第30話:聖水カレーの誘惑と、深夜の全裸ストリーキング
空島からゆっくりと地上へ降り立ち、一行が辿り着いたのは獣人国の国境近くにある静かな森だった。
時刻は深夜。
「このまま乗り込んだら、今度は空から巨大な危険物が降ってきたと勘違いされて戦争になるぞ。
……夜が明けてから、徒歩で入国しよう」
レオの提案に、美和も「そうね、ハルくんも眠そうだし」と頷いた。
というわけで、今夜はここでキャンプである。
焚き火の火がパチパチと爆ぜ、あたりには暴力的なまでに食欲をそそる「カレー」の香りが漂い始めた。
空島の聖水で研ぎ、ふっくら炊き上がった空島の白米。
そこに、美和が「黒ちゃん」の亜空間から取り出した日本製のカレールーを投入したのだ。
「お米が真っ白でピカピカ……。見てレオ、お米が立ってるわ!」
「……なぁ、美和。これ、本当に食べ物か? なんか茶色いし、ドロドロしてるぞ……」
どうやらカレーという食べ物はこちらの世界では「美味しそうな見た目」の範疇に入らないらしい。
レオとビッツは、未知の茶色い物体を前に、引き気味で困惑の表情を浮かべている。
しかし、立ち昇るスパイスの香りは、彼らの理性などとうに粉砕していた。
「見た目はアレだけど匂いは最高っ!う、美味そうだ……。俺、匂いだけでバケツ一杯いける気がするッス」
見た目に戸惑いながらも、喉仏を上下させて大量の涎を垂らすビッツ。
レオも「……毒ではないんだよな?」と言いつつ、ジュルリと溢れそうになった涎を袖で拭う。
そんな二人を横目に、美和はクスリと笑った。
意外と大人しく待っているのが黒龍だった。
巨体を縮め、カレーから視線を逸らさずガン見している。
ビッツが涎を垂らす中、ついに「至高の聖水カレー」が完成した。
「出来たっ!さぁ食べましょ!」
ふるふると震えながら最初の一口をソッと口へと運ぶレオとビッツ
その瞬間、レオとビッツの体がカッと熱くなった。
「……っ!? 体の芯から魔力が溢れてくる……!
いや、それよりこの、甘くて、辛くて、コクのあるドロドロは何なんだ!? 止まらん!」
「あー、うー!」
ハルくんも、エルフ直伝の聖水仕立て野菜リゾットをむちむちの口で頬張っている。
ビッツは涙を流しボソッと呟く。
「俺、生まれて来て良かったっ……」
そんな幸せな光景を、一匹(?)だけ、涎を滝のように流して見つめる巨大な影があった。
「我にも……我にも一口ぃぃ!」
「はいはい。黒龍さんもお疲れ様」
美和が鍋の残りを(鍋ごと)差し出すと、黒龍は火傷しそうな熱さも構わず、伝説の矜持を捨てて完食した。
「う……美味い。1000年生きて、これほど感動した飯は初めてだ……」
食後の満足感の中、満天の星空を見上げて美和がしれっと告げた。
「ふぅ、お腹いっぱい。さて黒龍さん、ここまで送ってくれて本当にありがとう! 助かったわ。もう夜も遅いし、お家へ帰って大丈夫よ!」
「…………は?」
黒龍が固まった。
「いや、だから。用事は済んだから、解散。お疲れ様でした!」
「待て待て待て! 帰る……?
美和、お前は何を言っているのだ!?
我に帰る場所などないぞ?
我はもう、家族であろう!?」
「ダメよ! そんな大きなペットは飼えません! 餌代がバカにならないわ! 一食でうちの家計が破産しちゃう!」
「エサダイ……ハサン……!?」
伝説の神獣が、経済観念という名の鋭い刃に膝をついた。
見捨てられまいと、黒龍が金色の瞳を必死に輝かせて胸を張る。
「分かった、ならば妥協案だ!
我は神獣、姿を自由に変えられる。
……フッ、驚くなよ?
我が人間の姿になれば、神々しいほどの美形にもなれるのだ。
お前の好みに合わせて顔を変えてやってもいい! なんなら、お前と夫婦を演じてやっても……」
「あ、結構です。そういうのは間に合ってまーす」
「…………えっ?」
美和の光速の即答に、黒龍が絶句した。
「美形とか夫婦とか、お腹膨れないし。
第一、私にはハルくんがいるから大丈夫!
ペットなら可だけど、あ、餌代がかからないサイズ限定ね!」
「美和、お前……相変わらず容赦ないな……」
レオが同情の視線を黒龍に向けるが、美和のガードは鉄壁だった。
「くっ……我が……神たる我の求婚(?)が秒で……! ……分かった! これならどうだ!」
眩い光と共に、巨大な漆黒の体が収縮していく。
煙が晴れると、そこにはハルくんが背中に乗って遊べるくらいの、艶やかな黒い鱗を持つ**「大型犬サイズ」**のちび龍がいた。
モフモフ感はないが、芸術品のような硬質で滑らかな鱗が月の光を反射している。
「これならば食費もかからん! 散歩もいらぬ! ハルの守護もできる! ……だから、捨てないでくれぇぇ!」
キュ〜ン、と鳴き真似までし始めた元・破壊神。
美和はその姿を見て、ようやく「うーん」と顎に手を当てた。
「あら、かっこいいじゃない。それなら許可!
