今日するの?
仕事を終えた二人は、誰にも見つからないように会社の裏口から出た。繁華街の雑踏を避け、無言で歩く。繋いだ手から伝わる体温だけが、お互いの鼓動の速さを物語っていた。どちらからともなく手を繋いだその手は、汗ばむほど強く握りしめられていた。
佐伯の足が止まったのは、歓楽街の一角にあるラブホテルの前だった。ネオンが騒がしく瞬く入口に向かって、彼は彩乃の手を引いた。
「えっ…あの…」
ホテルの自動ドアが開き、無機質な受付のカウンターが見える。彩乃は頭が真っ白になり、パニックに陥りかけていた。
(えっ、今日するの? いきなり? どうしたらいいの? 私から脱ぐの? それとも脱がせてもらう? シャワーはいつ浴びる? 順番? もし…相性が悪いって言われたらどうしよう…)
心臓が口から飛び出しそうだった。知識だけが先行し、実践経験がゼロの彼女の脳内では、疑問と不安が無限ループを描いていた。
佐伯が手続きを済ませ、エレベーターで部屋へ向かう。狭い箱の中で、二人の息遣いだけが響く。部屋に入ると、佐伯は彩乃をベッドの端に座らせた。そして、彼女の目を真っ直ぐに見つめ、深呼吸を一つして口を開いた。
「彩乃さん」
名前を呼ばれただけで、背筋がゾクゾクとした。
「結婚しよう!」
「えっ!?」
予想だにしない展開に、彩乃は素っ頓狂な声を上げた。身体の相性を確かめに来たはずなのに、いきなり結婚? 頭の中が追いつかない彼女は、反射的にこう尋ねていた。
「あ、あの…身体の相性は見ないでいいんですか?」
佐伯は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに意味を理解したのか、少し困ったように眉を下げた。
「俺には相性なんて悪いわけないけど…もしかして、俺の大きさが満足出来るのかって心配してるの?」
「そ、そんなこと!」彩乃は激しく首を横に振った。「大きさなんて私わかりません! 今まで見たこともないし!」
彼女の顔は沸騰したように真っ赤になった。言ってからしまったと思ったが、もう遅い。佐伯は目を丸くしている。
「あの…雑誌で…」彩乃は視線を彷徨わせながら、蚊の鳴くような声で続けた。「大人の恋愛は、身体の相性を見てから始まるものだって書いてあったので…」
その言葉を聞いた途端、佐伯は腹を抱えて大きな声で笑い出した。「あはははは!」
「あ、笑わないでくださいよぉ…」彩乃は恥ずかしくて涙目になった。
「ごめんごめん!」佐伯は目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、何度も謝った。「いやぁ、びっくりしたな。もしかして…彩乃さんも恋愛経験ほとんど無いの?」
彩乃は唇を尖らせて小さく呟いた。
「ほとんどというか…全くありません」
「えっ?」
「27歳で処女なんて…おかしいですよね」彼女は俯き、悲しそうに自分の膝を握りしめた。「変ですよね…」
再び沈黙が落ちたかと思うと、佐伯は再び吹き出した。「ぶっ!」
「また笑いました!」
「ごめんごめん! 本当にごめん!」佐伯はベッドに手をついて、必死に笑いをこらえようとしていた。「だって…そんなことないよ! すごく嬉しいです!」
「嬉しい…ですか?」
「うん。俺だけが知ってる彩乃さんなんだと思ったら…嬉しいに決まってるだろう」
そう言って微笑む佐伯の目は、これ以上ないほど優しかった。彼はゆっくりと手を伸ばし、彩乃の頬に触れた。そして、ブラウスのボタンに手をかけた。
「いいかな?」
彩乃は小さく頷いた。ボタンが一つずつ外され、ブラウスが肩から滑り落ちる。次にスカートのファスナーが下ろされると、彼女の体から衣類が剥ぎ取られていった。
下着姿になった彩乃は、本能的に腕で体を隠そうとした。真っ白な肌が薄暗い照明の下で発光しているようだ。初々しい恥じらい方が、彼女の純潔さを雄弁に物語っていた。
「すごく…キレイだ」
佐伯の言葉に、彩乃は目を閉じた。次の瞬間、柔らかい感触が唇に落ちてきた。佐伯の唇だ。彩乃の初めてのキス。それは優しくて、温かくて、少しだけ乾いていた。
抱きしめられると、佐伯のちょっと出っぱったお腹が自分のお腹に当たった。その少しだけユルい感触が、妙に心地よかった。この人は本当に自分を受け入れてくれているのだと実感する。
「あの…」彩乃は恐る恐る口を開いた。「シャワーを浴びてもいいですか?」
「いいよ」
佐伯が即答すると、彩乃は安堵して立ち上がろうとした。しかし、彼女の視線が浴室の方へ向いた途端、動きが止まった。
浴室の壁が、全面ガラス張りになっているのだ。しかも曇りガラスではなく、クリアな透明ガラス。ベッドルームから丸見えである。
「…丸見えですね」
彩乃は再び赤面した。どうしようかと迷っていると、佐伯が耳元で囁いた。
「どうせ見えるなら…一緒に入ろうか?」
その甘い提案に、彩乃の理性は完全に溶かされた。彼女は無言でこくりと頷くと、震える手でブラのホックを外し、最後の布切れを足元へ落とした。
全裸になった彩乃の手を、同じく服を脱ぎ捨てた佐伯が引く。ガラス張りの浴室へと踏み出した瞬間、二人の新しい世界が静かに始まった。




