第27話:世界の主と飼えないペット
黒龍の広い背中の上。
吹き抜ける夜風は、先ほどまでの王都の喧騒を嘘のように遠ざけていた。
美和の腕の中では、世界を半壊させた張本人である遥斗が、今はただの無垢な赤ん坊として「すー……すー……」と幸せそうな寝息を立てている。
「……美和さん。助けてくれて、ありがとう」
沈黙を破ったのはレオだった。
治癒したばかりの足の感触を確かめるように、噛みしめるような声だ。
美和は慌てて首を振る。
「そんなの、私の台詞です! 二人とも、本当にありがとう。……それと、ごめんなさい。
私が『愛しき子』なんかに間違われたせいで、二人をあんな目に遭わせてしまって」
美和が深く頭を下げると、レオが苦笑交じりに言葉を被せた。
「だったら、謝るのは俺の方だ。俺がもう少し要領良く立ち回っていれば、あんたをあんな地下牢に落とすこともなかった」
「いや、それを言うなら俺の方こそ、やれたこともあったはずだ!」
ビッツまで参戦し、背中の上は「誰が一番悪いか」を競い合う奇妙な謝り合戦になってしまった。
見かねたレオが、ふっと表情を和らげて手を挙げる。
「よし、もう謝るのなしだ。俺たちはこうして生きている。それで十分だろう?」
「そうですね……!」
美和の顔に、いつもの穏やかな笑顔が戻る。
そんな温かな空気が流れた直後、レオがふと真剣な眼差しを美和に向けた。
「でも、これだけは伝えておかなければならない……美和さん、しっかり聞いてくれ」
美和は「はい?」と首を傾げる。
レオは腕の中の遥斗を指差し、重々しく告げた。
「遥斗は、ただの赤ん坊じゃない。……精霊たちが跪く本物の『愛しき子』は、そいつだ」
一瞬の沈黙。
美和はパチパチと瞬きをして、レオと、横で深く頷いているビッツを交互に見た。
「…………まさかぁ〜! レオさん、冗談が上手になりましたね? ハルくんはただの食いしん坊で甘えん坊な私の子供ですよ?」
「いや、その『まさか』なんだ。王都の魔法を霧散させ、騎士団を文字通り掃除したのは、その赤子の不機嫌一つだ」
レオの言葉に、美和は「うーん」と唸りながら遥斗のプクプクの頬っぺたをつつく。
「そうなんだ……。で?」
「『で?』じゃない!!」
ビッツが堪らず突っ込んだ。
「美和さん、世界がひっくり返るレベルの話をしてるんだって! 国家転覆も可能で、神の再来! そういう話なんだよ!」
のほほんと間延びした声で返す美和に、二人が頭を抱えようとした、その時。
『――全くだ。この女、もう少し危機感というものを教え込んでおけ』
「「「え?」」」
聞き慣れない、地響きのような低い声が背中に響いた。
美和はポカンとし、ビッツは「わかってるって、だからこうして……ん?」と首を捻る。
「おい、ビッツ。今、お前が喋ったのか?」
「い、いや俺じゃない……」
三人の視線がゆっくりと下へ、自分たちが乗っている「足場」へと向かう。
『何を驚いている。我を足場代わりにしているのはどこのどいつだ』
「…………トカゲさんが、喋ったぁぁぁぁ!?」
美和の絶叫が、夜空に木霊した。
それに対して、トカゲ呼ばわりされた黒龍は不機嫌に言い放つ。
「我はトカゲではない。我をそこら辺の爬虫類と一緒にするでない」
不機嫌極まりない地響きのような声。
黒龍は長い首を器用に捻り、背中の上にいる美和たちを、金色の巨大な二つの眼球でギロリと睨みつけてきた。
縦に狭まった瞳孔が、美和親子を鮮明に映し出す。
美和は恐怖するどころか、「わあ、私の背丈くらい大きな目! おまけにすっごい眼力!」などと呑気なことを考えていた。
「喋れるんかよ……」
ボソッと呟いたのは、腰が抜けかけているビッツだった。
「おい、犬っころ。正確に言えば喋っているのではない。この赤子の思考を媒介にして思念を飛ばしているのだ。
これは高度な技術でな? そこらの雑竜には真似できん精密さよ。
数千年の時を要する技を、我は数百年で会得した。何が凄いか聞きたいか? まあ、話してやらんこともない!
まずは魂の押韻を刻むところからだが、これが結構な手間で……」
滔々と自慢話を始めた黒龍。
どうやらこの伝説の龍、相当なお喋り好きらしい。
一人で盛り上がり始めた独演会に、レオが堪らず待ったをかけた。
「ちょっと待ってくれ!」
「むぐっ……我の話を最後まで聞かぬとは、この時代の獣人は礼儀というものを……仕方ないな。何秒待てばいい?」
「いや、秒数の話じゃない! 一遍に話されても頭が追いつかないんだ!」
「ふむ……やはり脳みそが小さいからか?」
脳の容積の問題ではないだろう。……とレオは喉まで出かかった反論を飲み込んだ。
そして黒龍に真っ向から向き直った。
「要点だけ! 手短に頼む!」
一瞬の沈黙。その後、黒龍は威厳たっぷりに言い放った。
「その赤子が我が主であり、我はそれに従っている。ということだ」
「……主?」
美和はキョトンと丸い目を瞬かせた。
そして次の瞬間、夜空を震わせるほどの絶叫を上げた。
「こんな大きなペットは飼えませんっ!!」
「我はペットなどではない! 断じて違うぞ!」
黒龍の反論も虚しく、事態はさらに混乱を極めていく。
主である遥斗を守るように、どこからともなく現れたおびただしい数の精霊が、黒龍の周囲を埋め尽くし始めたのだ。
「あ、精霊さんやめて! ハルくんが起きちゃう……」
「うおっ、また精霊の数が増えてやがる!」
「……待て、あれは……黒い精霊ではないか? 俺の見間違いか?」
レオが顔を引きつらせる。
アレは確かに死を司るはずの闇の精霊
その精霊が、赤子のよだれを拭こうと必死にハンカチのような形に透けている。
その事実に、レオは一瞬だけ遠い目を向けた。
(実はあの地下牢で俺は死んでおり、これは夢でも見てるのではないだろうか?)
「見間違いでも何でもないですよ! うわぁ、美和さん! なんで精霊を素手で掴んでるんですか!?」
「だって、この子がハルくんの鼻をツンツンして起こそうとするんだもん!」
「おい、我の話を聞けと言っているだろう!」
主従の証明、世界の命運、精霊の王――。
そんな仰々しい言葉たちは、美和の「安眠妨害への怒り」の前に、カサカサと音を立てて霧散していった。
そうこうしている内に、眼下には見慣れた魔の森の深部、ログハウスの屋根が見えてくる。
王都を壊滅させた破壊神の一行は、オムツと哺乳瓶を求めて、ようやく我が家へと帰還したのだった。




