縞田千尋の理想
「お、お願いです……何でもしますから、だから元の姿に……」
そう白衣の男の前で四つん這いになり、涙目になって懇願する少女の体には白い毛が満遍なく生え、頭の上には三角になった耳、そして尻の付け根からは太い尻尾が現れていた。
「残念ながら。君は今日、ここで、生まれ変わる運命だったんだよ」
「そ、そんみゃ、ミゃ、ミャア、ミャア」
瞳孔が引き伸ばされるように細くなった少女の口からはもう、人間に伝わる言葉は出せなくなっていた。
「全く……ラス1になった所でハズレを引いちゃったか。しかもネズミに騙されて酷い目にあった動物に。しかも種類としてはビミョーにかすってる動物に」
そう言って白衣の男は少女だった猫に背を向け、歩き始めた。
「ミ、ミャア、ミャア!」
置いてかれそうになっていることに気づいた猫は慌てて後を追った。しかし白衣の男は猫を完全に無視し、近くに停まっていた車に乗り込んで発進させた。
「ミャオォ……」
1人、いや1匹残された猫は、いつまでも車が去って行った方を見続けていた。
ーーー
刑事を誘拐してから一時は沈静化していた未解決事件、「連続婦女誘拐・失踪事件」の被害者は一昨日、また増えていた。
被害者の名前は猫田 明美。近くの高校に通う2年生だった。現場にはビリビリに破かれた制服と猫の毛、そして教科書類が詰め込まれたバッグが無造作に散乱していた。……その学校の夏休みが終わった翌日のことだった。
付近の防犯カメラに事件が発生したと見られる時間周辺の映像に私服姿に着替えた猫田の姿が見つからなかったため、この出来事は一応事件として取り扱われることとなった。
「……って、ことになってるんだって」
そう近藤 沙羅は一緒に塾から帰る友人達に、新聞記者である叔父から聞いた話を披露していた。
「えー、また犠牲者が出たんだ……」
「しかも今度は一周回って再びの高校生か」
「最近は大人の人ばっかりだったのにね」
「夏休みに入って、学生が夜遅くまで出歩かなくなったから、って噂もあるよ。ほらうちの学校だって3時にはもう下校命令が出てたでしょ? ……って、あ、近藤さん! バス来てるよ!」
「あ、本当だ! 「「千尋っち、また明日」ね」ー!」
「うん、また」
そんな近藤の友人の1人である縞田 千尋はそう言って、慌ててバスに飛び乗る近藤達を見送った。
「……さて、帰るか」
縞田はバスがターミナルを出たのを見届けると軽く体を伸ばしてさっさと改札口へと向かった。
縞田の家への最寄り駅は事件が多発している駅から3駅先の所にあるが、そこでも巡回中の警官の姿はあちこちに見られていた。おそらく横を歩いている背広姿のサラリーマンやOLの中にも私服警官が紛れているのだろう。
そこまで警戒していても、次々と犯行を行う犯人は何者なのだろう、と縞田はのん気に考えていた。
「……あ、あれ? 人が……」
ふと十字路に差し掛かった辺りで顔を上げると、先ほどまで要所要所にいた警官や家への帰路を急ぐ社会人達の姿はいつの間にか無くなっていた。
「き、気のせい、だよね。たまたま帰り道が違っただけで……何不安になってんだろう」
軽く息をついた縞田は再び家へと続く道を歩こうとした。しかし正面を向いて一歩踏み出した瞬間、何者かに後ろから肩を掴まれた。
「ん、んぐっ!?」
さらに口を塞がれた縞田はひっちゃかめっちゃかに暴れて拘束を解こうとした。しかし何者かによる腕は離れず、しっかりと縞田の体を固定していた。
「君、暴れないでくれるかな? 手元が狂っちゃうから」
縞田に囁いた声は男の物だった。と縞田が認識した瞬間、首に小さな痛みが走った。
「はい、力まない力まないー。痛い時間が長くなっちゃうからねー……うん、いい子だ」
男は薬を全て入れ終わった注射器を縞田の首から外すとくるくるとそれを手の中で回しながら縞田から手を離した。
「はぁ、はぁ、も、もしかして、あなたは、例の事件の犯人……?」
「おや、僕も有名になったもんだね。そうだよー」
その言葉を聞いた瞬間、縞田の額にじわりと汗が滲み出し、頬をつたい始めた。
(……どうしたんだろ、体が、熱い……?)
