17 パンケーキ
ミレイユがぱちりと目を覚ますと、白いカーテンの隙間から、晴れた朝の光がやわらかく差し込んでいた。
枕元では、リュミーがふかふかの毛玉のように丸まって眠っている。
(いつのまにか、眠ってしまっていた……!)
昨夜の涙の跡がまだ頬のあたりに残っているような気がして、ミレイユはそっと手の甲で目元を拭った。
昨日はペンダントのことで落ち込んでしまったが、そのおかげで自分の気持ちが整理できた。
(せっかく侯爵様がこうして機会をくださったのだから、出来ることを少しずつやるわ)
決意を新たにしたミレイユは、身支度を整える。
朝食の用意された部屋へ通されると、テーブルには、小ぶりに焼かれた薄めのパンケーキがいくつも重ねられていた。傍らに添えられているのは、ディルの香りがふっと立つサワークリーム――ディルクリームの白い小鉢と、薄切りの燻製ハムの皿だ。
湯気の立つポタージュ、木いちごとブルーベリーが盛られた器が並ぶ。
全て、ミレイユが好きなものだ。
昨日何も食べていなかったミレイユは、目を輝かせる。
「これって……」
思わず声を漏らすと、給仕の侍女がふっと不安そうな表情を見せた。
「何か問題がございましたでしょうか? ミレイユ様のお好きなものだと、旦那様から伺っていたのですが……」
ミレイユは慌ててブンブンと首を振る。
「ち、違うんです! 全部、大好きです! いただきます!」
リュミーはもう、用意された小さな皿の前で、ぴょこぴょこと耳を揺らしている。
ミレイユは胸の前で手を合わせてから、パンケーキにディルクリームをひと匙薄く広げた。その上に燻製ハムを一切れ置いて、生地をふたつに畳んでから一口分を口に運んだ。
(とっても、懐かしい味がする)
ほのかに甘い生地のしっとりした弾力に、ディルの爽やかな香りとサワークリームのほのかな酸味が合う。加えてそこに燻製ハムの香ばしいさと塩気が加わって、口の中が幸せだ。
王都では分厚くてふっくらとしたパンケーキにシロップや甘いクリームという組み合わせが定番だ。
けれど、目の前に並んでいるこのささやかな食卓は、領地のリーヴェル家で何度も食べた、あの懐かしい食卓そのものだ。
この朝食を手配してくれたというレオナルドへの感謝の気持ちが込み上げてくる。
(昨夜はそのまま眠ってしまったうえに、朝のご挨拶もできていないわ。今夜ちゃんとお礼をお伝えしなくちゃ)
最後のひと口を食べ終える頃には、ミレイユの心の底から、確かに新しい元気が湧き上がってきていた。
朝食を終えると、ミレイユは席を立った。
給仕の侍女に丁寧に礼を伝えて部屋を出ると、リュミーも飛び降りて、ぴょこぴょことついてくる。
「リュミー。今日は付与術の勉強をしようと思うの。一緒にくる?」
「きゅ!」
お腹いっぱいのリュミーもご機嫌だ。
レオナルドへのお礼は今夜と決めたから、いまは少しでも仕事を進めておきたい。
ミレイユは廊下を歩き、レオナルドが用意してくれた研究部屋へと向かった。
リーヴェル邸から運び出すことができた父の蔵書や研究資料も、そこに並べられている。
椅子に腰かけたミレイユは、ランプの光を元に父のレポートを読む。
古い術式の解析記録、書き込みだらけの図面、几帳面な文字で埋まったノート。父の思考の跡を辿るように、ページをめくる。
(お父様のこの術式の組み方、やっぱりすごい)
ひとつの組み式の下に、別の角度からの試みが書き足されている。さらにその下には、それらを統合する図が、ていねいに描かれていた。
父は一本道を進む人ではなかった。いくつもの道筋を並べて検討して、古い文献を深く敬いながらも、決してそこに留まろうとはしなかった。
ページを捲る音だけが部屋に響く。リュミーは日当たりのいい場所を見つけて、そこでうとうとと眠ることにしたらしい。
どれくらいそうしていただろう。読み物に没頭していたミレイユは、ノックの音に顔を上げた。
「──ミレイユ、少しいいだろうか」
ノックの音と一緒に扉が開く。入ってきたのは、なぜかあからさまに嫌そうな顔をしたレオナルドだった。そのうしろから、すらりとした黒髪の青年が、にこやかに顔を覗かせる。
「やあ、リーヴェル嬢。久しぶりだね」
気さくな笑みを浮かべる口元とは裏腹に、こちらをまっすぐに見据える瞳の奥には、何かを観察するような鋭い光があった。
(エリオス殿下……!?)
ミレイユは思わず目を瞬かせる。
第三王子、エリオス・アストリア。魔術や付与術に精通した人物で、魔導研究所にも度々訪れるとテオールから聞いたことがある。父に届け物をするときに、ミレイユもその姿を見たことがあった。




