第35話:『七大首長会議』の戦慄と、我が家の平和な朝食
――獣人国・中央王宮。
日の光すら遮られた重厚な円卓の間にて、この国の最高幹部が集う『七大首長会議』が緊急招集されていた。
円卓を囲むのは、犬、猫、鳥、蛇、狐、兎、熊――各部族の頂点に立つ7人の「長」。
普段は険悪な空気を漂わせる彼らだが、今日ばかりは全員が冷や汗を流し、一通の報告書を凝視していた。
「……以上が、国境を接する人間国、通称『ヴェルザード皇国』の現状にございます」
静寂を破り、報告書を読み上げたのは狐族の長であり、国家の流通を統括する財務総監だった。
その声は微かに震えている。
明るみに出た人間国の現状。
それは「崩壊」の二文字だった。
かつて美和たちが去ったという『魔の森』。
そこは今、精霊たちが完全に姿を消し、環境が激変。
以前とは比較にならないほど凶悪、かつ桁違いのレベルの魔物たちが巣食う「真の地獄」と化し、人間たちの防衛線は決壊寸前だという。
さらに、無理やり連れ去ろうと美和に手を挙げたヴェルザード皇国の王都は、激怒した黒龍によって蹂躙され、現在王都は半壊状態。
人間どもはプライドからそれを必死に隠蔽しているが、復旧作業は絶望的なまでに難航。
明日の命すら保証されない国からは、見限った民たちが大挙して逃げ出し、国家の体を成さなくなっているというのだ。
「ふん……。あの連中が腐りきってることは前からわかってた事だろう?」
傲慢な人間たちの自業自得な末路に、冷ややかな鼻笑いを漏らしたのは蛇族の長だった。
長い銀髪を揺らし、冷徹な縦長の瞳で報告書を一蹴する。
「身の程知らずに神の領域――龍や精霊に触れて自滅しただけだ。愚かで哀れな猿どもめ」
「他人事ではないぞ、蛇族の長よ」
狐族の総監が額の汗を拭いながら、さらに衝撃の事実を告げた。
「その、人間国を事実上たった一日で崩壊へと導いた元凶……通称『甘味の聖母』と呼ばれる人間の女が、現在、我が国の国境の街に滞在している。
しかも、我が国特産の『ミツミツの実』を、一日で市場から消滅させるという経済テロを早くも引き起こした。
……そういえば」
狐の総監は、チラリと円卓の一角に視線を向けた。
「犬族の長よ。その聖母の連れの中に、お主の倅が居るらしいじゃないか?」
その言葉に、他の長たちの視線が一斉に一人の男へと集まる。
犬族の長――レオの父親であり、茶髪に白髪がチラホラと混じった、いかにも百戦錬磨の風格を漂わせる老戦士だ。
じっとはめ込まれたその金色の瞳は、息子であるレオと全く同じ、鋭くも力強い光を放っている。
レオは本来、次期長となるはずだったが、その地位を拒否して自由な冒険者になる道を選び、父親である彼に勘当されたという経緯があった。
「……あぁ」
腕を組み、金色の瞳を鋭く細めて寡黙に返すレオの父親。
その顔は鉄仮面のように冷徹そのものだったが、その心の中は違った。
(二度と一族の敷居は跨がないなどと抜かしよって……あの馬鹿息子が。今度は国家転覆の危機を担いでおるのか……!)
と、不器用な親心で内心ハラハラと頭を抱えていた。
そんな重苦しい空気をぶち破ったのは、楽しいことが大好きな猫族の長と、お喋り好きの鳥族の長だった。
「もう一度食べたいにゃ〜」
「私も食べたわ! アレは絶品よ〜!」
昨日、お忍びで国境の街にカスタードを買いに行っていた二人が、会議中にもかかわらず勝手にワチャワチャと盛り上がり始める。
「そうニャそうニャ! 絶品ニャ! あんな美味いの作れるし、殺すのは反対ニャ!」
「やだ殺しだなんて物騒で怖いお話ね〜。でも、私も反対だわ〜」
「そうニャ反対だニャ! 排除するなら俺が囲いたいんだニャ!」
「あら、それはダメよ〜私が囲うんだから〜!甘味は私のモノよ〜」
「おい、猫と鳥、うるせぇ!!!」
大真面目な会議で美和、スイーツの奪い合いを始めた二人に、熊族の長がガシャーン!と机を叩いて怒鳴り散らす。
その時だった。
「ふふ、みんな仲良くして。机がかわいそうだよ」
鈴の鳴るような、穏やかで優しい声が響いた。
声の主は、円卓の最奥――ひときわ大きな王座にちょこんと腰掛けている、真っ白な毛並みをした小柄、掌より少し大きい位のそれはそれは小さなネズミだった。
獣人国において、ネズミ族は最も小さく、最も非力な底辺の種族。
赤い瞳をパチパチとさせ、小さな両手で器用に温かいお茶の入った湯呑みを持っているその姿は、一見すると何の害もない、か弱く愛らしい小動物にしか見えない――。
――だが、その場にいた7人の「長」たちの動きが、一瞬で完全に凍りついた。
熊族の長は叩いた拳を乗せたまま冷や汗を流し、猫も鳥も蛇も、本能的な恐怖に全身の毛を逆立たせて息を呑む。
見た目に騙されてはならない。
この白いネズミに勝ろうと思ったら、今この場にいる大陸最高峰の戦士である「7人の長」が、全員命懸けで束になってかかっても勝てるか分からない。
