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戦えない母は赤ちゃん抱いて異世界にいた  作者: くじら


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第36話:我が家の黒龍(※苔生し)の家出と、お隣さん




狐族の若き密偵――子狐が王宮へと送る『聖母監視報告書』の数は、この数日間で早くも数十枚に達していた。


【監視報告:第12報】

 対象(主婦)は本日も街のパン屋を襲撃(※普通に購入)。その際、店主の犬獣人の尻尾をじっと凝視しておりました。精神攻撃の一種か、あるいは新たな兵器の素材として獣人の毛皮を見定めている可能性あり。要警戒。


【監視報告:第27報】

 対象の作った『ぷりん』なる黄色い未知の兵器を、お裾分けされた宿の女将が「美味すぎて死ぬ」と発言。ついに我が国にも犠牲者が。……なお、その残った匂いがあまりにも甘美で、我が鼻腔を激しく破壊しております。……一切れだけでいいから、余ったやつを私に処分させてほしい。


【監視報告:第43報】

 ……本日も対象の飯が美味そうです。もう、ただそれだけです。私はなぜ木の上で干し肉を齧っているのでしょうか。早く接触して懐柔(※おねだり)すべきではないでしょうか。王よ、ご決断を。



 そんな風に、徐々に私情と食欲がダダ漏れになっていく子狐スパイの涙ぐましい努力を知ってか知らずか。


 美和たちが国境の街の宿屋に滞在して、3日が経とうとしていた。


「よしっ! お出かけの準備完了!」


 荷物をまとめ、エプロンを外した美和が、腕の中で大人しくしている遥斗を抱き直す。


「ずっと宿屋暮らしっていうのもいけないもんね。やっぱり、ちゃんと落ち着けるお家を探さなきゃ!」


 前向きに微笑む美和。


だが、その言葉を聞いたレオとビッツの表情は、どこか硬かった。


 二人はお互いに視線を交わし、少し不安気に、探るような目で美和を見つめる。


「……なぁ、美和」


 レオが、少し躊躇ためらうように口を開いた。


「この国――獣人国を、どう思う?」


 その声は、いつになく真剣で、どこか怯えているようにも見えた。


 レオたち獣人にとって、「人間」という種族はよく理解しているつもりだった。


 傲慢で、利己的で、自分たち獣人を「獣風情」だと見下し、蔑む存在。


人間国にいた奴らはみんな、自分たちこそが世界の至高であり、獣人族は足元にも及ばない劣等種だと本気で思い込んでいた。


 美和がそんな人種ではないことは、これまでの旅で痛いほど分かっている。


 だけど、この国を訪れた数少ない人間たちの「醜い振る舞い」を嫌というほど見てきたレオたちは、どうしても不安を拭いきれなかったのだ。


 人間の中にも、美和のような素晴らしい個体がいるとは知っている。


 知っているけれど、植え付けられた不安というものは、そう簡単には消えてくれない。


 だから、怖々(こわごわ)ながらも、聞いてしまった。


「……この国? ……ん〜」


 美和は人差し指を顎に当て、小首を傾げる。


 その短い沈黙に、レオとビッツはゴクッ……と生唾を飲み込んだ。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。


「ん〜そうね〜……。その前に、ちょっと聞いていい? どう思うとは……この国に対してだけ?」


「あ……あぁ。


獣人に対してもだが、その、国全体の雰囲気というか、環境に対しても聞きたいんだ」


「あ〜、ごめん……」


 美和が眉を下げて謝った瞬間、レオの胸がヒヤリと冷たくなった。


(ごめん、とは……やはり謝るということは、あまり良い印象を持てなかったということか……!)


