白い靄の先
「いやー、走ったねー」
「うんうん、汗もかいたし、さっさとお風呂に入っちゃおうよ」
「さんせー」
「じゃあ戻りますかー」
太陽が真上に到達した頃。散々朝から走り回っていた女子4人が満足して部屋に帰ろうとしていた……が。
「ちょっと待てやおいコラ」
そう言うと月村は皆藤・服部の首に即座に腕を回して捉えた。普通で無い月村の様子に皆藤は若干ビクビクしながら問いかけた。
「な、なんでしょうか月村さん……?」
「お前らさ、俺達が今どういう状況かわかってるか?」
「どういう状況、って捕まってますよね」
「だよな。なんでわざわざ自分から捕まえてるやつの所に戻るんだよ」
そう言われた4人は夢から覚めたかのような、ハッとした顔になった。そして同時に牢獄生活に慣れ始めていた自分達に対する自己嫌悪に入った。そんな4人に月村は畳み掛けるように続ける。
「せっかく外に出られたんだぞ? だったら抜け道さっさと探して、逃げて、近くの警察に飛び込んだ方がよっぽど良い」
「でも汗でビショビショなんですけど……」
「汗ならそこの川の水浴びてどうにかしろ」
そう一言で叩き斬った月村に女子3人からブーイングが浴びせられる。唯一ブーイングをしなかった佐藤は「やっぱりそういう所は男の子なんだな……」と別の意味で感心していた。
ーーー
「で、佐藤さん。例の靄があったのはもうそろそろ?」
「そうですね」
あれから十数分後、月村と佐藤は川岸をのんびりと下っていた。
「それにしても……やっぱり人間を掴むには見た目とかよりもまず胃袋からなのかなー」
月村が頭をかきながら建物のある方を見る。時間は太陽がホログラムなどでなければお昼時の位置。残りの3人は空腹に負けて、食事が用意されてるであろう研究所に戻って行ったのだ。
ちなみに月村は一食ぐらい抜いても平気、と言って探索を続けている。そして佐藤はというと……川辺に生えている春の七草をはじめとする人間も食べる草を見つけては引き抜き、洗っては口に運んでいた。文字通りの「道草」である。
「まさかこんな光景を見ることになるとはな……」
「別にいいじゃないですか! 今の私は牛なんだし……」
最後の言葉あたりは小声になっていたのは言うまでもない。
「あれ? 来た時の『私は人間です』声明はどこいった」
「だって人間だったら普通、朝一番に乳揉まれたりしないです!」
顔を真っ赤にして言う佐藤の姿に、月村は本能的に「地雷を踏んでしまった」と後悔した。
「で、でも、朝からやってる人はやってると思うよ?」
「遊び人になるつもりはさらさらありません」
見るからに佐藤の不愉快度が上がる。完全なるフォロー失敗であった。
「……からかって申し訳ありませんでした」
完全に不利な状況だと認識した月村は潔く謝った。しかし佐藤もそう簡単に許すつもりはさらさらなかった。
「ダメです。真摯度が足りません」
「真摯度って……どうすれば許してもらえます?」
「……じゃあ、朝の乳搾り、錦戸さんと代わってください」
「え?」
思いも寄らぬ所から飛んできた条件に月村は目を白黒させた。
「ど、どうしてかな?」
「だって、錦戸さん、手じゃなくて尻尾でギリギリと締め上げて搾るんですよ! 酷いと思いませんか!?」
「…………」
初めて聞いた乳搾りの状況に月村はドン引きした。月村の顔を、完全に暑さ以外の物が原因の汗が伝う。
「で、でも錦戸さんにはどう説明を……」
「錦戸さんばかりに任せるのもなんか悪いから、って月村さんが言ってた、とか言って納得してもらいます」
「あ、あと親御さんにバレたら……」
「出来る限りの弁護はします。病気対策とでも言えばどうにかなると思いますが」
佐藤の目が完全に据わっているのを見た月村は思わずため息をついた。
「分かったよ……。明日から搾らせていただきます」
この瞬間、佐藤の野望の一つが達成されたのだった。
「うっわ、すごい霧……!」
それからさらに数分後。月村達は問題の場所へとたどり着いていた。
目の前には一面、白い霧で覆われた草原と川の姿があった。
「……私が来た時よりもすごいことになってます」
「マジか」
そう言って月村は横に流れる川を見た。川の水は蒸発することなく霧のある方へまっすぐ流れている。
「……ちょっといってくる」
「え? どこへですか?」
「あの霧の中。もしかしたら外に出れるかもしれないから」
そう言って月村は霧の中に飛び込んでいった。
(全然前が見えないな……そうだ)
目印も何もないことに気づいた月村は、道に迷わないように片足を川に突っ込んだ。そして体が急激に冷えていくのを感じながら歩を進めた。
そうしていく内に、進行方向に光が差し込んでいるのを見つけた。そして……
「あ、お帰りなさい。どうでした?」
「え……あ、あれ?」
霧を抜けた先で声がした方を思わず見ると、対岸で心配そうにこちらを見る佐藤の姿が見えた。しかし月村の足はしっかりと川に浸かっていた。
「……ち、ちょっと待って。もう一度行ってくる」
「は、はい」
困惑する佐藤をよそに月村は川に入れる足を入れ替えると再び霧の中へ入った。
しかし、結果は同じで今度は佐藤がいる場所、つまり最初に入った場所に戻ってしまった。もちろん足は一度も川から離れていない。
「……嘘だろ」
「……あのぉ、何がしたいんですか? 月村さんは」
佐藤が呆然と立ち尽くす月村を訝しげに見る。
「……疑うんだったらお前も入ってみろ!」
それを見た月村は霧を指差しながら叫んだ。混乱しているのか、呼び方が乱暴になっている。
佐藤はあまりに月村の様子がおかしいので、首を傾げつつも言われた通りに霧の中へ入った。そして月村と同じように対岸に出た。
「あ、あれ?」
「はい、すぐもう一度入る!」
「は、はい!」
そして再び飛び込んだ佐藤は元の、月村がいる場所に戻ってきた。
「…………」
「…………」
互いに信じられないという顔つきで見つめあう。そして、話もしてないのに2人は同じ結論に行き着いた。
「「戻らされてる……?」」
ーーー
2人は今度は逆に川を上って、森へと向かっていた。月村がボソッと口を開く。
「……あの霧、なんなんだろうな」
「さぁ……? 薬の匂いとかはしませんでしたけど……」
「でも、物によっては無臭なやつもあるしなぁ」
そんな感じで、あの霧の正体について話していた時、佐藤は何かを思い出し、月村に声をかけた。
「あ、そういえばさっき、月村さん、私のことを『お前』呼ばわりしましたよね?」
「え、嘘!?」
月村が驚いたように目を見開く。
「本当ですよ? ずーっと『苗字+さん』って呼んでいたから、おかしいなーって」
「うわぁぁぁぁ……ごめん……」
月村は思わず頭を抱えた。隙間からみるみる青ざめていく様子も見える。混乱していたとはいえ、他人に対する礼節を欠くことは彼にとって御法度だったのだ。
「えーっと、あのー、そのー……」
どうやってちゃんと謝ろうか必死に考える月村にむかって佐藤は笑顔で言い放った。
「別にいいですよ?」
「え?」
「というか、一緒に生活してるのに、いつまでも他人行儀な扱いなの、ちょっとむかついてたんです」
「え、ええっ?」
佐藤のカミングアウトに目を白黒させる月村であった。