縞田は無意識のうちに、ポロシャツのボタンを全部外した。するとはだけた胸元から白い毛が見えたが、目の前の白衣の男に集中していた縞田はそれに気づかなかった。体勢を低くした縞田を見た白衣の男は意外そうな表情をした。
「ん? もしかして君、僕を捕まえるつもりかい?」
「当然。 それが一般市民の常識でしょ?」
「まぁねー。でも丸腰が武器を持っている相手に突っ込んで行くのは感心しないなぁ」
そう言って、男は注射器の先を縞田に向けた。
「注射器の、針、ぐらいで、誰が、怖がるもんか」
「ふふ、わかってないねぇ。こんな小さな針でも目に刺されば失明させるし、喉に深く刺せば充分な致命傷を与えられる。……心臓は肋骨があるから無理かな?」
白衣の男が考えている間も縞田の身体からは汗が滴り落ち、路面に黒いまだらもようを作っていた。
「はぁ、はぁっ……」
荒い息を繰り返す縞田の腕にやや茶色がかった黄色い毛が生え始める。服に毛がこすれる感覚に違和感を感じた縞田はようやく自分の右腕を見た。
「う、うわぁ! な、なにこれぇ!?」
自分の腕を二分するように生える黄色い毛と白い毛に悲鳴を上げた。そして慌てて自分の服を脱ぎ捨てると、それが体全体に広がっていることにも気づいた。
「お、これは……アタリかな? このままあの動物になってくれると嬉しいなぁ」
「あ、あの動物……?」
縞田の体を見た白衣の男が笑みを浮かべる。すると縞田の体に生えた黄色と白の毛を引き裂くように、黒い毛が生え始めた。
「そうそうその調子。そのまま立派な虎になってくれよー」
……縞田は自分の体が嫌いだった。
高校生なのに160にも満たない身長、華奢な手足、高い声、その全てが嫌いだった。
しかしそれが今、失われようとしている。そして強い物に生まれ変わろうとしている。
「そっか、そうなんだ……ふふ、ふふふふふ、あはははっ!」
縞田は嬉しそうに笑い出した。するとその声に反応するように縞田の体の変化は加速していった。
唯一身につけていた下着が膨れ上がるとビリビリと音をたてながら破れ落ち、そこから同じく黄白黒に彩られた尻尾が、掌が指を巻き込みながら膨れ上がると、真ん中辺りにピンク色の肉球が現れた。
「う、ああっ……」
頭を走る激痛に顔を顰める。すると口が裂け始め、上から伸びた犬歯が姿を見せた。さらに鼻が潰れたように平べったくなっていくと口を巻き込んで前に軽く突き出していった。
「ぐ、ぐ、ぐぉぉぉぉっ……!」
猛獣が唸るような声をあげながら縞田は手を路面に置く。すると外から見える鎖骨の膨らみが消え、腰骨のフォルムが変わり、脚の付け根の筋の張り方も変わって、4足歩行しかできない体になった。
そして縞田は頭の上に移った耳をピクピク動かしながら、金色に変色した目を白衣の男にむけた。
「ん? 何か言いたげだね?お礼でも言いたいのかな?」
すると縞田は一唸りすると口を大きく開け、白衣の男に飛びかかった。
この白衣の男が普通の人間だったら頭か首の骨を噛み砕かれて死ぬ。しかし幸か不幸か、この男は普通じゃなかった。
白衣の男は体勢を低くすると、縞田の顎に左手を当ててそのまま懐に入り込み、後ろに放り投げた。受け身の体勢を取らなかった縞田の体は轟音をたてながら路面に叩きつけられた。
「君、合気道、って知ってるかな?」
白衣の男は額に浮かんだ汗を袖で拭いながら言った。しかしその言葉に返答出来る生物は、この場にはいなかった。




