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人獣牢獄  作者: 臼杵 碧
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犬飼亜樹の絶望

「いいかげんにしてください! このままではクソコミによって警察の威厳が失墜するような報道をされてしまいます!」

 「連続婦女誘拐・失踪事件捜査本部」という看板が掲げられた一室から怒鳴り声が響いた。

 中にいた刑事達の視線を一身に浴びながら、長谷川はこの事件の陣頭指揮をとる中山(なかやま) 雄一《ゆういち》に詰め寄っていた。

「このわずか2ヶ月のうちに8人ですよ!? 『犯人に好き勝手に事件を起こされている』ともうすでに言われてしまっているんです!」

「わかっている。だからこそ事件が起きた付近の地区には異例、と言われるほど大多数の警備を敷いていることは知っているだろう」

「しかし! それにも関わらずこの事件の被害者は増え続ける一方ではありませんか! 週刊紙には『警察内に犯人がいるのでは』なんて書かれる始末ですよ!?」

「長谷川さん……それ以上は……」

 長谷川の怒鳴り声を聞きつけたのか、全く関係ない署員まで扉を開けてこの様子を見ている。このことで長谷川の評判が落ちてしまうことを防ぐために、なだめるつもりで犬飼は声をかけた。しかし長谷川の不機嫌度は増すばかりだった。

「あ? 本庁行きが決まっているエリートさんはこの無能野郎に肩を貸すってのか? そんななあなあで捜査してるから被害者が……」

「長谷川!」

 中山が大声をあげる。長谷川は舌打ちをすると扉の周りにいた署員達を押し退けながら部屋を出て行った。

「犬飼くん。あいつはあいつなりにこの事件に立ち向かおうとしているんだ。どうか大目に見てやって欲しい……」

「……それくらい、わかってます……」

 中山が沈痛な顔で犬飼に頭を下げる。犬飼はその様子を肩を震わせながら見ていた。


ーーー


 この事件は完全に暗礁に乗り上げていた。

 当局は最初2つ目の事件で見つかったヘビを取り扱っているペットショップや動物園を当たっていた。しかし4つ目の事件でそれが完全に無駄になってしまった。

 見つかったのはラッコの毛。レッドデータブックにも記載されているような動物を取り扱っているペットショップがあるわけがなく、さらに対象のヘビがいる動物園にラッコも飼っている所はなかった。

 これで犯人に対する手がかりは消滅してしまった。完全に八方塞がりになってしまった警察をあざ笑うかのように事件は続いた。

 5つ目の事件ではサラブレッド、6つ目の事件ではイノシシ、7つ目の事件ではブラウンラット……入手が簡単な所から難しい所まで、見事としか言いようが無いラインナップである。しかも5つ目は高校1年生、6つ目以降は社会人、と「高校2年」という共通点も木っ端微塵に壊され、残されている共通点は「女性」だけになった。これだけでは突破口も何もない。看板だけが書き直されるだけで、刑事達にとって苦痛以外の何物でもなかった。

 さらにこれに乗じて自分の衣服を路上に置き、犬とか猫の毛を周囲にばらまいて家出をする輩も現れ始め、捜査は大混乱に陥っていた。

 そのため、今事件と扱われている物も、実は狂言家出なのではないか? という説も出ていた。


「大丈夫ですか? 犬飼さん」

 犬飼が休憩室に座っていると同僚である椎名(しいな) 公平(こうへい)が缶コーヒー片手に声をかけていた。

「……大丈夫です」

「大丈夫、って顔には見えませんけどね。目が真っ赤っか」

 犬飼は目をゴシゴシと拭いて、無言で椎名の手から缶コーヒーをひったくった。

「余計なお世話です」

 犬飼は一週間前からこの椎名とコンビを組んでいた。長谷川が犬飼に対する嫉妬から色々と侮辱発言や軽視するようなことを繰り返していたことに対する措置だった。本来なら現場から外されたり、謹慎処分とかされるようなレベルだったらしいが、あまりにも手が足りなすぎるため見送られた……という噂も流れている。長谷川にも別の男の刑事がパートナーについたが、彼もかなり気苦労が絶えないようだ。

「……で、何の用ですか」

「いや、俺の考えを聞いて欲しいなー、と思って」

 そう言って椎名は脇に抱えていたファイルに入れていた紙を見せた。その紙を見た犬飼の顔はなんとも微妙な物になった。

「な、なんですかこれ……」

 見せられたのは狼男の伝承だとか日本の妖怪話だとかネコミミ娘だとか人間が獣になっていく様子が書かれているネット小説のコピーだった。

「何って、人間が獣になる伝承とかをまとめたんだけど」

「まさか、椎名さんはこれが現実に起きた、とか言いたいんですか?」

「そのまさかだよ」

 椎名は一つ断りを入れると、犬飼の横の椅子に座った。そしてファイルに入れていた紙を眺めながら話を始めた。

「今回の一連の事件では動物の毛が付近に落ちている。それこそハツカネズミや羊といった簡単な物からアミメニシキヘビにラッコといった入手困難な物まで揃っている。正直、全部を揃えるのは不可能だと思う。しかしそれを作れるのなら別の話になる」

