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戦えない母は赤ちゃん抱いて異世界にいた  作者: くじら


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第34話:悲報】おあずけを食らった獣人国、主婦のこだわりに咽び泣く

少し長いです。




宿を確保した美和の一行は、そのまま宿屋の厨房を「物理的に」占拠していた。


――といっても、宿自体は簡単に見つかったのだ。


 美和たちが菓子作りのために場所を募った瞬間、凄まじい怒号が飛び交った。


「だったら俺の店に泊まってくれ! 俺ん家は宿屋だ! 甘み作りで厨房もタダで貸す! だから頼む、俺の店でそのお菓子を作ってくれぇぇ!」


「いいや、俺の食堂の厨房を貸す! 甘味は俺の物だぁ!」


「甘味は渡さないニャ! 私の家のキッチンを使うニャよ!」


 人混みを割って必死の形相で飛び出してきたのは、丸々と太った豚の獣人と、立派な角を持つ牛の獣人、そして敏捷そうな猫の獣人だった。


全員が鼻をフガフガと興奮で鳴らしながら、よだれを垂らして猛烈にアピールしてくる。



 このチャンスを逃せば一生甘味にありつけないと、本能で察したのだろう。


誰もが譲れないと、現場は一触即発の緊迫した状況に陥った。


「絶対、俺の食堂が良い! 甘味は俺が一番に食べるんだ!」


「豚と牛は黙っとけニャ! こんな面白いことは見逃せニャいニャ!」


 こうして始まった、壮絶な美和争奪戦。


 しかし、一向に決着がつかない様子を見かねた美和が、ある提案を投げかけた。



それは……



「ジャンケン! ……ポンッ!」


 そう、まさかのジャンケンによる一発決着である。


 そして、見事に勝利を勝ち取ったのは――。


「ぶもぉぉぉ! よっしゃ〜! やった! やったぞ! 俺が勝ったぁ!」


 鼻息ならぬ豚息とんそくを荒くした、豚の獣人だった。


 美和たち一行はというと、(あ、あっさり宿が決まって助かった〜)と心の中でホッと胸を撫で下ろしている。


「……ちょうどいい。宿を探す手間が省けたな。よし、お前の店へ案内しろ」


 レオがそう告げた瞬間、豚のオヤジは「アイアイサー!」とばかりに自慢の歓喜の雄叫びを上げ、一行を宿へと全力で先導したのだった。


 ちなみに、勝負に負けた残りの二匹が、その場で生けるしかばねとなり、激しく意気消沈していたのは言うまでもない。


 そして現在。


 宿の厨房で、美和はエプロンを身に纏い、いそいそと動き回っていた。


 その美和の姿を一瞬たりとも見逃すまいと、窓の外、そして屋根の上を、お菓子の完成を待ち侘びる獣人たちの無数の「光る眼(瞳孔ガン開き)」がギチギチに埋め尽くしている。


「おい、押すニャ!」


「甘い匂いがしてきたわぉん!」


「お前ら窓に近づくな! 美和さんの仕事の邪魔だ!」


 ビッツが窓枠にしがみついて怒鳴り散らし、レオがその後ろで腕を組んで威圧感を放つことで、なんとか暴動の一歩手前で防衛線を死守している状態だった。


 そんな厳戒態勢の厨房で、美和は市場で買った「白い蜜を垂らす植物」を前に、深く、深く、唸っていた。


「……うーん。だけど、このままじゃ使えないわね」


 トロリとした甘い蜜。


だが、そのまま舐めると舌に触れるザラザラ感と、何より独特な「草の匂いとエグみ(雑味)」が残るのだ。


 ザラザラ感は布で何度も丁寧にすことでなんとか解消した。しかし、問題はここからだった。


「くっ……! 火を通しても、レモンっぽいやつ(現地調達の酸味果汁)を入れても、雑味が取れない! このままじゃカスタードなんて作れないわ!」


 試行錯誤すること実に三時間。


 美和が落胆して悔しげに声を上げた瞬間、窓の外で聞き耳を立てていた獣人たちが、


「そんなぁぁぁ!」


「作れないってどういうことニャー!?」


 と一斉に慌てふためき、中にはショックでその場に項垂れる者まで現れた。


「美和さん、ちょっと味見させてくれ!」


 しびれを切らしたビッツが、漉した蜜をペロッと舐める。


その瞬間、彼の犬耳がピンと直立した。


「……美味いっ!!! え、めちゃくちゃ美味いぞこれ! これじゃダメなのか!?」


「どれ、俺にも……」とレオも指先につけて舐める。


「確かに……美味いな。これのどこがダメなのか全く分からないんだが」


 それもそのはず、獣人国においてこの植物は「そのままチューチューと吸って味わう」のが当たり前。


彼らにとって、美和が「雑味」と呼ぶ草の匂いは、ただのデフォルト仕様だったのだ。


 だが、日本の洗練されたスイーツの味を知る美和は、断固として首を横に振った。


「ダメよ! カスタードは卵とミルクの濃厚なコクを楽しむものなの!