でも、名前が必要ね。黒の精霊が『黒ちゃん』だから……そうね。あなたは……」
美和はちび龍の頭をポンと叩いた。
「『ルゥ』。カレーのルーから取って、今日からあなたは『ルゥ』よ。いいわね?」
「……ルゥ? 我の名はもっと、古代語で高潔な響きが……」
「嫌?結構可愛いと思うんだけどな?」
「……いや、いい。ルゥでいい。ルゥと呼べ。……気に入った」
結局、食欲と居場所に負けた伝説の龍改め、愛龍「ルゥ」。
そして夜は耽っていく。
深夜のキャンプ地では、ちび龍になったルゥが、ハルくんの隣で丸くなり、静かな寝息を立て始めた少し前。
カレーが出来上がったその頃。
国境を越えた獣人国内では、とある異変が起きていた。
「なんだ! この匂いは! 何処からだ、何処から漂ってくる!」
鼻の利く犬科の獣人たちが、一斉にソワソワと落ち着きを失い始めたのだ。
対照的に、それほど鼻の利かない鳥科の獣人たちは、冷めた目で彼らを見つめている。
「アイツら、何騒いでんだ?」
「さぁ? いつものことだろ。犬は毎日騒がしいからな」
だが、犬科の熱狂は収まらない。
とうとう四足歩行で地面に鼻を押し付け、匂いの源を辿ろうとする者まで現れた。
「クン……クンクン……こっちだ! こっちからするぞ!」
一匹が駆け出すと、楽しいことが大好きな猫科の獣人たちがそれに続く。
「にゃんだにゃんだ? 犬の奴ら、面白いもんを嗅ぎつけたのかにゃ?」
「ずるいにゃ! 俺も行くにゃよ!」
一人、また一人。
本能に突き動かされた獣人たちは、ついに人化を解き、獣の姿で夜の森を爆走し始めた。
「わふっ、わふぅ!(こっちだ! 近いぞ!)」
「わわぉん! わふぅ!(俺が一番乗りだぁ!)」
一方、美和たちのキャンプ地。カレーを食べ終え満足気味の一行。
「……来たな」
レオとビッツは、茂みの向こうから近づく無数の気配を察知し、即座に臨戦態勢を取っていた。だが敵意は感じない。
暗闇の中、無数の光る瞳が一行を凝視している。
「ここでキャンプ? あれは人間の女と……」
「仲間もいるぞ。おい、バカ、よく見ろ! 赤子……赤子もいるじゃねぇか!」
既に鍋の中は空っぽ。それにも関わらず残ったカレーの残り香に……
「そんなことよりこの匂い……もう我慢ならん! わぉぉぉん!」
ガサガサッ! と茂みを割り、一匹の大きな犬型の獣人が飛び出してきた。
そこへ、鍋を洗おうと立ち上がった美和。
「キャッ! 何っ!? ……あ、びっくりしたぁ! ワンちゃんだぁ!」
美和は最初こそ驚いたものの、目の前に現れたのが「モフモフの大きな犬」だと分かると、即座に瞳を輝かせて鍋を地面に置く。
勿論、撫でようと思って。
だが、レオとビッツが壁のように美和の前に立ちはだかる。
「あ、何!? レオ、ビッツ! 見えないってば! ワンちゃ〜ん!」
美和の視界から犬の姿が消える。
「誰かと思ったら……。……お前らか」
飛び出してきたのは、レオたちの知人、仲間の獣人だった。
即座に変身を解いて立ち上がる仲間の獣人。
「お前ら! レオにビッツじゃねぇか! ってか、なんだこの匂い! 吐け、白状しろ!」
「この鍋だ!ぐぁ!空っぽだ!くそぉ!」
「この底に少しあるのだけでも……」
思考が読めたレオが呆れた様に言葉を発する。
「お前ら……」
その時、美和が二人の隙間から、「ワンちゃ〜……」とワクワクしながら顔を出した。
しかし。
美和の視界に飛び込んできたのは、人化を解いたばかりの――つまり、一点の曇りもなく全裸(主に下半身)の男たちだった。
モフモフを撫でる気満々だった美和の手は、宙を舞ったまま凍りつく。
「……ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!! 変態っ!!」
幸せなカレーの余韻は一瞬で霧散し、般若のごとき形相で叫んだ美和は、そのまま白目を剥いてバタンと倒れ込んだ。
「「美和っ!」」
レオとビッツが慌てて美和に手を伸ばす。
深夜の森に、カレーの残り香と主婦の悲鳴、そして全裸の獣人が取り残された。
獣人国入国まで、あと数時間。前途多難すぎる幕開けであった。
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