 ビッツも耳をピクピクと震わせ、ショックを隠せない。


「……っ、ごめんってなんだよ!」


 ビッツが思わず、少し尖った声を出す。


 美和だけは違うと思ってたのに。自分たちが期待しすぎてしまったのだろうか。


 一瞬、そんな重苦しい絶望が二人を支配しかけた――その時だった。


「いや、違うの! 変な意味じゃなくてさ!」


 ヘラリと気まずそうに笑い顔を上げた美和から、衝撃の一言が飛び出す。


「何も考えてなかった」


「……何も?」


「……それって、どういうことだ?」


 拍子抜けしたレオとビッツが、呆然と声を揃える。


美和は慌てて両手を振った。


「いや、何も考えてないっていう訳じゃないんだけど……何かを考えなきゃいけないの? 普通は?」


「いや、普通は、その……獣臭いとか」


「獣人は人間より劣るとかさ……」


「人間国より不便だとか、何も無いとか……色々あるだろ」


 自嘲気味に呟く二人に、美和は「えぇ?」と本気で心外そうな顔をした。


「臭い? 臭いの? 匂いがダメって言うなら、この国に到着する前の自分たちの方がよっぽど臭かったような気がするけど……」


 人間国の、あの薄暗くてジメジメした地下牢の、カビ臭い湿った匂い。


 そこから逃げ出してきた時の、土と埃と汗の匂い。どう考えても自分たちの方が大惨事だった。


「匂いか〜ん〜。強いて言うなら、ルゥには負けるんじゃない?」


「「なっ!?」」


「我か!? なぜ我がここで出てくるのだ!?」


 それまでベッドの隅で借りてきた猫(龍)のようにおとなしく聞いていた黒龍のルゥが、ガバッと顔を上げた。


 美和はフレンチトーストの残りの片付けをしながら、事も無げに言う。


「いや、だって……少し匂うよ? 肩に乗ってる時なんて、真横からダイレクトに来るけど結構臭いよ」


 レオとビッツはお互い顔を見合わせ、スンスンと鼻を鳴らした後、(……確かに)と深く頷き合った。


「ル〜、くちゃい!」


 そこに、美和の腕の中から容赦ない追い打ちが炸裂した。


 遥斗が、小さな人差し指と親指で自分の鼻をギューッとつまみ、もう片方の手をパタパタと振っている。


 それだけではない。


 天井を見上げれば、さっきまで楽しそうに浮遊していた精霊たちが、一斉に「うわっ」という顔をしてルゥから物理的な距離を取っていた。


「な!? 貴様ら……っ!!」


 涙目になりながら、ブルブルと震え出す手のひらサイズの黒い塊。


「我は! 我はっ……!!」


(確かに数千年あまり眠りこけており、水浴びどころか泥水の中に半分ほど浸かっておったが!!! この仕打ちはあんまりではないか!)


「確かに腹の所に、少しこけも生えてるし……! すこーし、ほんの少しだけ臭うやもしれんが……!


我は……我は酷く傷付いたぞぉぉぉ!」


 小さな身体を怒りと悲しみで限界まで震わせながら、バサッと健気に翼を広げる。


そして、結露防止に開け放たれていた窓から、勢いよく飛び立った。


「家出してやるぅぅぅ〜〜〜〜!!」


 ワンワンと泣きながら、空の彼方へと小さく消え行く元・災厄の黒龍。


「あ……家出しちゃった」


「た〜」


 遥斗が、バイバイとばかりに小さな手を振る。


 コホン、とわざとらしい咳払いをした美和は、未だに呆然としているレオたちに向き直った。


「ま、お腹空いたら帰ってくるでしょ」


 苦笑いしながらあっさりと流す美和。


レオとビッツは、もはやツッコミを入れる元気すら失いかけていた。


「で、話しは戻り、この国なんだけど……」


「あ、あぁ……」


「不満があります!」


 急に真剣な顔で拳を握りしめた美和に、二人の身体がピクッと強張る。


「なんで……なんでこの国の料理は『焼くだけ!』なの!?」


「「へ……?」」


 レオとビッツの口から、間抜けな声が漏れた。美和の主婦としてのパッションが爆発する。


「肉は焼くだけ! 野菜はそのまま食べる! どういうこと!? 辛うじて塩コショウはあるみたいだけど! ミツミツの実に限っては、子供も大人もストローみたいにチューチュー吸うだけ! 素材のポテンシャルを殺しすぎ! もったいない!!」


「あ、あぁ……(料理への不満か……)」


「あ、それ以外は何もありません! むしろ好感しかないよ!」


 ハキハキと言い切る美和。


「何あの街行く人たちのモフモフは!? あの人懐こいウェルカムな雰囲気は!!! 非常に住みやすそう! ここならハルくんものびのびと育てられそうだし。


定住するかどうかは分からないけど、暫くはここで過ごしたいな!