この青臭さが残ってたら、ただの甘いカスタード風の『草』よ! 私は絶対に妥協しない!」


 主婦の謎のこだわりに、レオとビッツは「プロの職人か……?」と戦慄する。


「お、おい、美和。これ以上の足止めは、外の獣たちの暴動を招きかねん。何か代わりになるものは……」


「あ、泡立て器がない……」


「あわだてき?」


 美和は自分の頭を抱えた。


そう、カスタードを滑らかに仕上げるための肝心の調理器具がないのだ。


美和はスプーンを二本束ねると、レオの前に突き出した。


「レオ! これを持って、これで鍋の中身を超高速で混ぜて!」


「は? 俺がか?」


「そう! レオの筋肉があればいけるはず! ダマにならないように、全力の超高速で攪拌かくはんしてほしいの!」


「おい、無茶を言うな……っ、こうか!?」


 レオが渋々スプーンを握り、腕を動かした瞬間、ブンッ!と風が鳴った。


犬族の驚異的な筋力とスピードにより、レオの手元が残像になる。


「すごーい! レオ、そのままキープよ!」


「あうー! ぶぅ!」


 その横では、カスタードの甘い匂いに耐えきれなくなった手乗りルゥが「我にも舐めさせよ!」と鍋にダイブしようとしていた。


それを、美和の胸元にいた遥斗が、短い手でベシッ!!と的確に叩き落とす。


「ふぎゃっ!? な、何をするかハルよ!」


「やっ! めっ!むむむぅ!」


 手乗り龍のつまみ食いを赤ん坊が叩き落とすという、あまりにも治安の低い「ちびっこ防衛線」が鍋の横で構築されていた。


 それからさらに一時間。


「レオさん頑張れっ!」


「うぉぉぉぉ!」


 レオの腕が筋肉痛で爆発する寸前、ついに「それ」は完成した。


 牛乳の代わりに獣人国特産の濃厚なミルクを使い、レオの超高速攪拌によって究極の滑らかさを得たカスタード。


そして、美和が最後の最後で見つけたハーブを煮詰めて加えたことで、あの頑固だった草の雑味は、爽やかなバニラに似た芳醇な香りに完全上書きされていた。


「……よし、完成! みんな、まずは味見してみて!」


 美和が小皿にすくい取った、出来立てのカスタード。


 最初に動いたのはビッツだった。ミツミツの実を少し切り分け、その上に黄金色のクリームをたっぷりと乗せて口に放り込む。


 その瞬間、ビッツの全身がビクンッと硬直した。


あまりの衝撃にガタガタと震えだし、カッと目を見開いたまま、おもむろにカスタードを掛けたミツミツの実を中庭の天に向かって高く掲げた。


「……先程の俺の言葉は前言撤回する……。


美味いなんてレベルじゃない、これこそ神の至高の蜜っ……!!」


「ちょっとビッツ、大袈裟ねぇ」


 美和が苦笑する横で、次はレオがスプーンですくって口に運んだ。


刹那、レオの手からスプーンが床に落ちる。


「っ……!? な、何だこれは……!」


 普段は冷静沈着なレオが、信じられないものを見たかのように自分の口元を押さえて愕然としている。


