第?話 【神の舌】
ここで誤解を生まないために、初めに断っておく事柄があるので説明する。
志門 稲豊は食に対する拘りが人一倍強い――が、彼は料理が特別“得意な訳ではない”と言うことだ。
父や母は家業の手伝いよりも勉学を優先させていたし、洋食屋も列が出来るほど繁盛していたわけでもない。父と従業員の二人で充分回転する。
料理研究会も二ヶ月前に入ったばかりだ。料理鞄やコックコートも、交流会が開催されると知った父が、店の宣伝と面白いからという理由で用意した物に、稲豊が悪乗りした結果に過ぎない。
『神の舌があれば料理なんか簡単じゃないのか?』とは悪友の言葉ではあるが、事はそんなに単純ではない。凄まじい能力には違いないが、万能ではないのだ。
『牛のサーロインステーキ』を例に説明しよう。
目隠しをし、鼻を洗濯バサミで摘んだ稲豊の舌にステーキが飛び込み、その力が発動したとする。『牛』の『サーロイン』を焼いた状態。牛脂、塩、粗挽きブラックペッパーも使用している。ニンニクに赤ワインもだ。毒はなく、肉の鮮度は良い。
理解できるのはこのぐらいである。
肉をひっくり返したのはいつか?
塩、ブラックペッパーはどこで投入したのか?
ニンニクに赤ワインはどう使用したのか?
これらについて、稲豊が知ることはできない。
『段階』については、神の舌の領分ではないのだ。つまりは『工程』を知る能力ではなく、『現状』のみを伝える能力でしかない。調理の補助にはなっても、それでレシピを再現なんてことは不可能なのである。
さらに例えれば『絵画に何色の絵の具を使用し、いつごろ描き上げたのか? それは分かるが、描き方は分からない評論家』といった感じ。
彼の料理の腕は、あくまで初心者の域を出ていない。
そう説明されると、そんな彼が自信を持って美味しい物を食べさせると約束したことに関して、違和感を覚える人もいるかもしれない。しかしそれは、『芋もどきに比べれば自分の料理の方が美味しいだろう』……という楽観的思考に他ならない。
芋もどきを美味しくする手段はあるのかもしれないが、料理の知識も乏しく、試行錯誤を重ねていない現在の稲豊にはどうしようもないということを、此処に追記する。