で、ちょこーとだけ、耳と尻尾でも触らせてもらえたらパーフェクトなんだけど……!」


 拳を握り締め、声を高くして言い放った美和。


 だが、ポカンと口を半開きにしながら自分を見つめている二匹の獣人には気づかない。


「……美和。耳と尻尾は、流石に初対面じゃムリだと思うぞ。獣人にとってかなりデリケートな部位だからな」


「えぇ〜……。やっぱりそうなのね……」


 レオの冷静な指摘に、ガックリと目に見えて肩を落とす美和。


 その姿を見て、レオとビッツは、自分たちが一体何をそんなに不安がっていたのかが、急に少し馬鹿らしく思えてきた。


 人間がどうとか、差別がどうとか、彼女の「主婦目線」と「モフモフへの欲求」の前には、国家の壁すら存在しないのだ。


「ま、まぁ! 宿屋暮らしもそこそこにして、やっぱりこれからは拠点となるお住まいが欲しいなぁ〜、とかは考えてるの。畑とかついてたら最高よね」


 すぐに持ち直した美和の顔には、最初に魔の森の境界線で出会った時と、何一つ変わらないひだまりのような笑顔があった。


 レオとビッツは顔を見合わせ、胸の奥に灯った温かい安堵感に、小さく笑い合う。


「あ、何コソコソ笑ってるの〜?」


「の〜?」


 ジト目で見てくる美和と遥斗に、二人は悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


「「いや、別に〜」」


「なぁ、美和。俺、美和の家の横に住みてぇな」


 ビッツがしっぽを大きく振りながら、甘えるように言った。


「私のお隣さん?」


「じゃ、俺はその隣でいい」


 レオまで当然のように便乗してくる。


(う〜ん、そうは言っても、そんな都合よく三軒隣り合わせの空き家なんて、簡単に見つかるかなぁ〜……)


 そんなことを思った美和だったが。




「簡単に見つかった……」


 数時間後。


ハハッと乾いた空笑いを浮かべる美和の目の前には、のどかなエリアに佇む、畑付きのこじまりとした可愛らしい小さな家があった。



この宿を営む豚獣人の夫婦に相談したところ、「あぁ、ウチの人(旦那さん)が管理してるいい物件があるよ!」と爆速で紹介されたのだ。


旦那さんと協力して宿を切り盛りしてる気の良い奥さんのオススメ物件は確かに美和好みの造りだった。



しかも、まるでセット売りのように全く同じ構造の似た様な家が三軒並んで空いていたのだ。


「「お隣さん、よろしく〜」」


 さっそく自分の家(右側)と自分の家(左側)の鍵を手に入れたビッツとレオが、嬉しそうに鍵をジャラジャラと言わせる。


「あ、俺、たまに(っていうか毎日)飯食いに来ていい?」


 早くも美和の手料理を狙って、ビッツが目を輝かせる。


「じゃ、俺も」


 当然のようにレオも頷いた。


 こうして、黒龍の家出という小さな(?)波乱はありつつも、美和たちの獣人国での新しい「お隣さんライフ」が幕を開ける。


 そしてその様子を、はるか遠くの木の上から


「(ほ、報告書の修正です……っ! 聖母一行、拠点を構えて完全にこの街に居座る構えです……! あと黒龍様が異臭を理由に放逐されました……恐ろしや……っ!)」と、涙目でノートに書き殴る子狐スパイの姿があるのだった。



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