ミルクのコクと卵の旨味が、ミツミツの実の爽やかな酸味と絡み合い、脳の奥底を直接揺さぶってくるのだ。


あの青臭さは微塵もなく、ただただ暴力的なまでの幸福感が口いっぱいに広がっていく。


「我が国の『当たり前』が、これほどまでに化けるとは……。美和、お前は本当に何者なんだ……」


 あまりの美味さに悶絶し、完全に敗北を認めるレオ。


「ふん、大袈裟な奴らめ。人間が作ったお菓子など、この我を……はむっ」


 美和の肩から鍋に飛び降りようとしていた手乗りルゥが、美和の差し出した指先からカスタードをペロリと舐めた。


「…………っ!!」


 ビシィィィッ!と黒い小さな身体が凍りつく。


あまりの美味さに脳の処理が追いつかないのか、手乗り龍のまま白目を剥き、短い手足をピクピクと震わせ始めた。


「る、ルゥ!? 大丈夫!?」と美和が慌てるほど、黒龍の威厳は一瞬でとろけて消滅していた。


「あうー! ばぶ!」


 そんな大人(と龍)の悶絶っぷりをじっと見ていた遥斗が、早くよこせとばかりに美和の服を引っ張る。


美和はあらかじめ取り分けておいた、赤ちゃん用のカスタード(甘さ控えめミルク多め)に、ミツミツの実をトロトロにすり潰して混ぜた「特製離乳食」を遥斗の口へ運んだ。


「はい、ハルくんもどうぞ」


「……んむっ」


 小さな口でもぐもぐと味わった、次の瞬間。


 ぽわぽわぽわっ……!


 遥斗の身体から、目に見えるほどの純粋な「幸福のオーラ」が溢れ出した。


それに引き寄せられるように、厨房のあちこちから、光の粒を纏った小さな精霊たちが一斉に姿を現したのだ。


「あーーー!! うにゃぁぁぁ! キャハハハッ!!」


 遥斗が短足をバタバタとさせて大興奮すると、精霊たちも「わーい!」「おいしいね!」とばかりに遥斗の周りをくるくると飛び回り、一緒になって大はしゃぎし始める。


 あまりの嬉しさに遥斗が手を振ると、風の精霊がそよ風を起こしてカスタードの甘い香りをさらに周囲に拡散させ、光の精霊が遥斗の頭上でキラキラと小さな花火を打ち上げた。


 遥斗の感情に引っ張られて大お祭り騒ぎを起こす精霊たちに、レオとビッツは「精霊をこんな風に呼び寄せるなんて……!」と、カスタードとは別の意味で再び戦慄していた。


 当の本人はそんな大人たちの驚きなどどこ吹く風で、もっとくれとばかりに口をアングリと開けて待っている。


「ふふ、お気に召したようで良かったわ。……だけど、これだけの人数分を挟むイチゴ(ミツミツの実)が足りないわね」


 大鍋いっぱいにできた極上のカスタードを前に、美和は宿の窓から外を見下ろした。中庭にも、街道にも、お菓子を待つ獣人がすし詰め状態なのだ。


 美和は窓を開け、集まった獣人たちに向かって凛とした声を響かせた。


「みんな、聞いて! カスタードはできたけど、包む果物が足りないの!


だから、自分の分の『ミツミツの実』は自分で用意して持ってきて!


