近づく終焉
「全く、あなたも強情ですね。ちゃんとした人間の食べ物だというのに」
後部座席から聞こえる荒い鼻息にむかって、そう言った白衣の男は押し返されたおにぎりを頬張った。
「ま、あの森にはリンゴが自生してる地域がありますし、ミミズなどの虫を食わざるを得ない状況になることはないでしょうから……と、安部さんからだ……」
助手席に乱雑に置いてあった携帯が鳴る。男はおにぎりを急いで飲み込み、通話ボタンを押した。
「はい、もしもし……。今ですか? 高速のPAで飯食べてます。はい、はい、そうです。一応ピースはまた埋まりました」
そう言って男は後ろを振り向く。
「今回ですか? 今回はこの計画を探っていた記者にしました。処女か? 大丈夫でしょう。あんな性格では男もよってこないでしょうし」
後部座席から抗議しているのか、怒ったような声が聞こえ始める。しかし男は気にせずに安部からの質問に答えた。
「どのくらい調べられてるか、ですか? ちょっと待ってください……ふむ、周辺住民への聞き込み、名前、動物の毛の種類、服の状態ですね。こちらが断定されるまでの情報はまだ掴んでないようですね。自分の名前も安部さんの名前も書かれてませんし」
後部座席から今度は歯ぎしりをしているのか、こすれるような音がする。
「ところで、安部さんは何の用事で……。はい、はい、ああ例の玉の件ですね。仕事を請け負ってくれる所が見つかりましたか。今までは博物館の奥に厳重に守られてましたが、今回の……何でしたっけ……『東方伯楽展』ですか? それのおかげで警備が甘くなりますからね」
男は嬉しそうに頷くと、急に真面目な顔になった。
「あの玉がなければこの計画は頓挫してしまいますからね。絶対にそのチームには成功してもらわないと……。はい、実績があるんですか……ほぉ、それなら心配しなくても良さそうです。ではこちらも4匹をさっさと確保したいと思います。はい、はい、では……」
電話を終えた男は先ほどからじっと見つめている視線にむかって笑いながら言った。
「ふふふ、せっかくの特ダネを記事に出来なくて悔しがってるのですか? でもこちらも捕まる気はさらさらないのでね……。ああ、そういえばあなたの調べには欠けてる点がありますよ」
男の突然の一言にフゴッ、と驚いたような声がする。男はその反応に満足した様子で言った。
「私たちは儀式を……いや、警察や世間が事件だと騒いでいますから「事件」と言い換えましょう、私たちは1……いや2件すでに他の事件を起こしていますから」
ーーー
「倉木ー、足元大丈夫か?」
「こ、これくらい……大丈夫……です!」
足音が聞こえなくなったので、振り返ると倉木は荒く息をして、汗をダラダラかきながらその場に踏ん張っていた。
今、俺たちが歩いているこの一角は木の根っことか岩がゴツゴツと地面から飛び出ており、抜けるのに俺のような男でも一苦労するような場所である。佐藤が散策からリタイアしたのもこれが原因だった。いくら体育会系とはいえ、倉木も女だ、この状態になるのは入る前から予想がついていた。
……確か馬は汗かきっぱなしだと体調悪くするんだよな、と黙って倉木の体を拭く。
「な!? 先輩何してるんですか!!」
思いっきり腹蹴られました。意識が飛びそうになったが懸命に踏みとどまる。
「い、いや、馬って、汗かきっぱなしだと、ダメって、聞いたことがあったから……」
痛みのせいか変な汗がダラダラと出てくる。そんな俺にむかって倉木は顔を真っ赤にさせながら言った。
「なら一言言ってから拭いてください! 突然触られたら誰でも驚きます!」
……そうですね。デリカシーがなさすぎました。
「……で、では、お身体を拭かさせていただいてもよろしいでしょうか? 倉木お嬢様」
「……言い方になんかトゲがありますけど……いいですよ」
「……すっかり暗くなりましたね」
「そうだな」
あの一帯を乗り越えた俺たちは森を抜け、研究所そばの草原にたどり着いた。その頃にはもう日が沈み、辺りは真っ暗になっていた。
「あともう少し歩けばあそこに俺と……あと4人くらい閉じ込められてる部屋があるから」
俺は白色に塗られた無機質な壁を指さした。すると倉木は不安そうな顔になってこっちを見た。
「どうした?」
「……あの、先輩にはそれが見えてるんですか?」
「ん? 見えてるけど……なんでだ?」
「いや、暗すぎて先輩の顔と前脚だけしか見えなくなってるんで……」
「あー……」
そういえば、森をもうすぐ抜ける、という所辺りから倉木の歩くペースは突然ガクンと落ちていた。長距離の移動で疲れ始めたのかと思っていたが、視界が悪くなっていたから遅くなっていたのか。
「……兎は夜行性だから、夜目がきいてるのかもな」
「え、兎って夜行性じゃないですよ」
「え、嘘!?」
「確か……ハクメイハクボ性とかそんな面倒くさい名称だった気がします……」
倉木は長い首を捻りながら言った。
「へぇ……倉木はそんなことも知ってるんだ」
「い、いや、小学校で飼育部やっていた時に先生から聞いたことがあるだけで本当かどうかは……」
「え? 倉木って小さい頃から陸上やってたんじゃないのか?」
「あ、本格的に始めたのは高校からです。今までは家の近くのランニングコースを走ってただけなんで……」
「へぇ……なんか意外だな」
「なんでですか?」
「いや、河合のやつから『倉木さんは好タイムが出ても満足しない』とか『遊びでやってる他の人にちょっとイラついてるように見える』とか聞いてたから。あ、そうそう『きっと小中と陸上部とかクラブに入ってたんだろうなー、プロ意識のかたまりだよ』とかも言ってたな」
「え、そんな風に思われてるんですか!?」
「たぶんな」
俺が軽く頷くと倉木はがっくりと頭を落とした。もし人間の体に戻れるのなら頭を抱えたい心情だろう。
「うわぁぁぁ……。そんなことないのに……」
……なんか知らないが倉木は精神的ダメージを受けているようだ。俺はとりあえず笑いながら言葉をかけた。
「まぁ、そこら辺の間違いは帰ってから直せばいいさ。ほら、って見えないんだったな、もうすぐ研究所だぞ」




