18 結界石
(お父様も、付与術に理解がある方だって言っていた)
ただ、言葉までは交わしたことがなかった。認識されていたことに驚き、ミレイユは慌てて居住まいを正す。
「ミレイユ・リーヴェルです。研究所でお見かけしておりましたが、ご挨拶もできず、失礼しました」
「ああ、堅苦しくしなくていいよ。君のことはテオールからよく話を聞いていたんだ」
「お父様からですか……?」
「うん。とっても優秀な娘だって褒めていたよ。僕のことはエリオスって呼んでね。よろしく、ミレイユ」
エリオスは手にしていた革のケースをテーブルにそっと置くと、気さくに右手を差し出してくる。
「は、はい」
困惑するミレイユの背後で、レオナルドが小さく咳払いをした。
ちらりと見ると、その眉間にはうっすらと険しい影が落ちていて、何も言わずにエリオスのほうを見据えている。
(そうよ。王族の方だもの、早急に従わないといけない!)
躊躇をしていては、レオナルドや父に迷惑がかかってしまう。握手を急かされていると受け取ったミレイユは、差し出された手を取って、勢いよく両手で握り返した。
「よろしくお願いします、エリオス殿下!」
「わあ、情熱的な歓迎だね〜」
心底楽しそうに目を細めて、エリオスは片眉を上げる。
「よし、じゃあ早速だけど――」
エリオスはにっこりと笑って、テーブルに置いたケースの留め金を外す。なかには深い藍色の絹布に包まれた小さなものが、ことりと収まっていた。布の包みを解くと、現れたのは、握りこぶしほどの大きさの結界石だった。
「実は折り入って相談があってね。この結界石を見てもらえるかな。レオに聞いたら、君が詳しいだろうって言うから、押しかけたんだ」
ミレイユはちらりとレオナルドを見上げる。
「君の思うままにやっていい。この前術式を読み解いたように」
短く、確かな声で、レオナルドはそう告げてくれた。
「……わかりました」
ミレイユは小さく頷いて、結界石をそっと両手で包み込むようにして手に取った。
淡い乳白色の表面は滑らかで、外から見ただけでは何の変哲もない丸石だ。だが、触れてみればほのかに魔力を帯びている。
ミレイユは指先に、ほんのわずかな魔力を流してみる。
「展開」
声と同時に、結界石から淡い光の鎖が走った。文字と記号で組まれた術式が空中に立体的に広がり、幾層にも重なった内部の構造が一望できる形で浮かび上がる。
ミレイユは目を細める。
古代の組み式の流れの上に、新しい層が無理に継ぎ足されていて、文字の癖が明らかに別の人の手によるものになっている。
(古い結界陣を無理に継ぎ足してる。だから各所で干渉が起きているのね)
その境目のあちこちで、魔力の流れが衝突している。これでは、有事の際に結界がうまく作動しないか、逆に事故になる可能性もある。
「……どうしてこんなに無駄のある式なんだろう」
思わず呟いてから、ミレイユははっと顔を上げた。
「あ、すみません。つい……!」
「いや、いいよ。そのまま続けて」
エリオスの声が、いっそう真剣な色を帯びる。
「わかりました。では」
ミレイユは小さく頷くと、空中に展開された術式に視線を戻した。指先で不要な符号をひと筋ずつ弾いていく。継ぎ足しの層が外れて、その下の古代の流れがあらわになる。
そこへ、新しい簡略化された構造をていねいに書き直していった。展開された術式の線が、すっと滑らかに光を走らせて、流れがひとつに整っていく。
(あの日広場で暴走した魔導具と、同じ感覚だ。このちぐはぐな術式に、覚えがある)
ミレイユは深く息を吐いてから、仕上げの呪文を唱える。
「固定」
空中に展開されていた術式が、ふっと結界石へと収束していく。淡い乳白色の表面が、内側にほのかな光をたたえはじめる。古い層と、書き直された新しい層が、ようやく同じ流れを共有しはじめた合図だった。
「これなら、安定するはずです」
「素晴らしいね」
エリオスが感嘆するように、深く頷いた。
その視線が、ふっとミレイユからレオナルドのほうへ流れる。何かを確かめるような、それでいてどこか面白がるような色を一瞬だけ宿してから、エリオスはまたミレイユへ視線を戻した。
「彼女は才ある付与術師だからな」
後方で腕を組むレオナルドは、さも当然と言った様子で誇らしげにそう言う。
(侯爵様に、認めてもらえているんだ)
レオナルドのその言葉に、ミレイユの胸の奥がじんわりと温かくなる。顔が緩みそうになるのを堪えて、ミレイユはふたたび結界石へと視線を落とした。
「この結界石、わたしが書き換えてしまっても良かったんでしょうか」
好きなようにしていいと言われて思わず直してしまったが、これは一体なんなのだろうか。そう思って尋ねると、エリオスがぽつりと続ける。