量が限られてるから【一人一個】よ! 持ってきた人から順番にカスタードを挟んであげる!」


 美和の通達が響き渡った、その瞬間。


「「「「ミツミツの実だぁぁぁぁぁぁーーー!!!(脱兎)」」」」


 ドゴゴゴゴゴ!と地響きを立てて、数百匹の獣人たちが一斉に動き出した。


ある者は市場へ全速力で駆け込み、ある者は野生のミツミツの実を収穫すべく街の外の森へと跳躍していく。


 あまりの勢いに、宿屋の周辺が一瞬で静まり返るほどの無駄のない集団行動だった。


 それからしばらくして。


 宿屋の中庭には、それはそれは奇妙な大行列ができていた。


 犬族も、猫族も、空から降りてきた鳥族も、全員が両手サイズほどもある巨大な「ミツミツの実」を大事そうに一個ずつ手に持ち、綺麗に一列に並んでいる。


「よし、順番ね」


記念すべき大行列の1番目を、血眼ちまなこになって死守していたのは――やはり、ジャンケンで見事な勝利を収めたあの宿屋の豚獣人だった。


 自分の店を貸し出した特権をフルに活かし、誰よりも早く巨大なミツミツの実を両手で大事そうに抱え、鼻をフガフガと限界まで鳴らしている。


「よく頑張ったわね、オヤジさん。


はい、特等席を貸してくれたお礼に、カスタード山盛りね!」


「ぶ、ぶもぉぉぉぉぉぉーーー!!!(大号泣)」


 美和がナイフで実を割り、黄金色のクリームをこれでもかと溢れんばかりに挟んで差し出すと、豚のオヤジは子供のように涙をボロボロと流した。


 そのまま大きな口を開けてガブリとかぶりついた瞬間、彼の脳内で何かが弾けた。


「美味い……美味すぎるぶもぉぉぉ! 生きてて良かったぁぁぁ!」


 あまりの美味さと幸福感に、巨体を震わせて中庭の地面に崩れ落ちる豚のオヤジ。


1番目から凄まじい熱量で狂喜乱舞するその姿に、後ろに続く獣人たちの期待とよだれは、すでに決壊寸前だった。


「はい、次の人どうぞー」


 美和が手際よく、彼らの差し出すミツミツの実をナイフで割り、黄金色のカスタードをたっぷりと挟んでいく。


 口に入れた瞬間、獣人たちの瞳孔がこれ以上ないほどガン開きになった。


「ん、んみゃぁぁぁぁーーー!!! なんだこれ、美味すぎるニャ!」


「ミツミツの実の酸味と、この濃厚なクリームが合わさり合って……わぉぉぉぉん!!」


 あちこちで至福の遠吠えが上がる中、列の警備をしていたレオが、一匹の猫族の襟首をガシッと掴み上げた。


「……おい」


「ニャ、ニャんだよぉ?」


 猫族は口の周りに思いっきりカスタードをつけたまま、しらばっくれている。


「……お前、これで何回目だ? さっきも並んでいただろ」


「気のせいニャ! 双子の兄貴だニャ!」


「嘘をつくな。お前、さっきビッツと小競り合いしてた奴だろ。……いいか、ルールは一人一個だ。次、ずる(・・)をした奴は、今後二度と美和の甘みにはありつけなくなるが?」


 レオが低音の魔王ばりの声で脅した瞬間、並び直そうとコソコソ動いていた周囲の獣人たちが「ヒッ……!」と一斉に直立不動になった。


「聖母の甘味が一生禁止」という宣告は、彼らにとって死刑宣告以上の絶望だったからだ。


ずるをしようとしていた不届き者たちは、涙目で列から這うように脱落していった。


 ちなみに、この日。


 甘味に飢えた獣人たちが本気を出しすぎた結果、獣人国から「ミツミツの実」が完全に品切れとなり、市場からは消え失せ、森からは根こそぎ収穫されて品薄状態になるという異例の事態に発展した。


 ただの主婦のこだわりが、獣人国の流通を一日で崩壊させた瞬間である。



――そして同日、獣人国・王宮。



「報告します! 本日、国境の街の市場、および近隣の森から『ミツミツの実』が完全に消失いたしました!」


「何だと!?」


 王宮の一室で、獣人国の国家流通を統括する財務総監の男(狐族の獣人)が、部下の報告にガタタッ!と椅子を鳴らして立ち上がった。


 ミツミツの実は、他国への重要な輸出品であり、国家の財政を支える貴重な特産品。それがわずか数時間で根こそぎ消えるなど、前代未聞の異常事態である。


「敵国の工作員による、我が国の経済を狙ったテロか!? それとも大規模な密輸組織の仕業か!?」


「い、いえ……! どうやら、国境を越えてやってきた人間の女……通称『甘味の聖母』が放った一言により、飢えた民衆が一斉に乱獲に走った模様で……!」


「にんげんの、おんな……?」


 我が耳を疑う総監。


 まさか一人の主婦の気まぐれ(妥協なきこだわり)が、国家の流通網を一日で叩き潰したなどと、誰が信じられるだろうか。


「……その女、ただ者ではないな。


我が国の経済を裏から牛耳るつもりか、あるいは……。


おい、すぐにその『聖母』とやらの素性を調べろ! 必要とあらば、王宮へ招待する!」


 こうして、美和の知らないところで、王宮の上層部が大真面目に大騒ぎを始めていた。


 そんな国家レベルの危機が進行しているとは露知らず。


 宿の中庭で、美和はすっかり空になった大鍋を前に、満足げに腰に手を当てていた。


「……美和、顔が怖いぞ。あと、王宮の方で何やら嫌な予感がするんだが……」


 野生の勘か、レオが微かな頭痛を覚えてこめかみを押さえる。


「気のせいよ! それより見て、これで全裸親父のトラウマは完全に消え去ったわ!」


 聖母ならぬ「本気モードの主婦」の完全勝利で、獣人国初日は幕を閉じるのだった。


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