それほどまでに理不尽な、この国最強の『王』なのだ。
「ヴェルザードというお国は、ずいぶんと乱暴なことをしたんだねぇ」
王はふぅ、と湯呑みのお茶をすすり、おっとりと微笑む。
「でも、我が国はそんな野蛮なことはしないよ。……ねぇ、狐の総監」
「は、ははっ……!」
「その美和という人間のお嬢さんが、どうしてここへ来たのか。
敵になりうるのか、目的は何なのか。
……彼女の趣味嗜好、性格に至るまで、すべてを『優しく』調べておくれ。
下手をして国が滅んだら、僕、とっても悲しいからね」
穏やかな微笑みの裏にある、底知れない圧。
長たちは平伏し、狐の総監は喉を鳴らして「すぐに手練れの密偵を放ちます!」と頭を下げたのだった。
――さて。
そんな超大真面目な国家防衛計画が進行しているとは、夢にも思わない国境の街の宿屋。
「くっ……情けない。まさか、たかがスプーンを振っただけで、俺としたことが……」
犬族の最高峰であるはずのレオが、ベッドの上でバキバキに筋肉痛になった右腕を抱えてプルプルと震えていた。
そこへ、エプロン姿の美和が、ご機嫌な様子で遥斗を抱っこしてやってくる。
「あ、レオ、おはよう! ……って、やっぱり筋肉痛になっちゃった?」
(これは早めに泡立て器を用意してあげないとダメかも……)
美和が内心でそんなことを思っているとも知らず、レオは引きつった顔で言い張る。
「……いや、これはただの軽いストレッチだ」
必死にポーカーフェイスを維持しようとするレオの額からは、冷や汗が流れている。
美和は「はいはい、無茶させちゃってごめんね」と苦笑しながら、現地調達した薬草で作った自家製のハーブ湿布を、レオの逞しい右腕にペタペタと貼ってあげる。
「ハル、うにゃー!」
遥斗は美和の腕の中で、お腹が空いたとばかりに短足をバタバタとさせている。
鍋の横では、昨日白目を剥いて悶絶していたはずの手乗りルゥがすでに復活し、朝食の周りを「我の分は! 我の分はどこだハルよ!」と飛び回っていた。
それを遥斗が短い手で「めっ!」と叩き落とす、いつも通りの治安の低い朝食風景。
今日の朝食は、昨日の残りのカスタードとミツミツの実をふんだんに使った、ふわふわの『特製フレンチトースト風サンド』だ。
「……んむっ」
小さな口でもぐもぐとフレンチトーストを味わった遥斗の身体から、ぽわぽわぽわっ……と純粋な幸福のオーラが溢れ出す。
すると、宿の部屋のあちこちから、光の粒を纏った小さな精霊たちが一斉に姿を現した。
それもいつもの光景になりつつあり、誰も驚かない。
「あーーー!! キャハハハッ!!」
遥斗が大はしゃぎすると、精霊たちも「おいしいね!」「わーい!」とばかりに遥斗の周りをくるくると飛び回り、部屋の中でお祭り騒ぎを始める。
人間国を地獄に変えた張本人(赤ん坊)と、王都を半壊させた黒龍が、ただの主婦が作った甘味を前に、精霊たちと一緒になってピカピカと平和に遊んでいる。
「ふふ、やっぱり美味しいもの食べると元気になるわね。よし、今日は市場で別の食材も探してみようかしら!」
腰に手を当てて、主婦の笑顔を見せる美和。
そんな彼女たちの部屋の窓の外、はるか遠くの木の上から、小さな体を目一杯に震わせながら望遠鏡を覗き込む影があった。
それは、王宮から派遣された狐族の若き密偵――もふもふの耳をぺたんと寝かせた「子狐」だった。
「(ひ、報告書の通りです……っ! 赤ん坊の一言で上位精霊が群がり、黒龍を小突き回しています……! そしてあの女、今度は別の食材(この街)を狙うと笑っています……! なんという恐るべき精神力、我が国の命運は、あの主婦の機嫌一つにかかっています……っ!)」
一生懸命にノートに『主婦、次の破壊対象を選定中』と涙目でメモする健気な子狐スパイ。
だがその時、風に乗って、部屋の窓から信じられないほど甘く香ばしい匂いが漂ってきた。
じゅわっとバターが染み込んだフレンチトーストと、極上のミツミツの実の甘い香りだ。
「(くぅぅ……な、何ですかこの犯罪的な匂いは……! 外側はカリッとしてるのに中はふわふわで、カスタードがとろっと溢れて、すっごく、すっごく美味しそう……! よだれが止まりません……っ)」
お腹をグゥと鳴らしながら、子狐は無意識のうちにノートへ『今朝の兵器(朝食)はフレンチトースト。見た目も匂いもあまりに魅惑的で、一切れの破壊力が高すぎる。正直食べたい』と書いてしまう。
「はっ!? こ、これは私事で書かなくていいことです……っ!!」
ハッと我に返った子狐は、真っ赤になって慌ててその部分をぐりぐりと激しく黒塗りにした。
王宮の最強の王と長たちが大真面目に警戒する中、無自覚な主婦一行による、究極の「勘違い観察日記(ときどき飯テロ)」が今、静かに幕を開けるのだった。
最後まで読んでくれてありがとうございます!!!
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