79章 動揺の波
普段と変わらない繭愛を見た瞬間、梶樹の中の張り詰めたものがひとつ、崩れた気がした。
とてとて小走りでこちらへ向かってくる繭愛を、梶樹は腕を広げて迎え入れた。
「繭……!お前も無事だったんだな、よかった……」
「お兄さんと、いっしょにいたから。おにぃは、どうだったの?大きい虫、大丈夫だった?」
「あぁ、見たよ。でも……俺より、魅緒さんが…………」
本当なら無事であることに歓喜したいところだが、素直には喜べない。魅緒が受けた心の傷は、大きい。
自分の代わりになどという綺麗なものではなかったが、同じようなことを経験した梶樹には、人並み以上にその辛さが分かる。
「お姉さん、大丈夫……?」
心配そうに覗きこむ繭愛に、何かが魅緒を動かしたのか、彼女は繭愛を抱きとめ、すがりつくように掠れた声を絞った。当の繭愛は少し驚いたようで、わずかに瞳が揺れたが、魅緒の意志を汲み取ったらしく、されるがままになっている。
「ごめん……ごめん、あみゅたん……アタシ、ちょっと弱気になっちゃって……。ダメだよね、こんなんじゃ」
弱音を吐き出す魅緒の姿を見て、梶樹は懐かしい子ども時代の映画を見ているような、そんな感覚を得ていた。
嗚呼、そうだ。
これは、あのときの自分と同じ立ち位置なのだと、そう実感した。両親を亡くし、死の概念に改めて生々しく触れたとき、これほどにも恐ろしく理不尽なものなのかと知った。
誰とも知れない神サマを呪って、なにもかも放り投げて、もうどうなったってよかった。全てが意味のない、どうなってもいいと投げ出して、生きるを放棄しようとした。
あのとき、繭愛に出会っていなかったらと今でも思う。そして、考える。もし、自分が繭愛に特別な想いを持っていたとしても、それを押し付けるようなことはあってはならないと。いくら彼女がお互い様といってもこれだけは変わらないだろう。
自分はーー水影梶樹は、もう救われたのだから。だから、同じように、繭愛にも救いがなくてはいけないと思う。繭愛が受けた傷は、こんな程度じゃ消えないほどに深く刺さっているだろうからーー。
「ーーにぃ。ねぇ、おにぃ?」
はっとして意識が戻ると、目の前に繭愛の顔があった。魅緒のほうはというと、どうやら多少は落ち着いたようで、肩を上下してはいるもののうわずった声ではなくなっていた。
「……悪い、繭。また考え事で沼ったみたいだ」
どうも悪い癖のようだった。自分では意図していないのに、指摘されて初めて気づく。まぁ概ね癖とはそういうものなのだろうが、こうも周りが聞こえないものか。
「うぅん、気にしないで。それより、おにぃが考えてることを教えて。わたし、今のところで気になってることがあるの」
「さっきのゲームで、か?」
こくり、繭愛は頷く。
確かに、先程は今までのゲームとは大きく変わった展開が強いられたが、そのぶん不可解なことがそれまで以上に増えた。
それが、明確な死を目の当たりにして朧気になっている気がしてならない。
「アタシも。っていうか……アタシが見た相手側の人数が足りてないんだよね。カゲっちは途中から会ったけど、結局見かけたのはあの人だけだったし……」
海老蔵のことを思い出しているのか、魅緒の手がふるふると震えている。梶樹も同じように悲しみを分かち合いたいところなのだが、何故かそれが沸いてこなかった。
(廃れたかな、俺は)
人並みより倫理に関しての体感が鈍いことは、薄々感じとっていた。あの事件がもたらしたものは繭愛だけでなく、自分までも蝕んでいる。
別に人の死に対してなにも感じないわけではないが、魅音の動揺を津波とするなら、梶樹の場合は井戸の中に起こる小波程度といったところだろう。それほど起伏が抑えられているのはやはり、繭愛を"糧"としてきた反動なのか。
依存という形で残った気持ちの安定剤が、今こうして変異しているとするなら、受けなくてはいけない報いなのだろう。
(それでも……俺は……)