「ま、まさか被害者はみんな動物に変えられた、って言いたいんですか」

「そのまさかだよ」

 そう言う椎名の顔から笑みは完全に消えていた。


ーーー


 椎名はその予想から犯人像まで考えていた。犯人は偏執狂の動物愛護者、かつ医学系か薬学系の学校を卒業または中退している人物。犯行理由は希少生物の種を存続させるため。女性を狙っているのは男だと子供を作ることが出来ないから。しかし薬は狙った動物に100%できるわけではない。恐らく犯人にとって成功と言えるのは4件目の事件だけ……。

「人が獣になる薬……。そんなのがこの世にあるわけが……」

 犬飼は綽然としない様子で帰路についていた。

 まるで荒唐無稽だが、話している椎名は大真面目だった。だからか、犬飼もそれを真っ向から否定することが出来なかった。それどころか納得もしてしまっていた。だからこそ、この椎名の考えをバッサリと斬れる方法をなんとかして思いつこうとしていた。

 そんなことを悶々と考えていたため、犬飼は前から近づいてくる男に気づかず、ぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい……」

 犬飼が慌てて謝ると男は飄々とした様子で言った。

「いえ、いいんですよ。……用事は済みましたから」

「え?」

 犬飼はその瞬間、右腕に痛みを感じた。見ると、男は手に握った注射器を犬飼の右腕に刺されており、中身の液体を入れていた。

「なっ!?」

 犬飼は慌てて腕を振りほどく。男の手から離れた注射器はくるくると宙を舞い、路上に落ちて粉々に砕け散った。

「あーあ、もったいない。でも薬は全部入れられたからいっか……」

「く、薬?」

 そう言った瞬間、犬飼は急に体のダルさを感じ始めた。

「やっぱり相手を動かなくさせるには首からの注射が1番だな。腕だと簡単に反撃しようとしてくるしー」

「あ、あなた、私に、何を……!?」

 風邪をひいている時のように、熱く、重くなっていく体をなんとかして手を膝に乗せて支えながら犬飼は男を睨みつけた。

「ん〜? 言わなくてももうすぐわかると思うよう? ほら、効き始めた」

 そう言って男はニヤニヤと笑みを浮かべながら犬飼の手を指差した。この時、犬飼の手は丸みを帯びた形になり、白い毛に覆われていた。

「〜〜〜!!?」

 変わり果てた自分の手を見た犬飼は声にならない悲鳴をあげるとその場に尻餅をついた。

「どうだい? 僕の研究成果は」

 そう男が言った瞬間、犬飼の脳裏に椎名の言葉が蘇った。

「そ、そんな、人が獣になる薬があるなんてそんなおかしなことが……」

「あるんだよねぇ、それが。この世は何が起こるから分からないから面白いんだよね」

 男は本当におかしそうに笑い始める。その様子を犬飼は呆然と見つめることしか出来なかった。

「あ、あっい……」

 あまりの熱さに、犬飼は舌を出して息をし始めた。すると口が引き裂け始め、鼻が前に伸び始めた。鼻の先が黒ずんでいくと、犬飼の頭の上半分は黒い毛に、下半分は白い毛に覆われ始めた。

「はっ、はっ、ううっ……」

 肩幅がみるみるうちに縮んで行き、その結果スーツとシャツがずれ落ちる。すると黒い毛に覆われた背中と白い毛に覆われた胸が露わになった。耳は三角形になると引っ張られたようにスポーツ刈りのようになった頭頂部へと移動していく。

(わ、私は、一体どうなっちゃうの……?)

 変わっていく自分の体に恐怖している犬飼をよそに、男は犬飼に首輪をつけて、服を脱がし始めた。

「わ、わにふるの!?」

 指が短くなった手は使えない、と判断した犬飼は咄嗟に男の右腕を軽く噛んだ。

「いった!」

 男はすぐに手を離し、腕を振って犬飼の拘束を解いた。

「全く……変体の邪魔になるから取ってあげようとしたのに……」

 男は懐から消毒薬と包帯を取り出すと血が滴り落ちている右腕の治療を始めた。犬飼はこの隙に逃げようと立ち上がった。

 すると履いていたズボンが下着と共にずり落ちた。上半身と同じように下半身も白と黒の毛に覆われていたが、逃げることに意識が集中していた犬飼はそれに気づかなかった。

「はっ、はっ、ほ、ほれへうっ!?」

 犬飼は近くの角を曲がろうとすると、頭が引っ張られ、息苦しさを感じた。条件反射で首を触ると先ほど男がつけていた首輪にリードがつけられていることに気づいた。

「全く……。逃げちゃダメじゃないか、犬のおまわりさん?」

 リードの先を左手首につけた男が歩いてくる。それを見た犬飼は逃げられないことを察し、崩れ落ちた。

「人間座りをしたシベリアンハスキーか……なかなか絵になるねぇ。くそ、携帯持ってくるんだった……」

 その言葉を聞いて涙目になった犬飼の足の間からはとどめとばかりに生えてきた白い尻尾が顔を出していた。

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