猪口真奈美の暴走
「……なんですかこれ」
今朝、突然会議室に呼び出されたあたしの前に置かれたのは赤点がいくつかついた地図と顔写真だった。
「なんですか、って見れば分かるでしょ? 最近ニュースを騒がしている『高校生連続誘拐事件』の発生場所と被害者一覧よ」
あたしを呼び出した張本人、猪口 真奈美先輩が地図をバンバン叩く。確かに言われてみれば交番の掲示板で見たことのある顔がちらほらあった。
「……で、これをどうしろと?」
「当然。この事件の犯人を私達が捕まえるのよ」
あたしは先輩が何を言ってるのかわからず、目を何度も瞬きした。
ーーー
「……全く、どいつもこいつも臆しちゃって」
私は誰もいなくなった会議室でタバコをふかした。私が現在在籍している「週刊アラウンド」は最近大きく部数を落としている。人々の活字離れも1つの原因ではあるが、記事よりもグラビア写真とかに特化し始めた上司の安易な選択が最大の要因だと思う。
上司はより有名なグラビアアイドルの写真を勝ち取ることで現状を打開しようとしている。私はその写真特化こそが今の低迷の原因なんだと、週刊誌を手に取る読者が求めているのはスクープなのだと、声を大にして訴えたかった。
しかし私のような平が何を言っても証拠とか資料とか無ければ流されるだけ。なので私はバカな上司にその事実を分からせるためには世間をにぎわす大きな事件の真相をどこよりも早く仕入れ、明かすことだと判断した。
しかし上司を怖がっているのか、その無能っぷりに毒されているのか、この思いを受け取ってくれる同期や後輩は全くいなかった。
「こうなったら私1人でやるしかないわね。あの無能集団の鼻を明かしてやるわ」
私は資料をカバンにしまうと、外出報告のために一度デスクへと向かった。
私が今回目をつけたのが3県にまたがって起きている「高校生連続誘拐事件」である。
この事件の共通点は「被害者は全員女子高校生」「着衣が現場に脱ぎ捨てられている」「その服の近くにヒト以外の動物の毛(鱗)が落ちている」「有力な証拠・証言が全く得られていない」「犯人からの要求が全くない」という物である。
「でも、みんなバラバラなのよね」
私は彼女らの出身地や出身校、習い事に事件現場などどこか共通した点はないか、と徹底的に調べたが、これといった共通点は見つからなかった。
「こーなると、無差別に手当たり次第襲ってる可能性が出てくるんだよな〜」
私がコーヒー片手に手帳を閉じると携帯が鳴った。開くと上司からのメールだった。
「ん〜? 『今外に出ているよね? それだったら帰り際に東方伯楽展の取材もついでにして欲しいんだけど』って……アホか」
来月、上野の博物館で「東方伯楽展」と題し、中国の前の前の前のさらに前ーの王朝で用いられていた装飾品や皿、武器などが展示される。その協賛には某テレビ局も名を連ねている。私達が取り扱わなくても勝手にそこが特番でも何でもやってくれるだろう。そこすら気づけないのが今の週刊アラウンドの病巣の深さを物語っているとも言える。私はため息をついて上司からのメールをゴミ箱へ叩き込んだ。
「完全無視完全無視。私はとにかくこの大物を仕留めないとね」
私は残っていたコーヒーを一気に飲み干して席を立った。
ーーー
私は唯一服が千切れてなかった4件目の事件にこそ手がかりがあると考え、その調査をすることにした。
この事件は服が千切れてないことに併せて、被害者である立石 海が素行不良な生徒だったことから、一部の評論家から「事件に乗じての家出ではないか」という意見も出ていた。
しかし現場に落ちていた動物の一部が「ラッコの毛」という珍しい物だったことが判明した瞬間、家出説は消滅した。
「むー、それにしても本当に情報無いわね……。こりゃ警察が手こずってるていうのも頷けるわ」
私はベンチに座り込み、ペンで頭を叩きながらつぶやいた。そもそもこの公園は見通し自体はいいが、住宅街から少し離れた場所にあり、人通りも少ない。目撃者が全然見つからないという情報も納得である。
「えーっと、事件現場は1と2が住宅街で、3・4が公園で5が竹林のそば……。じじここち……うん、違うよな単語にならない」
「何をしてるんですか?」
「ふわっ!?」
突然声をかけられ振り返ると、そこには白衣を羽織った男性が手帳を覗き込んでいた。
「あ、驚かせてすいません。さっきからブツブツつぶやいていたのでどうしたんだろうと……」
私は慌てて手帳をカバンに仕舞いながら答えた。
「あ、いや、実はここで起きた事件について調べているんです」
「あ、もしかしてラッコ事件ですか?」
「知ってるんですか!?」
事件の発生場所は報道規制がかけられているため、一般に明かされてない。つまりここでその情報を知っているのは警察と記者陣と目撃者だけである。見た目からこの男性は警察でも同業者でもないだろう。
「ええ、一応見てましたから」
「本当ですか!? どうかその時の様子を教えてもらいたいんですが!」
こんなチャンスを逃すわけにはいかない。私は男性に詰め寄った。
「わ、わかりました! 話しますから落ち着いてください!」
「ここで女の子が石を池に向かって投げてたんですね?」
「はい」
私は男性の案内に従って、事件現場を訪れていた。私は実際に石を掴んで池に投げ入れた。ポチャン、といい音がする。
「で、この後どうなったんですか?」
「あ、はい、それから後ろから男性が現れて……その子の首を掴んだんですよ、こうやって」
と男が言った瞬間、私の首すじに何か刺されたような痛みが走った。
「え?」
横目で首を見る。すると私の首に男性の左手に握られている注射器が突き刺さっていた。
「君は大きな勘違いを起こしている。この場所が事件現場だと知っているのは警察と報道陣と目撃者だけではない。あとは被害者と」
犯人だよ、と言って男性は注射器を引き抜いた。その瞬間私の体から力が抜けた。
(あ、あれ? なんで、体が、動かない……)
私が呆然としたままその場に崩れ落ちると、男性は面白そうに笑い出した。
「さぁ、ラッコのように関係ないやつにならないでくれよ?」
(か、関係ないって、何、って、あれ、私の腕、こんなに短かったっけ?)
変な音が鳴るごとに、私の体はおかしくなっていた。
全身からは茶褐色の毛が生え始め、腕が気のせいで済まされないほど短くなり、手が黒く染まり出していた。
「う、わ、私、もしかして、変な薬うたれて、動物にさせられてる?」
「おやおや、意外と冷静に分析できてるね。そうだよ。君は人間じゃなくなるんだ」
「ほ、ほんな……」
下顎が大きくなり、さらに歯の一部がさらに伸び、牙のようになっていく。そのせいか呂律が回らなくなっている。
「ふふふ、さすがは大人だね。自分の体が変わっていても動揺しない。こうだったら最初から大人を狙えば良かったよ」
「ほ、ほんな、な、なんでほんなこと」
「人間じゃなくなってても記者魂は消えず、か。感心するよ。でもそんな簡単に、犯人が動機を聞かれて答えると思うかい?」
私をバカにしてるような、笑い混じりの言葉。それが私の意識が途切れる前に、最後に聞いた男の言葉だった。