第28話:死の亜空間は、大容量クローゼット
魔の森の奥深くにひっそりと佇むログハウス。
その見慣れた庭先へ、月明かりを浴びた巨大な影がゆっくりと舞い降りた。
王都を壊滅させた破壊神の一行を乗せた黒龍が、静かに、しかし地響きを立てて着地する。
美和は背中から飛び降りるなり、玄関へ向かう途中で振り返り、巨大な黒龍へビシッと指を向けた。
「あ、黒龍さん! そこにお座りしてて! 絶対に一歩も動いちゃダメよ!
丹精込めて育てた家庭菜園がめちゃくちゃになっちゃうから!」
「…………。我は、菜園のトマトを守るためのカカシか何かか……?」
数千年の時を生きた伝説の誇りが、トマト苗の安全の前に砕け散る。
だが、レオの腕の中で遥斗が「あー、うー!」と手を伸ばした瞬間、黒龍は「承知いたしました……」と震える声で答え、庭のど真ん中で完璧な「お座り」の姿勢をとった。
「……ビッツ。俺はやっぱり死んでるんじゃ……」
「……見なかったことにしてやりましょう、レオさん」
二人が現実逃避に走る中、美和は家の中でパッキングを開始した。
だが、お気に入りのラグや食器セットを前に、ふと手が止まる。
「……流石に、全部は持っていけないよねぇ……」
残念そうにボソッと呟いた、その時だった。
フワフワと一匹の闇の精霊が近づき、美和の目の前で漆黒の渦――『亜空間』を生成した。
「おぉ〜、何これ〜!」
驚くレオとビッツの目の前で、美和は何の躊躇もなく、その**『冥界へ直通しているはずの死の空間』**に頭をズボォッ! と突っ込んだ。
「「「なっ……!?」」」
絶句。黒の精霊、またの名を死の象徴、常世の番人。
触れれば魂を抜かれ、冥界へ引きずり込まれると畏れられる存在。
その闇に頭を突っ込む人間など、世界の歴史上、美和をおいて他にいない。
二人が驚愕で魂を飛ばしかけていると、亜空間から美和のこもった声が響いた。
「……真っ暗。何も見えないわね」
その言葉に、黒の精霊が「ハッ」としたように震えた。
パチン! と指を鳴らすような音が響いたかと思うと、死の闇の中にボフッ、ボフッ! と温かな光が灯り始める。
「おぉ〜! 明るくなったぁ〜! 凄い、真っ黒い子、凄いよ!」
美和に褒められ、黒の精霊がエッヘンと胸を張る。
だが、美和の次の呟きが、精霊の職人魂に火をつけた。
「だけど残念……右も左も上も下も無いから、荷物は置けないわ」
瞬間、黒の精霊から真っ黒な炎が立ち上がった。
バチバチッ! と空間が軋む音がしたかと思うと、亜空間は一瞬にして**「ログハウスが庭ごと丸々入るほどの、照明付き巨大倉庫」**へと早変わりした。
「すごい! 庭まで入る広さ! 黒ちゃん凄い!」
「……く、黒ちゃん?」
「そう! 黒いから黒ちゃん!」
ビッツの戦慄をよそに、美和は「よーし、入れるわよ!」と袖をまくった。
そこからは、まさに**『怪奇・引っ越し作業』**だった。
美和が重い家具を運ぼうとすると、どこからともなく現れた無数の黒い手が、まるで高級ホテルのベルボーイのような手つきで、タンスやソファを次々と亜空間へ運び込んでいく。
「あ、そこの棚はキッチン側に置いて! 黒ちゃん、その壺は割れ物だから丁寧にね」
「ギィ……(承知)」
かつて勇者の魂を握りつぶしたはずの黒い手が、美和の指示通り、お気に入りのティーカップを羽毛を扱うような慎重さで並べていく。
その時、庭で待機していた黒龍の肩が「ビクッ」と跳ねた。
(……黒ちゃん? 待て、まさか我のことか? 漆黒の龍たる我を、そんな、愛玩動物のような名で……!)
伝説の龍が屈辱に身を震わせたが、直後にハルくんと目が合い、再び石のように固まった。
レオは虚空を見つめながら呟いた。
「……ビッツ。あの黒い手、あれは冥界の門から這い出る『亡者の腕』じゃないのか?」
「そうですね……。それが今や、食器の梱包までこなしている。……レオさん、考えるのをやめましょう。俺たちの常識は王都に置いてきたんです」
数分後、家の中が空っぽになったところで美和が出てきた。
が、彼女は庭の家庭菜園を見て足を止めた。
「あ、そうだわ! 食べ頃の野菜を置いていったらもったいないじゃない!」
美和は素早い手つきでトマト、ナス、キュウリを次々ともぎ取っていく。
「はい、黒ちゃんこれもお願い! 傷つけないように冷蔵庫の方に入れといて!」
黒の精霊(通称・黒ちゃん)が野菜を大事そうに抱えて闇の中へ消えていく。
「よし! 本当に準備万端ね!」
エコバッグとマザーズバッグを肩にかけ、ムンッと鼻息荒く仁王立ちする美和。
その姿は、これから世界を救いに行く勇者というよりは、**『特売日のスーパーを制覇した最強の主婦』**のそれだった。
「あー、うー!」
遥斗が、出発の号令をかけるようにむちむちの拳を振り上げる。
「……承知いたしました。では、主とその母上よ。……いざ、獣人の国へ」
もはや反論する気力も失った黒龍が、静かに翼を広げる。
過積載ならぬ「冥界丸ごと格納」の伝説は、収穫され、葉だけが残された静かな菜園を残し、夜の帳へと力強く(?)飛び上がった。




