さん』
という、無言の凄まじい圧力。
ハンバーグという魅惑的な誘惑と、黒龍の恐ろしい圧力を前に、コハクの脳内で激しい押し問答が始まる。
食いたい、しかし命が惜しい、でも食いたい――!
「あ、今日のデザートに、冷たくて甘〜いプリンもあるわよ?」
美和のトドメの一言に、コハクの防衛線は完全に陥落した。
「……っ! いただきます!!」
「ぬっ!? 貴様、我が圧力を無視するか!」
激怒しかけたルゥに対し、コハクは必死に声を潜めて、これでもかとルゥの耳元(?)でヒソヒソと囁いた。
「ル、ルゥ様……! 下僕記念に、私の分のデザート(ぷりん)をすべてルゥ様に捧げますぅ……っ!」
(プリンはいつか絶対食べたいけど、命が何より大事ですぅ!)
「む……?」
「はい! 私は心から黒龍様を尊敬しておりますから! 至高の存在!私がお慕い申するのはこの世でルゥ様だけです!」
「そ、そうか? そこまで言うなら……うむ、下僕の務め、褒めて遣わす!」
口元から垂れそうになったヨダレを、短い前足で慌ててゴシゴシと拭いながら、一瞬で機嫌を直す現金な黒龍。
そんな2匹の怪しいやり取りをじっと見つめていた美和は、ふと、あることに気づいて表情を消した。
「それにしても……」
美和の「主婦の目」が、じろりと2匹を捉える。
「2人とも、ものすっごく汚いわね……」
ルゥの体は相変わらず緑の苔がすこーし生えて野生の匂いがするし、コハクはここ数日間、密偵活動を続けていたせいで風呂に入れず薄汚れていた。
「はい、お風呂へご案内、2名様〜〜!!」
「ぬあぁぁ!? 引っ張るな! 我の威厳がーー!」
「こ、こーん……っ!?(た、助かったと思ったら、お風呂ですかー!?)」
こうして、主婦の圧倒的おかんパワーによって、まとめて新居のピカピカなお風呂場へと連行される2匹。
お風呂場では、すでにお湯を張って待っていたレオとビッツが笑顔(ニヤニヤ顔)で待っていた。
「おう、おかえりルゥ。知り合いか?」
「我の下僕ぞ!そして風呂は嫌だ!」
エッヘンと胸を張る黒龍。
「そうか、だがな観念しろ、二人とも。美和の言うことは絶対だからなー」
脱衣所で一斉に服を剥ぎ取られ(ルゥはそのまま)、お風呂場へ投入される黒龍と子狐。
美和はレオとビッツに二人を任せさっさと引っ込む。
「二人とも、その子たちをよろしくね〜」
美和の言葉に反応するように、容赦なく泡立てたモコモコのシャンプーが、2人の頭に容赦なく乗せられる。
「貴様ら、我が頭に何を乗せるかー! 目にしみる! 目にしみるぞぉ!」
「……暴れるな。ハンバーグ、食えなくなるぞ」
「む……それは困る!」
「あわわ……っ! 密偵の視界が……!」
大きな手でコハクの頭を優しく、かつ的確に揉み洗いしていくのはレオだった。
無駄のない動きで、驚くほど手際よく泡立て、流していく。
最初は緊張でガチガチになっていたコハクだったが、レオの絶妙な指圧マッサージと温かいお湯の心地よさに、徐々に「ほへぇ〜……」と体の力が抜けていく。
「……すごく洗うのが上手ですね……」
トロンとした目で呟いたコハクに、レオは何も言わず、ただふっと懐かしそうに目を細めてコハクの頭を大きくなでた。
代わりに、隣の浴槽でルゥの体を流していたビッツが、ニヤニヤしながら口を開く。
「だろ? レオさんは口数少ないけど、下に弟が5人もいるからな。
俺たち犬(獣人)だからな。沢山産まれるんだよ。ちっこい弟どもを、毎日レオさんがこうやってお風呂に入れて洗ってやってたんだ。
だからちびっ子の扱いだけはプロなんだよなー」
「…………フン」
ビッツにバラされて、レオはわずかにぶっきらぼうに鼻を鳴らす。
だが、コハクやルゥを扱うその手つきは、どこまでも手慣れていて温かく、優しかった。
無言のまま、自分を優しく洗ってくれるレオの手つきに、コハクの耳がピコピコと嬉しそうに跳ねる。
「……まぁ、この温い湯は、悪くはないな。あとでチーズ入りハンバーグと、こ奴のプリンが待っておるしな」
「……極楽です……(ルゥ様の下僕、意外と悪くないかもしれません。レオ様も、不器用ですがとてもお優しいですし……)」
湯船に並んでプカプカと浮かびながら、いつの間にか「美和の胃袋」を中心に、奇妙な主従関係(?)が結ばれつつある黒龍と子狐コハク。
こうして、新居での初めてのイベントは、まさかの「マスコット合同お洗濯大作戦」となるのだった。
(なお、その様子をお風呂場の窓の外から覗き見ようとして、ビッツに首根っこを掴まれた狐族の先輩隠密がいたが、それはまた別の報告書のお話である。)




