女子社員の嫉妬
顔を真っ赤にしながら部署に入ってきた朝倉彩乃は、逃げるように自分のデスクに滑り込んだ。昨日の夜の妄想が頭をよぎるたびに熱を帯びる頬を、冷たい手で冷やしながら、モニターに向き合う。
しかし、彼女のその様子は、周囲の男性社員たちには全く違う風景に見えた。
いつもは氷のように冷たく、近寄りがたいオーラを纏っている高嶺の花が、今はまるで初恋に恋い焦がれる少女のように頬を染めている。伏し目がちな瞳は潤み、時折ふっと幸せそうに緩む唇。それがどれほど破壊的な可愛さを放っているか、彩乃自身は気づいていなかった。
営業部の若手社員は、コーヒーカップを持ったまま硬直していた。「朝倉さん、あんな顔するんだ…」「急に色っぽくなったな」「やっぱり彼氏ができたのか?」。男性陣の視線は、熱を帯びて彩乃に集中していた。
その光景を、少し離れた席で見ていた女性社員たちの目は冷たかった。
「また始まったわよ、あの男たちの朝倉さんウォッチング」
「なんなのあの子、今日は特別生意気じゃない? ふんっ」
「絶対彼氏ができたわよ。あの顔、完全に女の顔してるもん」
彼女たちにとって、彩乃は「手が届かないからこそ許せる」存在だった。男性社員の関心を一身に集めていながら、誰のものにもならない聖女。それが今、誰かのものになろうとしている。しかも、その甘い雰囲気は、これまでの「冷たい美女」の姿とは真逆の、守りたくなるような無防備な可愛さだった。これは女性たちにとって、ただの嫉妬を超えた脅威だったのだ。
一人の女性社員、田中奈緒が意を決して彩乃の席に近づいた。奈緒は社内の女子のリーダー格であり、男性社員からの好感度も高い。
「朝倉さん、おはよう。なんか今日、すっごく嬉しそうだけど…彼氏とよりが戻ったとか?」
唐突な質問に、彩乃はビクリと肩を揺らした。だが、根が真面目な彼女は、嘘をつくような器用さを持っていなかった。それに、佐伯とのことは別に隠すような悪いことではないはずだ。
「えっ、いえ、あの…彼氏とかじゃなくて…最近、佐伯さんと仲良くなったから、その…」
「佐伯さん?」
奈緒は眉をひそめた。周囲の女性社員たちも一斉に首を傾げる。営業部にも開発部にも、そんな名前のハンサムな男性はいなかったはずだ。
「あっ、あの窓際の! 総務の!」
誰かが小さく叫んだ。その瞬間、女性社員たちの間に沈黙が走った。
「え、あんなおじさんと?」
「マジで? だぶだぶのスーツ着てる人でしょ?」
「朝倉さんの趣味悪すぎない?」
驚きと軽蔑が入り混じる声。しかし、奈緒の脳裏には、ある閃きが走った。
(佐伯か…。あいつなら、どうせうまくいかないけど)
もし、彩乃があんな冴えない中年男と付き合うことになれば、男性社員たちの「高嶺の花」への幻想は完全に打ち砕かれる。あのキレイ系の朝倉さんが、ハゲかけの佐伯とイチャイチャしている光景。それを想像すれば、男たちは間違いなく離れていくだろう。そうなれば、自分たちにチャンスが巡ってくるかもしれない。
(佐伯と彩乃をくっつけてしまえ)
奈緒の心の中で、黒い企みが結実した。他の女性社員たちも、奈緒の目の輝きを見て、同じ結論に達したようだった。微かに頷き合う。
「そうなんだぁ! 佐伯さんねぇ、意外かも!」奈緒はオーバーに驚いてみせた。「でも、朝倉さんが楽しそうならいいわよね!」
そこから、女性社員たちの悪巧みは急速に進んだ。
「ねえ、ちょっと提案があるんだけど」奈緒が声を潛めて言った。「今度、うちの課で飲み会やろうかなって思ってて。朝倉さんも最近忙しかったし、息抜きに来ない?」
彩乃は「えっ」と戸惑った。普段なら避けて通る誘いだ。しかし、「もしかしたら佐伯さんも来るかもしれない」という期待が、一瞬頭をよぎった。
「あ、あの…私、お酒あまり飲めないんですけど…」
「大丈夫大丈夫! 食べるだけでも! ねえ、せっかく佐伯さんと仲良くなったんだし、彼も呼んだら? どうせ彼、飲み会とか誘われないタイプでしょ? きっと喜ぶわよ」
その言葉に、彩乃の心は傾いた。佐伯さんに喜んでもらえるなら。また一緒にラーメン以外のものも食べられるかもしれない。
「わ、わかりました。参加します」
彩乃が承諾したのを見届けると、奈緒たちは女子トイレに集合した。
「よし、計画通りね」奈緒は鏡に向かってリップを塗り直しながら、冷酷に笑った。「とにかく、朝倉さんを酔い潰すのよ。あの子、お酒弱そうだし、真正面からガンガン勧めるわ」
「で、酔ったら佐伯に押し付けるわけね」別の女性社員がニヤリとする。「佐伯なら、ちゃんっと家まで送り届けるだけのお人好しだろうけど」
「それがいいのよ」奈緒は目を細めた。「あの二人を二人きりにして、どうなるか見ものじゃない? もし佐伯が襲ったりしたら、それこそ朝倉さんは社会的に終わりだし、男たちも完全に冷めるでしょ。万が一、ちゃんと送ったとしても、『佐伯と二人で夜の道を歩いてた』って噂を流せばいいだけ」
「あ〜、汚い噂がでそうね、佐伯にも朝倉さんにも」
女性社員たちはクスクスと笑い合った。彼女たちにとって、佐伯も彩乃も、ただの駒に過ぎなかった。
何も知らない彩乃は、デスクで「佐伯さんに飲み会のこと、ラインで伝えようかな」とスマホを握りしめ、幸せそうに画面を見つめていた。
その日の夜、彩乃から「今度、私の課の飲み会があるんですけど、佐伯さんも来ませんか?」というラインが佐伯の元に届く。佐伯は「えっ、俺が? いいのかな?」と驚きつつも、彩乃が誘ってくれたことが嬉しくて、「ありがとう、行くよ」と返信した。
そうして、運命の飲み会の日が近づいていく。彩乃の純粋な期待と、女性社員たちの黒い嫉妬が交差する、危険な夜が。
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